
まだ冷たい風が残る3月、山形県鶴岡市のスーパーの店先にタケノコが並び始める。この地で「孟宗(もうそう)」と呼ばれるそれは、春の訪れを告げる合図だ。私にとっても、孟宗汁の香りこそが「庄内の春」そのものになりつつある。

鶴岡市がある山形県荘内地方は、1400年以上にわたり信仰を集める山岳修験の聖地「出羽三山」と鳥海山という2000メートル級の山々、そして日本海に囲まれている。雪解け水が川を満たし、海と山が近接するこの鶴岡では、季節の移ろいが食卓にもそのまま現れる。
まだ冷たい風が残る3月過ぎ。鶴岡市内のスーパーの店先に九州産の孟宗竹が並び始める。この地域で「モウソウダケ」と呼ばれるタケノコだ。それだけに、人々の会話にも「孟宗」の言葉が増える。
「もうそう、食たがやぁ〜?」(孟宗汁、食べたか?)
「あねちゃさ忙しいはげ、まだだぁ」(お嫁さんが忙しいから、まだだよ)
「あんや、めじょけねの。そろそろかねまねの」(あらま、かわいそうだわ。そろそろ食べないとね)
「んだやの」(そうだね)
桜でも、大雪でもない。「孟宗を食べたかどうか」が春の基準になる。季節を“味で測る”という感覚がある。

荘内では、タケノコは単なる食材ではない。「孟宗汁」という形で、春そのものを食卓に呼び込む存在だ。みそと酒粕で仕立てた汁に、タケノコ、しいたけ、油揚げ(厚揚げ)を入れる。文学の中でも、孟宗汁は春の象徴として描かれている。鶴岡出身の作家・藤沢周平の『三屋清左衛門残日録』では、春の訪れを感じさせる山形県荘内地方の代表的な郷土料理として酒粕を使ったタケノコのみそ汁が描かれている。

鶴岡市湯田川地区でとれた孟宗が出回り始めた昨年、レシピを忘れたくなかった私はさっそく孟宗汁を作ってみた。素材が良いので、手の込んだマニュアルはないし、材料はいたってシンプル。白く濁った汁の中に、ひと口大に切った孟宗、しいたけ、油揚げ(厚揚げ)を入れる。湯気とともに立ち上るのは、味噌と酒粕の豊潤な甘い香りだ。
一口すすると、最初に来るのはやさしい歯ざわりだ。続いて、孟宗の淡いうまみ。酒粕のまろやかさがそれを包み込み、全体に奥行きを与えている。派手さはないが、静かに満ちてくる味だった。
「これさ食べねば、荘内の春でねなやの」(これを食べないと、荘内の春じゃないね)
そう話す人の言葉に、誇張は感じられない。むしろ、この土地ではそれが事実に近いのだろう。
興味深いのは、孟宗が“待つ食べ物”であることだ。九州から始まり、関西、中部と「タケノコ前線」が北上し、庄内に届くのは4月下旬から5月上旬。その間、店頭にはずっとタケノコが並ぶ。
ようやく地元産が出回ったとき、春は“自分たちのもの”になる。その時間ごと味わう感覚が、孟宗汁にはあるのではないか。そう気づいたとき、一杯の重みが変わって見えた。
最後に、私が作った孟宗汁の作り方を記しておく。
孟宗汁(4〜5人分)
孟宗タケノコ(皮なし)約750g、油揚げ(または厚揚げ)1枚、しいたけ5本、酒粕70g(なくても可)、みそ大さじ3強、水1400cc
①孟宗は皮をむいて洗い、大きめに切る

②鍋に水と孟宗を入れて火にかけ、油揚げ・しいたけを加える。やわらかくなったら酒粕とみそを溶き入れ、30〜40分ほど煮込む

③完成

ゴールデンウィークが近づくころ、鶴岡のスーパーの店先にはやっと地元で取れた孟宗竹が山のように並び、家庭の台所から同じ香りが立ちのぼる。
桜ではなく、匂いで春を知る土地がある。
その入口にあるのが、この一杯なのだ。





