「ここは南のユートピアだった・・・」
北海道の北東に位置する網走。日本最北地であるこの町を網走市役所 生涯学習係 瀬口 智大係長はそう語った。
なぜ最北の地が南のユートピアなのか。その理由を網走に根付いていたオホーツク文化から探る。
網走にはモヨロ貝塚と呼ばれるオホーツク文化の遺跡がある。
道北の玄関口 女満別空港より20分、国道39号線から細い道を進んだその先に大きな博物館が見えてくる。
遺跡は森の中にあり、博物館がなければここに遺跡があるとはわからない。
オホーツク文化とはサハリンから千島列島にかけて作られた文化。1300年前にロシアと中国の間にあるアムール川〜北海道の北、サハリン島からきた人々が土着して築かれた。
博物館の近くには、実際に生活していた場所があるというので歩いてみた。
住宅の形が竪穴式の六角形。穴はかなり深い。
穴の先には骨塚と呼ばれる熊の骨が山積みにおかれていて、とゾッとする。あれが1300年前の熊の骨なのかと思うと、原始時代にタイムスリップしたか!?と錯覚してしまう。
住宅の近くには墓地があり、盛り上がった土の上に甕が刺された珍しい様式。甕は死者の頭の上に配置されていることから、被甕墓(かぶりかめぼ)と呼ばれている。生々しい生活の跡にノスタルジックな気分させられる。
近くには猛毒のトリカブトが群生し、これを狩りに使っていたのだろうか?と、遺跡に見られるものから先人の生活に思いを馳せた。
この地域には、同時期、同地域にアイヌ文化の前身となる擦文文化と呼ばれる文化が存在していた。しかしオホーツク文化がそれとはまた違う文化だという。
また、この遺跡には1500年前の縄文時代の文化も存在し、多文化が根づいていた地域だったと想像を膨らませる。
瀬口係長は、「網走は北の最果て、終着駅などと言われるが、このオホーツク海沿岸の諸文化からみると最南に位置する」
と話す。
博物館にあった地図を見てみると北海道の北西、オホーツク海を中心にユーラシア大陸、カムチャツカ半島、サハリンや千島列島などの諸島が連なり、一つの文化圏を形成しているのがわかる。各地で見つかる出土品も似ており、関連があるとみられている。
つまり、オホーツク文化圏の人からすれば、ここは日本人にとっての沖縄のような場所だったのかもしれない。
その文化圏の中でも、この網走にはオホーツク文化人だけでなく、アイヌの前身擦文文化、縄文文化と3つの文化が存在していた。それだけ過ごしやすく人の集まるところであったということだろう。
出土品の中には、モヨロのヴィーナスと呼ばれる精巧な女性像も見つかっており、美術、工芸文化も発達しており、生活が豊かであったことがわかる。
モヨロ貝塚館 解説員 佐久間 麻奈美さん はオホーツク文化人について、
「分け隔てなく、平等。争いのあとも見つかっていない」
と話す。
それは、墓の死者も埋葬のされ方に優劣がないこと、同地域で擦文文化との共生していたことからも伺える。
オホーツク文化は最終的には擦文時代と融合もしくはサハリンへ戻っていったとされ、網走から姿を消していった・・・
オホーツク文化の記録はこの地域の他、アイヌにオホーツク文化人のことを”レプンクル(海の人)”呼ぶ言葉があるくらいであり、詳しい記録は、モヨロ貝塚以外ではほとんど残っていないという。
モヨロ貝塚館に行けば、骨塚や被甕墓、オホーツク文化人の生活の姿をそのままの状態で見ることができる。
その際には、解説員 佐久間さんの解説を聞いて欲しい。一人で回るだけでは気づけない発見の手助けをしてくれるだろう。
ネットどころか新聞すらない情報の少なかった時代に、自ずと人が集まるこの地域こそが真のパワースポットと呼ぶにふさわしい場所なのかもしれない。
【情報】
網走市立郷土博物館分館「モヨロ貝塚館」
〒093-0051
北海道網走市北1条東2丁目
TEL.0152-43-2608
■開館時間:9時~17時 冬期間(11~4月)は16時まで
■休館日
7~9月は無休
10~6月は月曜・祝日、年末年始(12/29~1/3)
■交通機関
JR網走駅より徒歩約25分
女満別空港より女満別空港線バスで30分「モヨロ入口」下車徒歩5分