生きる意味を見つける【宮城県気仙沼市】

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あの時、そこはまるで戦争映画の空襲を受けた町のセットのようでした。

宮城県気仙沼市八日町。

私の自宅がある魚町へと向かう道路の角を曲がると、傾いた大きな家の屋根と、ここにあるはずのない船が視界に飛び込んできました。がれきが折り重なって道路を埋め尽くし、海岸沿いの自宅へ帰る道がありません。唖然として空を見上げた私は、その場に立ち尽くしてしまいました。避難した体育館から自宅に向かう震災翌日のことでした。

あれから10年。私は今でも気仙沼に住んでいます。

自宅は全壊。親戚のアパートで、暮らしの再建をスタートしました。両親、祖母、娘の5人で毎日を乗り越えてきました。ぼっとんトイレも、風呂なし電気なし生活も、資源の大切さを思い知る良い経験だったと振り返ります。

その後、仮設住宅での暮らしなどを経て、5年ほど前に私と娘は自宅跡地に建った海の見える災害公営住宅へと移り住みました。両親は仙台の仮設住宅へと移り住み、3年ほど前に気仙沼に戻りました。今では別の地区に住んでいます。魚町に帰りたがっていたばぁちゃんは、残念なことに施設に入った後、97歳で他界。娘は昨年、社会人となり、今は都会の荒波にもまれています。

たくさんの方からの支援に励まされてここまでくることができました。

がれきの町を走るダンプカーのフロントガラスに貼ってあった「手を貸すぜ!東北!」の言葉には涙が出ました。日本や海外の方からも、本当にたくさんの支援を頂きました。ただただ感謝です。

令和3年3月6日。復興のシンボルとなる三陸道の「気仙沼湾横断橋」が開通しました。開通に先立つ1日の夜には記念の花火が打ち上げられました。犠牲者への追悼と、全国・世界からの復興支援に対する感謝の思いが込められた大輪の花火が港町を彩り、明るい未来を照らし出したように感じました。

あの日から10年がたった気仙沼をぜひ見に来てください。うまい店、酒、癒される景色がそこにはあります。

実はこの街の魅力を伝えるために「観光ガイド」になりました。ガイドになりたてですが、今後、過去の数々の災害から何度も立ち上がってきた町の話を、そして、この町でたくましく生きる人々との交流を楽しむ旅をご案内する予定です。

観光でこの町の役に立ちたい。人と人を結ぶガイドになって感謝の気持ちを伝えたい。それがこれからの私の生きる道です。

斎藤 和枝

斎藤 和枝

宮城県気仙沼市

第1期ハツレポーター

1988年(昭和63年)東京コンセルヴァトアール尚美 電子オルガン学科卒業。
タレントの小泉今日子と同い年で演歌の小林幸子に似ています。
谷川俊太郎の詩「生きる」に感銘を受けました。
日課はブロックパズルと猫や犬のおもしろ動画で爆笑する事
ウクレレ使って歌える観光ガイドを目指しています。