パンク(Punk)をテーマに、イチゴ等の栽培を手掛ける仙台市若林区の農業生産法人がメディアやSNSで話題を呼んでいる。話を伺ったのは「株式会社Punks Farmer」にてCPO(=Chief Punk Officer)を務める早坂洋平さん(40)。早坂さんは、17年勤めた教育系の出版社を2022年に退職。現在は、妻の亜由美さん(40)が代表を務める農業法人で、イチゴの栽培や経営に奔走している。主力ブランドは、パンクとイチゴの掛け合わせがインパクト抜群の「パンクスベリー」。
真っ赤で大粒、宝石のように輝くイチゴには、「パンクでなければならない理由がある」と語る早坂さん。そこには、自らの“本当にやりたいこと”と向き合い、生き方を問い続ける早坂さんの信念があった。
目次
問い続けてきた「それは本当にココロ躍ることなのか?」
子どもの頃からバンドやバイク、サーフィン、スノーボードといった遊びに夢中だった早坂さん。
「小さい時から、自分が心から楽しいと思えること以外やりたくなかった」と語る早坂さんが最初に農業の道を志したのは大学生時代。4年生になって、就職や結婚という人生の節目を迎え、“本当にやりたいこと”を模索する中でのこと。当時交際中だった妻・亜由美さんの実家が農家だった。そこで「大学を卒業したら農業をやりたい」と義父に相談するも、「稼げないからやめておいたほうがいい」と言われ、農業の道を断念した。その後、就職したのが17年勤めることになる教育系の出版社だ。
出版社での仕事は苦労もあったが、好調だった。17年のキャリアの中で営業課長にまで昇進し、自身も仕事の手応えを感じていた。しかし、「それが本当に自分のやりたいこと、ココロ躍ることなのか?」という疑問を拭い去ることはできなかった。
また、早坂さんは、大学受験向けの教育出版というフィールドで働く中で、世の中の「学び」や「仕事のあり方」にも疑問を持つようになった。「学生は、本当に学びたいことを学べていない。営業だって、自分が心から素晴らしいと思えるものを売ることができるケースは稀。皆が、ありのままでいられない、ありのまま喋りたいことを喋れないのって不自然なことだと思う」と、当時から感じていた疑問について言及した。
東日本大震災から6年後、息子が店で落とした5粒1200円の高級イチゴ。そこから回り始めた運命の歯車
そんな早坂さんに訪れた最初の転機が2011年の東日本大震災だ。早坂さんの義父が仙台市沿岸部七郷地区で営む農家も甚大な被害を受けた。農機は津波で被災し、土地も農業を続けるには難しくなり、廃業を余儀なくされた。妻の亜由美さんも、早坂さんも、実家の被災に大きなショックを受け、就農の可能性も考えたが、その時すぐに「自分達が義父の農家を継いでいく」という選択肢はなかった。
早坂さん夫婦の運命の歯車が本格的に回りだしたのは、2017年にショッピングモールの青果店で買い物をしていた時のことだ。
当時、小学生だった長男がイチゴのパックを落としてしまった。売り物にならなくなったイチゴを購入しようと値段を見てみると、なんと5粒で1200円もする高級品。「こんなイチゴあり得ないだろ!」と当時の心境を振り返る早坂さん。しかし、その味は食べた直後に「こんな美味いイチゴ食べたことないッッ!!!」と言わしめる程、衝撃的なものだった。
その衝撃から時は流れ2019年、早坂さんは高校時代の同級生に誘われ、母校である宮城県仙台第一高等学校のOB会「仙台一中・一高大納涼大会」に出席した。「参加したら何かあるかも」と思って何の気なしに参加したOB会であったが、家に持ち帰ってきたパンフレットに大きく記載されていた協賛企業のロゴを見て、早坂さん夫婦は驚愕した。
それはなんと、2年前に長男が青果店で落とした、“あの”イチゴに記載されていた、「ミガキイチゴ」のロゴ。“あの”イチゴは早坂さんの高校の先輩が作っていたものだった。これが、早坂さん夫婦が本当に“ココロ躍ること”に出逢った瞬間である。
「会社の看板がなくても戦える自分に」。自分の限界を壊し、ベストを超え続けてきた1000日間
その2年越しの出会いを契機に、早坂さん夫婦はイチゴ農家を目指すことを決意した。東日本大震災で被害を受けた実家の土地があったことも夫婦の背中を押した。当時、専業主婦であった亜由美さんは、「ミガキイチゴ」を生産する農業生産法人「株式会社GRA」に即座に連絡を取り、農場を訪問。同社が主催する新規就農プログラムに応募した。一方の早坂さんは、「すぐに会社を辞めるという選択はなかった」と振り返る。
その理由を尋ねると、「会社の看板がなければ、俺はただのおじさんなんじゃないかっていう気持ちが常にあった。力をつけないと、明日どうなるか分からない世界で生きている経営者の人達と渡り合うことはできないと思った」と語る早坂さん。イチゴ農家になること、夫婦でココロ躍ることを仕事にしようと決意してからPunks Farmerを創業するまでの3年間、会計や簿記、ファイナンス、農業、化学……など、ありとあらゆるジャンルの本を貪るように読んだという。
また、農業という職業は地域があって初めて成り立つもの。早坂さんは、地元への想いを形にするために、地域活動にも奔走した。長男が通う中学校でPTA会長を務め、行政や地域の政治家が主催するイベントにも積極的に顔を出した。
その間、出版社の仕事も、子育ても手を抜くことはなかった。さらに、銀行からの融資など資金計画も考えなければならなかった。生活は多忙を極めたが、「嫌だ」と思ったことは一度もない。なぜなら、イチゴ農家になること、そして自らの事業を通して「誰もがココロ躍るコトを仕事にできる社会」を実現することが、早坂さんにとって“本当にやりたいこと”であったからだ。
「今日作ったイチゴがどんなにおいしくても、明日にはそれを壊していく」それがイチゴがパンクたる所以
そうして仙台の地に産声をあげたのがPunks Farmerである。しかし、なにゆえに「パンク」なのだろうか。質問を投げかけると、早坂さんは、「パンクってのは、音楽性のことではなくて、昨日より今日、今日より明日、自分の限界を壊し、ベストを超えていくっていう態度のこと。自分達はそう定義づけている。自分自身もそうありたいし、自分達が作るイチゴもそうありたいと思っている」と、夫婦が社名に込めた想いを語った。
また、自社の商品「パンクスベリ―」について尋ねると、「今日作ったイチゴがどんなにおいしくても、明日にはそれを壊し、超えていかなくてはいけない。そうじゃないと、本当においしいイチゴには辿りつけないと思う」と続けた。実際、早坂さんのイチゴへのこだわりは強烈だ。「24時間、寝てる間も(無意識下で)イチゴのこと考えてる。起業してから毎日圃場で土いじってるけど、辛いと思ったこと一度もない。本当に楽しいから」と語る早坂さんの表情は活力に溢れている。
イチゴは栽培するのが難しい作物であるが、Punks Farmerでは、自然のサイクルを活かしながら、植物に無理をさせないで、植物の本来の力を出させる農法を心掛けているという。月の満ち欠けも重要な自然のサイクルの一つだ。「例えば、2週間に1回、大潮の時は甘みが全然違う。でも、その期間は害虫も増えるから害虫対策も考えなきゃいけない……」と、早坂さんのイチゴづくりへの情熱とこだわりは止まらない。
命は有限、だから人はココロ躍ることを仕事にするべきだ
この情熱は一体どこから来るのか。インタビュー後半、早坂さんは自らの仕事観・人生観について語った。
「命が有限であるって感覚は人一倍強いかもしれない。人生が一度しかないなら、人は本当にやりたいことを仕事にすべきだと思う。そのことを強く感じたのは、6年前、親父が亡くなった時。自分は34歳だった。『本当に人って死ぬんだな』と思った。自分の親が死んだら、自然と『次は自分の番』って感覚になって、それだったらお金のためじゃなくて、本当に好きなことを仕事にしてみようと思った。そう考えると、今夫婦でイチゴ農家やって、その仕事を通じて己の限界を壊し、ベストを超え続けていくパンクな生き方、働き方を実現できているってのは幸せなことなんだと思う」
最後に、Punks Farmerの今後の展開について尋ねると、「無理なスケールは考えていない。植物と同じで、自然体での事業成長をしていきたい。ただ、『誰もがココロ躍るコトを仕事にできる社会』に共感する仲間のコミュニティ、その繋がりは大きくしていきたいかな。どこまでいけるかわからないけど、いけるところまでいきたい」と早坂さんは農業家らしく答えた。
情報
農業生産法人 株式会社 Punks Farmer
代表:早坂 亜由美
農場・直売所:〒984-0032 宮城県仙台市若林区荒井字切新田221
HP:https://punksfarmer.stores.jp/
Facebook:https://www.facebook.com/PunksFarmer/
Instagram:https://www.instagram.com/punksfarmer/