「生きようとする意志」を受け継ぎ「忘れない」こと。震災15年、ともしびプロジェクト×ローカリティ!対談企画【宮城県気仙沼市】

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東日本大震災をきっかけに始まった「ともしびプロジェクト」は、「わすれないを形に」を合言葉に、毎月11日を「ともしびの日」としてキャンドルを灯(とも)してきた活動です。2011年11月11日にスタートし、今回で173回目を迎えました。

震災から15年となる、2026年3月11日は「私のともしび2026」をテーマに開催されました。

3月11日、宮城県気仙沼市のキャンドル工房で行われた対談には、ともしびプロジェクトの杉浦恵一代表と、震災後の東北に通い続け、人々の声を取材してきたローカリティ!編集長の中野宏一が登壇しそれぞれの思いを語りました。

また、震災の記憶だけでなく、一人ひとりが自分の中にある大切なものを見つめ直し、SNSなどを通じて呼びかけ、それぞれの「ともしび」を持ち寄りました。

震災から15年。あの日を忘れないためだけではなく、自分の中にある大切なものを思い出すために。対談で語られた言葉と、全国から寄せられた「私のともしび」から、一人ひとりが大切にしているものが浮かび上がってきました。

はじまりは「忘れないでほしい」という言葉

ー東日本大震災から15年。そもそも、杉浦さんにとって「ともしびプロジェクト」はどのような思いから始まったのでしょうか。その原点について教えてください。

(杉浦)僕は愛知県出身で、震災をきっかけに一週間後に気仙沼に来て、ボランティアという形で関わり始めました。仮設住宅ができ始めた頃に、「これから何が不安ですか」「何が大変ですか」と聞くと、「忘れないでほしい」という言葉を何度か聞いたんです。

一方で、地元では「支援したい気持ちはあるけれど、何を支援したらいいかわからない」という人たちもいました。思いはあるけれど、伝えることができない。その両方をつなげられないかと思って、一人ひとりが灯したキャンドルにメッセージを添えて投稿する形で、ともしびプロジェクトが始まりました。いまは気仙沼にキャンドル工房をつくって、キャンドルをつくったり、青いキャンドルを配る企画をしています。

「ここに戻りたい、ここで生きたい」と願う声が原点

ー中野さんの原点をお聞かせください。

(中野)僕は震災直後から深く関わっていたわけではなくて、震災の二年後くらいから被災地に足を運ぶようになりました。2013年の12月に仙台の荒浜に行ったとき、そこに人が暮らしていた跡がまだ残っていて、それでも「ここに戻りたい」「ここで生きたい」と願う人たちがいたんです。

 居住が禁じられても漁を続ける人や、仮設商店街の中で営業を続ける人たちを見て、僕はそこに「消そうとしても消えない炎」を感じました。復興を助けたいというより、そういう人たちの生き方に心を動かされたことが、自分の原点だったと思います。

なぜ「灯す」ことを続けているのか

ー活動を続けることは決して簡単なことではありません。それでもお二人はなぜ、それぞれの形で灯し続けているのでしょうか。

(杉浦)正直、そんなにきれいに説明できないんです。何か明確な答えがあって続けてきたというより、大事だと思っているから続けてしまう。やめるという選択肢が自然に出てこないんです。僕の意思を少し超えたところに何かがあって、やらされている感覚さえあります。

(中野)僕は消えそうになる火種を守り続けている感覚があります。無理やりでも燃料をくべながら、なんとか火を絶やさないようにしている。復興を支援したいというより、その人(「ここに戻りたい」「ここで生きたい」と願う人たち)の中にある火を見続けたいんです。

ふたりの「ともしび」が意味するもの

ーおふたりにとって「ともしび」とは何を意味するのでしょうか。

(杉浦)僕にとって「ともしび」は、その人が本当に大事にしているものを思い出すきっかけです。震災のことだけを思ってほしいわけではありません。その人自身が大切にしていることを思い返す日になればいいと思っています。

(中野)僕にとって「ともしび」は、消せない炎です。人の心には、消そうと思っても消えないものがある。灯すというのは、新しい何かを与えることではなく、自分の中にあるものを見つめ直すことなんじゃないかと思っています。

「ともしび」は、人との出会いの中で連鎖する

ーお二人の「ともしび」はどうやって灯ったのでしょうか。

(杉浦)震災後、ワインバーのバックヤードに寝泊まりしていた時期がありました。そこに地元の人たちが毎晩集まって、この町をこれからどうするんだと語り合っていたんです。家を流された人も、家族を亡くした人もいました。でも、その人たちの熱量に触れる中で、自分の中にも火がついた感覚がありました。ろうそくって、火のついた芯に別の芯を近づけると火が移るんですよね。まさにそんな感じでした。

(中野)そうですね、火は連鎖すると思うんです。火が灯っている人の近くに、芯を持った人がいると着火する。僕はいろんな場所でそれを見てきました。心の中にある火が見つかると、人は変わることがある。それまで苦しかったことの見え方まで変わることがあるんです。

(杉浦)連鎖すると言っても、外から火をつけてもらうのを待つんじゃなくて、自分が「これだ」と思うものに出会ったときに、自ら着火するんだと思います。本当はもともと灯っているんです。芯もあるし、火もある。ただ忘れてしまっているだけなんだと思います。僕は「見つける」というより、「(その火を)思い出す」に近い気がしています。

「正しさ」ではなく、その人の中から生まれるものを大切にする

ーお二人が活動を続ける中で大切にしていることはなんでしょうか。

(杉浦)僕らが大切にしているのは、真ん中のメッセージを決めすぎないことです。たとえば「命の尊さを思って灯しましょう」と言ってしまうと、参加する人の中から自然に立ち上がってくるものが、最初からそこに回収されてしまう気がするんです。

だから「真ん中」は開けてある。その人が灯したときに何を思うか、何を感じるかは、その人の中から立ち上がるものであってほしい。僕らは「この日に一緒に灯そう」と呼びかけるだけに、なるべくそうしたいと思っています。

(中野)そこは僕もすごく共感します。僕らも、小さな声やささやきみたいなものに価値があると信じています。大きな声や「正しさ」の前では、人はなかなか自分の本音を出せない。でも、その人の中の小さな揺らぎや、言葉になりきっていないものにこそ、本当に大事なものがあるんじゃないかと思うんです。

「生きようとする意志」を受け継ぎ「忘れない」こと

ー震災から15年。これから20年、30年と時間が流れていく中で、お二人は何を受け継ぎ、何を伝えていきたいとお考えですか。

(中野)これから20年、30年と経っていけば、震災はもっと遠い出来事になっていくと思います。でも、出来事そのものだけではなくて、そこにあった人の火、生きようとする意志まで含めて受け継いでいけたらいいんじゃないかと思っています。

(杉浦)「忘れないでほしい」という言葉の中には、出来事だけじゃなくて、そのときに人が何を感じて、何を大事にしたのかも含まれていたんじゃないかなと思います。だから僕は、これからも灯し続けたいんだと思います。

全国から寄せられた「私のともしび」

まことさん
震災での被害を直接は受けていませんが、15年前から今日まで、家族とのお別れをたくさん経験しました。日常そこにあるはずのもの、それがなくなるということの悲しさ、虚しさ、言葉にはうまくできませんが、自分も生きる意味あるのかなと思うこともしばしばでした。
でも、どうせ死ぬのなら、どうせこの命がなくなるなら、楽しく過ごしたいと思うようになりました。つまらないと思って生きるのはとても疲れることだから。楽しいと疲れても起き上がれることがわかったから。だから、誰かが虚しいなと思ってるのなら、そうじゃないよって声をかけてあげたいと今は思ってます。

かなめさん・福岡県
誇れよ。

濵野怜央 さん
人を思いやる心  

moricyさん・千葉県
いつでも笑顔でいること。辛い時、しんどい時でも笑顔でいることで前向きになれる。また、笑顔でいることで周りへの伝わり方、雰囲気を明るくすることにも繋がると信じている。

てんさん・東北地方
地球は循環している。死んだら終わりじゃない。

森田かえさん・神奈川県
初めての妊娠。予定日を1か月後に控えた臨月でした。愛知県に住んでいた私は関東ほどの揺れはありませんでしたが、それでも激しい揺れを経験しました。
怖かった。
その一言に尽きます。大きなお腹を抱えて、机の下にもぐり込んだことを鮮明に覚えています。あのとき初めて、お腹の子を私が守らなければと実感した瞬間でした。本当の意味で、母親になれた日かもしれません。その子ももうすぐ中学3年になります。大きくなっていく姿をみるとともに、震災からの月日を感じています。

きのぼりだいすきさん
家族と一緒に過ごせる時間、失いたくないと思った 

taguさん・長崎県
心を寄せること。目の前の人、目の前にいない人のことでも心を寄せて、その人の気持ちに共感したい。東日本大震災の時は、乳児を育てていて、直接的な支援は何もできなかったけど、心を寄せたいと思った。

川村忠寛さん・秋田県
東日本大震災から1ヶ月ほど経った2011年4月、私は生まれ育った地元の町に戻り、公務員としての生活をスタートしました。入庁3日目に当時の副町長から「被災地支援に行ってくれないか」と言われ、急遽岩手県沿岸部の町に設置された避難所に派遣されることとなりました。

現地ではライフラインが復旧しつつある状況で、避難者の皆さんからは様々な要望が出てきており、町職員の方とすれ違いや対立が起こることもありました。そんな中でも環境の改善に取り組み、避難者のリーダーの方と仲良くなれたのは良い思い出です。3泊4日というわずかな時間での活動でしたが、帰る日に見えなくなるまでバスに手を振ってくれた姿が今でも目に焼きついています。

こうした経験が自分の公務員としての現体験であり、「誰かのために現状を一歩でも前に進めよう」という気持ちを燃やしてくれます。

天野崇子さん・秋田県
震災当時、私は6人家族だった。私の住む地域は2日ほどの停電で済んだが、電気が通ってから見たテレビの映像に言葉を失った。目の前にあるものが、あっという間に失われていく。「普通の日常」がどれほどありがたいものだったのか、そのとき初めて深く感じた。

その後、同居していた祖父が亡くなり、近くに住む父も、そして夫も病気で亡くなった。祖母は認知症がひどくなり施設へ。子どもたちは巣立ち、今、私は一人で暮らしている。
あのとき普通だった日常も、この15年で大きく姿を変えた。だからこそ、あのとき胸に残った感覚を、今も強く思い出す。普通に暮らせる何気ない日常があること。それがどれほど尊いことなのかを、今も毎日感じながら生きている。

くよくよする日があってもいい。それでも、今日という一日があることに感謝して、自分の命にも感謝しながら生きていきたいと思っている。  

あやかさん・和歌山県
東日本大震災の報道の時は、衝撃すぎて悲しくて涙が止まらなかった。10年以上経った時に震災の跡地に行くことが出来て、発信できた人の声だけ見て聞いた。自分には何ができるのか考えた時に、防災に備えることはもちろんだけど、自分の家族や周りの人を大切に生きようと思った。平穏に過ごせる日々に感謝して、大好きなことを日々伝えようと思った。 

尾藤まなさん・愛知県
忘れられない記憶
社会人になって間もない頃、実家が豪雨で水没した。当時の記憶は、今では断片的にしか残っていない。それでも、一つだけはっきり覚えている景色がある。
避難所になっていた母校の小学校から見た光景だ。

濁った水に浸かった家々。校庭には、避難してきた車が並び、その屋根だけが見えていた。あまりにも現実味がなくて、まるで遠い場所の出来事のように、ただぼんやり眺めていた。後になって実家に戻ると、壁には1.5メートルほどの高さまで、水の跡が残っていた。

あの日、当たり前だった日常は、簡単に姿を変えた。
実家のある町は、今では新しく建て替えられた家が増え、すっかり景色が変わってしまった。日々の暮らしに追われていると、つい忘れがちになってしまうけれど、今ある日常は、かけがえのないものだ。それを忘れてはいけないと思う。その思いが、小さなともしびのように、ずっと胸の奥に残っている。

灯すことは、誰かの正解に従うことではありません。一人ひとりが、自分の中にある大事なものを思い返すこと。そして、その思いがまた別の誰かへと伝わっていくこと。震災15年の節目に交わされた対話と、全国から寄せられた「私のともしび」は、「伝える」とは何か、「生きる」とは何かを、静かに問いかけてくれました。

今回、「私のともしび2026」にご参加いただいた皆さま、思いを寄せてくださった皆さま、本当にありがとうございました。

情報

「私のともしび2026」配信動画:https://www.youtube.com/live/CgyTGosPQTQ?si=my7LFhGDMM4h8P_M

ともしびプロジェクト
住所:気仙沼市南町2-2-25
電話:080-3651-6969
email: info@tomoshibi311.com
Instagram:https://www.instagram.com/tomoshibi_candle/

ローカリティ!編集部

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