人生の再出発 〜マダムシンコ誕生秘話に迫る〜【大阪府豊中市】

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〜この記事は、株式会社JTBふるさと開発事業部と合同会社イーストタイムズが共同で取り組んでいる「ローカル魅力発掘発信プロジェクト」から生まれたハツレポです〜

今回お話してくださったのは、大阪市福島区に所在する、株式会社カウカウフードシステム創業者であり、看板商品のマダムブリュレを生んだ川村信子(かわむら・しんこ)社長です。

取材を受けてくださった信子さんは、とてもパワフルで煌びやかで美しく、あいさつをされた一瞬の間に彼女の魅力に惹かれてしまいました。

「シンコママって呼んで〜!」と気さくに話す信子さんにマダムシンコ誕生の秘話をお聞きしました。

マダムシンコ誕生秘話

マダムシンコの歴史は16年。信子さんはこれまで焼肉屋経営や銀座のクラブのママ、喫茶店経営など多くの経験を重ねてきましたが、55歳で人生の新たなスタートを切りました。

(焼肉店がオープンした当時の写真、信子ママは左から2番目)

マダムシンコの経営は「人生の再出発」と話す信子さんは、これまでの人生において様々な苦悩を重ねた経験がありました。親が韓国人であることから学校で差別を受け、また決して裕福な家庭とは言い難い苦しい幼少期を過ごし、時には苦労して悔しくてひとりで涙を流す日々を送っていました。

そんな中、お母さんが作ってくれるホットケーキはまさに信子さんにとって特別な食べ物でした。当時、ホットケーキというと華やかで高級感のある食べ物だったと話す信子さんは、お母さんの味にアレンジを加え、生地の表面にブリュレをかけました。するとそれが瞬く間に大ヒットし、今では多くの人気を誇るバームクーヘン「マダムブリュレ」の誕生のきっかけとなったのです。

マダムブリュレは今でも信子さんにとって忘れられない大切な思い出が詰まっています。まさに、「思い出の味であり、青春の味であり、お母さんの味」であると話す信子さん。マダムブリュレは信子さんがこれまで歩んだ人生の苦労や成功、愛情などが全て詰まった特別なスイーツなのです。

シンコママの原動力とは

「人生は思いもしない連続!神様が私に試練を与えてくれたから、それに立ち向かおうと思った」

と力強く話す信子さん。これまで経験した困難な出来事を乗り越えられたのは、自分の人生を自分で試したいという熱い想いがあったからでした。どんなことがあっても途中で逃げたり、辞めたり、諦めなくてよかったという信子さんの言葉ひとつひとつにとても重みを感じました。

毎回辛い時に思い浮かぶのは「母の顔」。今まで迷惑をたくさんかけてきたお母さんに楽をさせたい、そして親孝行をしたいと信子さんは力強く話してくださいました。会社を経営する上で頑張る一番の原動力は、「家族への想い」であることが熱く伝わってきました。

「とにかく経験が大事であり、人生は思ってもいないことが起こるから面白い」と、ひたすら前を見て生きる信子さんの姿は心身ともに本当に美しく、苦労や経験の積み重ねによって磨かれた輝きが信子さんから溢れ出ていて、尊敬の気持ちでいっぱいになり、そして大きな感銘を受けました。

母と私の味、マダムブリュレの魅力

マダムブリュレのバームの輪は「家族みんなの輪」を象徴していると話す信子さん。この輪を見たら、家族の笑顔や思い出が蘇り、匂いや味から幼少期のことを走馬灯のように思い出すのだそうです。マダムブリュレはまさに信子さんにとっての人生の味ともいえるでしょう。

また、定番ギフトとして人気のポイントは、箱がリバーシブルになっており、派手なピンクとアニマル柄でひときわ目を惹くキラキラした華やかなデザインであることです。可愛らしさや高級感を取り入れたマダムブリュレは箱から保冷剤まで全てにこだわっています。

今後の目標を尋ねると、思い出の味を世界に発信したいと夢を語る信子さん。さらに「バームクーヘンの人だね!」と言われることが名前を呼ばれることよりも嬉しいと信子さんは話します。

信子さんが歩んだ笑いあり涙ありの人生、そして母との青春の思い出がたくさん詰まった、甘くてちょっぴりほろ苦い愛情いっぱいのバームクーヘン、「マダムブリュレ」をぜひお手に取ってみてはいかがでしょうか。

ヨコイリカ

ヨコイリカ

東京都文京区

事業部長

ハツレポーター

ふるさと:
香川(出身地)、京都(大学時代から12年間居住)、名古屋・銀座・文京区(仕事場)

全国全世界の「地元の魅力」と「歴史ロマン」と「美味しいもの」にまみれて生きたい。田舎っぺの底力を見せつけてやるー!

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