日本三景・松島(宮城県松島町)の観光とくれば遊覧船巡り、瑞巌寺など含む寺院巡り、カキ・穴子などを食すのが一般的である。もう1つの松島の楽しみ方があるということに気がついたことを筆者はお伝えしたい。
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松島の日常~正午に耳を澄ませてじっくり聴けば「どんぐりころころ」が流れる~
1年前の2023年4月から松島町では防災無線から正午(昼12時)時報として「どんぐりころころ」の童謡が流れている。観光などで松島を訪れた際は、是非、耳を澄ませて聴いてほしい。
松島町民の日常であることが読み取れるかもしれない。(しかし、災害時など含む緊急時は除く)
その理由については後述で詳しく述べたい。
「どんぐりころころ」が松島町の時報に使われている理由は作詞者にあった
「どんぐりころころ」は今もなお、子どもから大人までの幅広い世代に親しまれている童謡でもある。松島町での時報に「どんぐりころころ」が使われているのは、その作詞者の青木存義(あおきながよし・1879~1935年)氏が生まれ育った町であったことが1つの理由にあげられる。日本三景・松島の光景だけを見ていてもあまりピンと来ない人も多いだろう。
町内には「どんぐりころころ」の歌詞を記した歌碑も
「どんぐりころころ」の歌碑が松島町には2ヶ所ある。まずは、最初の画像で紹介した観瀾亭・松島博物館の入口(1984年設立)、もう1つは松島第五小学校の校門前に設置されている。いずれも「どんぐりころころ」の詞が記されており、親しみを感じやすいものとなっている。
松島第五小学校の敷地は青木氏の生家だった
松島第五小学校のフェンスには「青木存義の生家跡地 松島第五小学校」と掲示がある。小学校の敷地が青木氏の生家だったことは筆者としても驚きを感じた。生家がそのまま学校の敷地になったことは筆者が40年余り生きてきて初耳だった。
場所は松島町中心部から北に離れた同町のほぼ北端に位置する幡谷(はたや)地区である。JR 東北本線・品井沼駅から徒歩5分ぐらいの場所にある。
生家には樹木とお池があって青木氏は幼少期を想起しながら詞をつづったと言われている。そして、1921年に発表され、100年以上にわたって子どもから大人までの幅広い世代に親しまれている童謡となったであろう。
松島は日本三景だけじゃない、「どんぐりころころ」の作詞者が生まれ育った町としての魅力を楽しむこともできる。時間があれば散策するのもいい。