◆コーヒー片手に登頂⁉標高35mで視界ひらける秋田市明田(みょうでん)の富士山(ふじやま)◆【秋田県秋田市】

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富士山山頂にて。冷たいアイスコーヒーと「富士大権現」

「日本一低い富士山」が秋田市東通明田(みょうでん)にある。筆者は2022年の初登頂後、2023年の夏にはサンダルを履いて登山した。歩き始めて約3分で登頂。片手に持ったままのアイスコーヒーの氷は溶け切らない。標高35mの山頂では、秋田市街地を一望できる。

450年以上の古い歴史がある富士山は、謎もあり、その特徴的な地形から、多様な過ごし方ができるので、筆者の「推し山」である。

■山頂から、秋田市の街並みを眺める。

「日本山岳会秋田支部」によると、秋田市明田の富士山は1988年に、静岡県富士商工会議所が「日本一低い富士山」に認定したとのこと。山頂にはそれと分かる標柱があり、秋田駅周辺のビル街を背景に、早くから人が住みついたと言われる明田(みょうでん)地区の戸建て住宅と、比較的新しい家屋が入り混じる街並みが一望できる。

かつて、秋田藩主の佐竹氏はこの山頂で、秋田の街づくりの構想を立てたとも言われている。

筆者はコンビニで買ったバゲットサンドを頬張りながら、氷が残るアイスコーヒーを飲み干す。地上で飲むよりものど越しが良く感じる。

■山頂からは、打ち上げ花火も見える。

花火の打ち上げ開始後。ゆっくりと日が暮れ、ビル群と家々に明かりが灯り始めた。

2023年9月16日に第9回「千秋花火」が開催された。地元NPO団体と有志らで運営されるこの花火大会は、秋田市街中心地の「エリアなかいち」を会場に行われる。筆者はこの日、18時開始の打ち上げ花火の1発目を山頂で目の当たりにした。スマホのカメラを慌てて取り出したが、残念なことに撮り逃した。しかも、刻々と辺りが暗くなり、山中で熊との遭遇が懸念されたため、花火観賞は断念して下山した。

登山口に来ると、ひとりの年配の男性がこちらに向かってきた。彼は富士山の近所に住んでいるが、富士山にはまだ登ったことがない。この機会に山頂で打ち上げ花火を見られたらという。

「帰りは山中が暗くなるので、足元を照らす懐中電灯を持ってきたほうがいいですよ」と筆者はいい伝え、自転車に乗って帰路に着いた。

■富士山の歴史は、450年前に遡る

秋は山頂のベンチに座り、ホットコーヒーと一緒に、茨城県産栗の銘菓でひと息入れた。

正式名称は「明田富士山(みょうでんふじやま)」といい、「ふじさん」とは読まない。

秋田市在住の探検家である、高橋大輔(たかはし・だいすけ)さんが明田富士山の散策を記した話

によると、富士山の名称は、江戸期以前この地に住んでいた豪族「富士太郎(ふじ・たろう)」に由来する。しかし、資料「秋田市史」にその名は残っておらず、富士山神体山として祀る神社である富士権現(ふじごんげん)を崇拝したとある人物が、富士太郎の名で記憶されてきたのではないか、と高橋さんは言う。

元亀元年(1570年)にまで遡っても明かされない、山の名称にまつわる謎。この謎が、人の想像をより豊かに、自由にさせてくれる。明田富士山に限らず、このように謎めいた歴史の背景は、街歩きの魅力でもあると筆者は感じる。

■山の中腹が野原のように広い理由。

2023年10月の、山の中腹。木々にはまだ、緑色の葉が多く残る。

山の中腹は、山頂と同じくらいの広さがあり、山の裾野というより、まるで野原のようだ。

秋田藩時代には、現在の秋田駅付近から明田富士山にかけて大きな沼が広がっていた。「久保田城(くぼたじょう)の築城のとき、城の特徴でもある「土塁(どるい)」作りに富士山の土が多く使われたという記録がある。ちなみに、古い資料には「久保田」は「窪田」とも記され、「窪」は沼地や湿地帯を表す漢字でもある。

また、昭和に入ってからは、田んぼの用土として使われるなど、明田富士山は土木農業において、重要な役割があった。

三角型でも台形でもない、独特な形の明田富士山。わずか3分で下山できる「時短登山」を、中腹や山頂ではぜひ、思いのままに過ごしたい。

山中には手すりがあるので、急激な下りと直角に近い左折も安心だ。

■「日本一低い富士山」で見つける、自分だけの楽しみ。

ワークショップの一環で、東通地区の街歩きで富士山を訪れていた秋田大学の学生さんたち。

2022年11月、筆者は富士山登山では誰にも会わないだろうと思って下山したのだが、若い学生さんたちが登山口に向かってくるのを目にした。彼らを引率していた男性の話によると、秋田市のワークショップ企画で富士山を探索中とのことだった。

2023年10月に筆者が山頂で出会ったのは、東通明田から4.6kmほど離れた手形山(てがたやま)方面から歩いてやってきた、元公務員の藤田巽(ふじた・たつみ)さん。

藤田さんとの山頂での何気ない会話は、秋田市の今と昔、未来の姿の話に発展した。偶然の出会いは、色々な気づきを与えてくれる。10年後、秋田市はどんな街になっているだろうか?

山頂から自宅に向かう、藤田さんの後ろ姿。独自の散歩コースがいくつかあるのだそう。

明田富士山の周辺には、かつて漁民たちが豊漁を祈願した「磯前(いそざき)神社」や、馬頭観音、江戸時代の武士や文芸人の墓がある「明田墓地」などがあり、東通明田地区は歩くほどに、昔の名残りや歴史的な珍しさに気がつくことができる。

「日本一低い富士山」は、訪れる人の数だけ楽しみ方がある。登山・散策などで、ぜひ一度は登頂して秋田市の街の景色を眺め、その雰囲気を感じていただけたら、筆者はとても嬉しい。

参考文献:

・2017年2月4日  朝日新聞コラム「勝手に東北世界遺産」第214号「明田富士山」高橋大輔(探検家)
・1992年3月15日 秋田魁新報 日曜一家〜身を削り土木に貢献 明田のシンボル

田畑詞子

田畑詞子

秋田県秋田市

第1期ハツレポーター

1978年秋田県生まれ。清泉女子大学文学部英語英文学科卒。東京で就職後、いったん帰秋。2017年、横浜在住時にライター養成講座に通い、その後地元秋田でWeb記事の取材・執筆活動に携わるようになる。
日々の暮らしをブログに綴ったり、親しい仲間や縁遠くなった友人へ手書きのZINEを書いて送ったりと、書くことが好き。エッセイや小説へも関心がある。

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