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■Armadillidium vulgare
突然ですが、「田舎暮らし」と聞いてどういったイメージを持たれるでしょうか。
時間に囚われないのんびりした生活、自然や心が豊かというロハス(使ってみたかった)なイメージ。
確かにその通りで、景色や空気はきれいだし、野菜や魚のおすそ分けをいただけたりとか、知らない人でもすれ違った時には挨拶をするなど、人とのステキなふれあいが都会よりも多くて、例えば、新宿駅の人だらけの雑踏の中を毎日出勤で歩くようなストレスは皆無です。
私が東京から愛媛県今治市の大島に来てもうすぐ二年が経ちます。
地方での、島での暮らしについて書きたいことはたくさんあります。
ですが。
まず。
ともかく。
とにかく。
何はともあれ。
コイツについて書きたいと思います。
皆さんご存じの学名Armadillidium vulgareについてです。
Armadillidium vulgareはですね…。
え? 何それ?
はぁ…。
Armadillidium vulgareですよ!
Armadillidium vulgare!!
もう困った人ですね。
そう。
Armadillidium vulgare、オカダンゴムシです。
俗称でマルムシとか言いますね。
知ってますよね、ダンゴムシ。
念のため、私が描いた絵もつけときますね。
▼コイツですコイツ。
あー気持ち悪い。
私の住居は、現在鉄筋のアパートの1階なのですが、玄関のドアを開けて外に出るまでが、長さ3mほどのコンクリートのスロープになっています。
ここにですねぇ。
なんとですねぇ。
恐ろしいことにですねぇ。
ダンゴムシがうじゃうじゃと押し寄せてきたのですよ!
毎日!
引っ越した季節が春だったのですが、何かの拍子に大量発生したのでしょうね。
ということで、二年程前の話になりますが、地方あるあるとでも言うべき、「虫との闘い」について書きたいと思います。
■ダンゴムシがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!
(ビートルズファンの方、すみません)
子供の頃は大阪府の南の端っこの田舎に住んでいたので、ダンゴムシなんてそこら中にいて、もちろん見慣れたものでした。
しかしその後、東京暮らしが長かったこともあり、今やすっかりシティーボーイのイケメンになってしまい、虫を見ること自体が稀だったので、とにかく虫がおっかないのです(田舎暮らしに向いてない)。
で、日によって玄関前のスロープにダンゴムシ達が襲撃してくる数はまちまちなのですが、ある日の朝は、玄関のドアを開けると彼らが凄まじい数で蠢いていて、思わず「キャッ!」と悲鳴を上げそうになりました。
▼この黒い点々がダンゴムシ達です。
幅1mのスロープがまるで、天の川の星々のようにダンゴムシが瞬いていたのです。
まさかダンゴムシに宇宙を感じる日がこようとは。
人生何が起こるか分かりませんね。
いったい彼らはなぜ毎日こうもやって来るのか、気になって調べてみるとですね、彼らはなんと「コンクリートを食べる」っていうじゃありませんか。
何ソレ!
超キモイ!
「あそこのコンクリート、マジ超ウマいですけど!」
「いくらでもイケるわ!」
「オレなんてもう3日連続で来てるぜ!」
などとダンゴムシ界で話題になったのかは分かりませんが、毎回、玄関のドアを開けるたびに彼らが蠢いているのを見るのはたまったものではありません。
もうね、とにかくおぞましいのですよ。
ただただおぞましい。
こちら側の対応としては、
① 無視
② 殺虫剤を撒く
③ どいてもらう
といったところでしょうか。
ひとつずつ検証していきましょう。
作戦①「無視」
まず①の「無視」ですが、無視をするということは、彼らを居ないものとするので、見て見ぬふりをして、構わずにスロープを歩くことになります。
じろじろ見たら、無視になりませんからね。
なので、目で彼らの位置を確認したり、避けて歩いてはいけません。
完全に知らんぷりです。
ただ・・・。
ただ、生きる上で何が辛いかというと、やはり無視されることほど辛いことはないのではないでしょうか。
彼らはその存在を無いものと無視された挙句、私がスロープを歩くたびに靴底でプチプチと小気味いい音を発しながら潰されて死んでいくのです。
こうして彼らを精神的にも身体的にも追い詰めていきます。
これでは、いくら何でも彼らが気の毒です。
更にこちらも靴底に彼らの体液がみっちりと付着することになります。
どこの世界に「ダンゴムシの体液まみれの男と仲良くしたい」と思う人がいるでしょうか。
もちろん家に帰ってきた時に、彼らの薄気味悪い体液を靴底に付けたまま玄関に入りたくはありません。
そして、何十匹、何百匹もの命を奪うことになるので、きっと凄まじい罪悪感に苛まれることでしょう。
ということで、彼らにも私にも利益はないので①の「無視」は却下。
作戦②「殺虫剤を撒く」
この「殺虫剤を撒く」ですが、どうやら同じ階の住民の方が、既にご自身の玄関前に散布していた形跡がありました。
引っ越してきた当時は「何の粉なのかなあ」と不思議に思ったのですが、きっと業を煮やして殺すことを選んだのでしょう。
これにより、その方の玄関前は常にダンゴムシの死骸の宇宙が広がっています。
彼らはお亡くなりになってカサカサに乾燥しているので、もしも足で踏んでしまったとしても恐らく妙な体液は出てこなさそうです。
これならアリかもしれません。
ですが、彼らの為に自費を投じて殺虫剤を購入し、玄関前がダンゴムシの死骸や殺虫剤の粉まみれになるのも考えものです。
ですので、②の「殺虫剤を撒く」は最終手段としておきましょう。
作戦③「どいてもらう」
ということで、当時は③の「どいてもらう」を実行しました。
排除です、排除。
住居の前に住民共用の箒とちり取りがあります。
なので、とにかく掃く!
出かけるたびに掃く!
帰ってきた時も掃く!
狂ったようにしゃにむに掃きまくる!
「どっかいってよ、もう!」とダンゴムシに語り掛けながら履き続ける!
これは、他の住民の方が撒いた殺虫剤に向かって、死の行進を続ける彼らを助ける、という側面もある素晴らしい作戦でもありますね。
■闘いの日々
そんなこんなで、私の一日はダンゴムシとの闘いからスタートしていました。
徐々に彼らを箒で掃くことは日々のルーチンとなり、彼らの数が少ない日などは
「今日はどうしたのかなぁ」
と何だか物足りない気分になり、寂しささえ感じたものです。
都合の良いことに、彼らは刺激を受けるとその名の通りダンゴのように丸まるので、箒で掃くとコロコロと陽気に転がっていくのです。
掃いても掃いてもスロープを上ってくる彼らは、あろうことか丸まって私に箒で掃かれることを心待ちにしている節さえありました。
もしかするとダンゴムシ界では、新しいアクティビティとしてクチコミが広がっていたのかもしれません。
箒で掃いていると、稀に丸まり損ねてひっくり返りジタバタするという、ダンゴムシにあるまじき失態を起こす不届き者もいます。
ダンゴムシというアイデンティティを放棄した彼らは、14本あるという足を半狂乱になってワシャワシャと動かして、世にもおぞましい姿を晒すこととなるのですが、こっちはそんなことはお構いなしに掃きまくります。
私も暇なようでそれなりに忙しいのですよ。
勤務場所と自宅は、自転車で7分ほどなので、お昼の休憩は、自宅に帰ってのんびりと昼ご飯を食べています(最高)。
もちろん自宅に到着した際も、玄関に入る前にため息をつきながらスロープのダンゴムシを箒で一掃し、「やれやれ」と部屋で休憩をとるのです。
そして、「さあ午後からまたがんばろう!」と玄関を出たら、もう彼らが団体で機嫌よく行進してやがるのです。
さっき掃いてから45分くらいしか経ってないというのに。
ダンゴムシ
「エヘ♪ また来ちゃった」
私
「ノー! ステイホーム!」
心の中でダンゴムシと会話をし、また箒でお外に追いやります。
まったくもう。
■正体
とはいえ、実はダンゴムシぐらいで済んでいるので、私なんてぜんぜんマシな方なのです。
家の裏が山とかだとムカデやネズミなんてのが出没するらしいです。
夜ふと目を覚ますとムカデが太ももを這っていた、なんてこともあるそうですよ。
そう思うとダンゴムシなんて本当に可愛いものです。
が、ネットで調べてみるととんでもない事実が発覚しました。
甲殻類!?
なんということでしょう。
甲殻類ということは、私の大好きなエビやカニの仲間だということです。
そして恐ろしいことに毒などを持たない彼らは、こともあろうに災害時の非常食となるというではありませんか!
旨いのか君は!?
先輩、災害時にはウチに来たら安心ッス!
ダンゴムシを塩で煎ってやりましょう!
ポップコーンのように弾けるそうッスよ!
押忍!
それにしても。
「ダンゴムシ」と名前に「ムシ」と付いているクセに昆虫ではないとは、いったいどういう了見か。
とりあえず、50年間も私を騙していたことについて謝ってほしいものです。
そんな風にして、私の地方暮らしはダンゴムシと共にスタートしたのですが、夏前にはもう徐々に姿を見せなくなり、更に昨年の春は、彼らはあまりやってきませんでした。
もう私に飽きてしまったのでしょうか。
それともみかんの収穫量ように表年・裏年なんてのがあるのでしょうか。
もしそうであれば、今年の春がおそろしいです。