
秋田市の夏を彩ってきた「秋田市夏まつり雄物川(おものがわ)花火大会(以降、雄物川花火大会)」。「竿燈(かんとう)まつり」「土崎港曳山(つちざきみなとひきやま)まつり」と並ぶ秋田市の三大夏まつりの一つとして定着してきたこの花火大会が、実行委員会の体制見直しを理由に令和8年の開催を休止した。
ボランティアスタッフを募集して、来年度・第40回大会での再開を目指して新たな体制づくりが進められてきた結果、令和9年8月11日の再開が正式に決定した。
令和8年8月22日に秋田市新屋(あらや)の西部市民サービスセンターで開かれた実行委員会臨時総会で決まったもので、3月からのボランティアスタッフ募集には10〜60代の計23人が新たに参加。総勢約70人の体制となり、地元企業1社も運営に協力することになったという。
休止から再開決定に至るまでの経緯と思いを、秋田市夏まつり雄物川花火大会実行委員会会長の赤沼侃(ただし)さんに、聞いた。
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高齢化が進んだ実行委員会
雄物川花火大会は、雄物川河川敷を舞台に、雄物川放水路通水50周年の記念と秋田市西部地域の活性化を目的として、昭和63年7月30日に第1回大会を開始。開催当初から約4千発を打ち上げ、令和7年の前回(第38回)は、およそ13万人の観覧者を集めた。
秋田市の花火大会として定着しながらも、休止に至った一番の理由は、秋田市新屋、勝平の両振興会と、茨島・卸町町内会連合会などで構成している実行委員会メンバーの高齢化だったという。
赤沼さんは今80歳。周囲を見渡しても大体70代後半、あるいはそれより上の世代が中心だ。「ボランティアさんは結構若い人がいて、非常に期待しています。けど私どもはやっぱり……それだけの年齢層で運営を続けるには、この先の継続を考えると体制を見直す必要があったんですよね」と、振り返る。
赤沼さん自身がトップに就いた経緯にも、この高齢化の構図が表れている。地域の振興会の会長経験者がこの会長を引き継ぐという慣例のようなものがあり、「しょうがなく、なってしまった」のだという。「私は、あんまり花火大会は好きじゃなかったんです。ただ見ているだけであればいいんですけどね」と、笑う。
会長を引き受けたのは、秋田市新屋振興会の会長を退任した頃で、今年で3年目。実行委員を務めていた人たちの後を継ぐ人もなかなか見つからず、次第に年齢が上がってしまったという。
さらに運営の重責は、資金面や当日の安全管理にも及ぶ。
「お金の心配はしていないといけないし。当日はいろいろと気を配らなければいけないことも多くて、なかなか気が休まらないんですよね」と、その苦労をにじませ、それが引き継ぎを難しくさせている理由とのことだった。
「なんで辞めるんだ」予想を超えた反響
休止の発表に対しては、周囲から予想以上に大きな反響があったという。
「ものすごくありましたね。こっちが思っていたよりも激しくありました。せっかく子どもたちが故郷(ふるさと)に帰ってきて楽しみにしているのに『なんで辞めるんだ』とか」。
その声もあり、「終わり」ではなく「来年度に向けて再始動する」という判断につながった。
「はっきり言って義務感みたいなもんですね」と、赤沼さんは語る。

秋田市全域の祭りへ、広がる認知
来年で40回目を迎える花火大会だが、実はそれ以前にも短い期間、別の団体による花火大会があったとのことだった。「昭和27年頃、私が小学校1年生の時、秋田大橋の下流の水門付近から打ち上げられていました。物心ついてから初めての花火打ち上げでしたのでとても印象に残り、次回を楽しみにしていたのですが、2度と開催されることはなく、今でも残念がっています。それが昭和40年代になり、秋田大橋の上流側(元・船着き場)から、立正佼成会(りっしょうこうせいかい)の花火が打ち上げられるようになり、最後は灯籠(とうろう)流しで先祖の供養をしていました。昭和47年頃まで続き、規模は大きくなかったが印象的でした」と思い出を語り、「今後、昔のように灯籠流しなど加えられれば」と、再開後の構想にも話が及んだ。
雄物川花火大会は近年、地元・西部地区だけでなく秋田市全体の祭りとして認知が広がっている。「確かに、観衆は増え続けてますね。だから本当は私もやりたい気持ちも多少あるんです」としながらも、「大会規模がこんなに大きくなってしまって、ちょっとやめられないなと思ってるんですよね。資金とかそういった協賛金が一番。それから、若い人が参加してくれないっていうのも大きい問題だったんです」と、規模の拡大と運営体制のギャップが課題だったことを明かした。
花火で県外に出ている人たちが帰ってくる
来年度は新しいボランティアスタッフを迎えてのスタートとなる。
将来的にどのような花火大会にしていきたいか尋ねると、赤沼さんは故郷への思いを語り始めた。
「花火をやって、県外に出ている人たちも帰ってくるっていうのを見てますからね。やっぱりどうしても故郷は大事にしてほしいし、だからこういう祭りを残してやっていこうということでね。県外に出ていく人を少なくして、秋田の人口が減っていくのを防げたらっていう気持ちは十分あります」。
話は東京一極集中への危機感にも及んだ。「秋田の人口減はちょっと深刻なので。日本中、東京一極集中になって。政府も気がついて10年以上前から各地に国の機関を分散していくって言っても、結局この10年で京都に文化庁を持って行ったぐらいですから」。赤沼さんの経営している会社でも、地元の貴重な人材が東京に流出してしまう現実を目の当たりにしているとのことだった。
そんな現状を踏まえながらも、最後は、花火大会を訪れる人へのメッセージで締めくくった。「花火大会を目的に秋田市に来てもらえるような感じで、『自然が豊富でいいな』って思って、定年になったら帰ろうかとか、この辺の人たちも東京に出るのをやめようかとか、そういう気持ちになってくればいいなと思います」。
ボランティアとともに、再始動へ
資金不足や人手不足による花火大会の中止は、今や全国的な流れとなっている。秋田市もその例外ではなかったが、諦めるのではなく、ボランティアを募るという新しい一歩を踏み出した。
そして今、ボランティアと実行委員会が手を組み、新しい体制での運営方法について議論を重ねている。
来年8月11日、雄物川の夜空に打ち上がる花火は、世代を超えて受け継がれた「ふるさとの祭り」の再出発を告げる合図となる。
※写真は、2026年8月22日筆者撮影
他、一般社団法人東北観光推進機構フォトライブラリーより





