今月3日、京都府南丹市園部町にある南丹市役所本庁舎前の駐車場で、新庁舎建設予定地の埋蔵文化財調査の報告会がありました。
徳川幕府の制度上、3万石以下の藩は城を置くことが認められず、「陣屋」という扱いになったことから、園部城は長い間、「園部陣屋」と呼ばれていました。
しかしその後、幕末の動乱に備えて改修が認められ、1868年(慶応4年)から築城を開始。翌1869年(明治2年)に完成し、ようやく園部城となりました。園部城は「日本最後の城」とも呼ばれています。
今回の発掘調査が行われたのは、この園部城の跡地です。発掘に当たった学芸員からは、幕末から明治初期ごろ、近くの山の湧水を流すために作られた側溝とみられる「石組」などの調査結果報告が、南丹市の西村市長からは経過と新庁舎建設を含めた今後のスケジュールについての説明が行われました。
発掘現場からは、江戸時代に使用されていたとみられる茶碗や、園部城の敷地内の跡地に建てられた園部尋常小学校(現・市立園部小学校)で使用されていたとみられるガラス片なども発見され、ここが、長く園部地域の中心地であったことを改めて感じました。