〜この記事は、株式会社JTBふるさと開発事業部と合同会社イーストタイムズが共同で取り組んでいる「ローカル魅力発掘発信プロジェクト」から生まれたハツレポです〜
皆さんは「パリっ子」ってご存じですか!?
パリッ、トロトロ
ほんのり磯の香り
絶妙の甘辛さ
日本の定番の朝食といえば、白いご飯、納豆、みそ汁に玉子、そしてやっぱり海苔は必需品!日本人に愛され続ける海苔ですが、今は食卓に当たり前にありすぎて、ちょっと地味な存在。でもかつて海苔は高級品でした。そして、和歌山市は昔、海苔生産が大変盛んで、和歌浦で採れる「和歌海苔」は、県自慢の名産品の一つでした。海苔づくりには、古くて新しい物語があります。その歴史を知ると、改めて海苔が味わい深くなること間違いなし。
今回ご紹介するのは、個人商店としての創業が、大正5年(1916年)という100年以上の歴史を誇る「北畑海苔店」(株式会社設立は昭和40年)。ここは、和歌山で今なお愛され続ける「和歌海苔」の伝統を引き継ぐお店です。そのおいしさの秘訣は?その想いは?
ぜひご紹介したいと思います。
目次
約70年前までは、よくわからなかった海苔のこと
海苔の養殖のはじまりは、約400年前。当初は、木の枝や竹などを海中に入れて、自然に着く海苔を取って食べていました。そこから網を使うようになり、今の形に近い養殖方法に発展していきます。
実は、第二次世界大戦が終わる頃まで、海苔の詳しい一生はよくわかっていませんでした。海苔はどこで生まれ、どのように育って養殖の網に着いてくれるのか。決定的なことがわからないまま、ずっと自然任せの生産が続いていたのです。また、約23度以下の冷たい海水でしか海苔は育ちません。温かくなると消えてなくなってしまいます。
そんな中、1949年にイギリスの海藻学者キャサリン女史が、海苔のライフサイクル、特に最大の謎であった「海苔が夏の間どこにいるのか」を解明しました。海苔の種となる、目に見えないくらい小さな胞子は、カキなど貝殻の中で過ごしていたのです。
海苔の一生が解明され、養殖の近代化が一気に進んでいきます。それまで海苔は希少な高級品でしたが、生産量が増え、庶民の食べ物になっていったのも、この頃からでした。
約100年の歴史を誇る、絶妙の味付け
今回インタビューしたのは、株式会社北畑海苔店・北畑耕作(きたばたこうさく)会長と営業部の辻博行(つじひろゆき)さんです。
「海苔は、海水と淡水が交じる汽水域(きすいいき)でよく育ちます。和歌浦の湾内はその条件にぴったり合ったんです」といいます。北畑海苔店の創業者であり会長の父にあたる北畑長左衛門(ちょうざえもん)さんが、個人商店「北畑海苔店」を設立したのが、前述の通り約100年前。長左衛門秘伝の甘辛く仕上げた濃厚タレをたっぷりしみ込ませ、パリッと焼き上げた絶妙の味付け。その味わいは、やがて和歌山っ子を虜にしていきます。
かつての和歌浦での海苔漁は、11月~3月がシーズン。極寒の中、海女姿の女性たちが仕事に励んでいたそうです。海苔生産の全国的な増量で価格が下がり、残念ながら、和歌浦での海苔生産は終わりを告げます。そのため今は、和歌海苔に近い九州有明産の高級海苔を使用しています。
味比べの結果は!?
北畑海苔店自慢の庶民の味方「味付け海苔・パリっ子」は、その野球少年のデザインと共に、特に和歌山県北部の庶民にとって、時代が変わっても絶大な支持を集め続けています。ちなみに和歌山市の知人数名に聞いてみたところ、「パリっ子」を知らぬ人はいませんでした。
「県外に出た若者が、県外のスーパーマーケットでパリっ子が販売されていないことを知り、地元に帰った時にまとめ買いしていくこともあるんですよ」と北畑さんは話します。地元の人々にとって小さい頃から、いかに馴染みの味であるかがよくわかるエピソードです。
「永く和歌山県民に愛され続けてきた故郷の味を、若い世代にも伝え続けたい」と語る辻さん。和歌山のローカルの魅力をまた一つ教えていただきました。
最後に、一般的な市販の味付け海苔と「パリっ子」の食べ比べをしてみました。見た目の色つやの違いはもちろん、口に入れた時のパリッと感、口溶け、残る旨味、どれをとってもこんなに違うとは…ありがとうパリっ子!
皆さんにも、和歌山が誇る絶品海苔「パリっ子」を、ぜひ味わっていただきたいです。