伊達六十二万石の城下町、仙台。
戊辰戦争に敗れ幕藩体制が崩壊した後は、中央集権国家を目指す明治政府によって、東北地方の拠点都市として国の出先機関の設置が進められた。
1887(明治20)年に旧制第二高等学校、1907(明治40)年には東北帝国大学が創立され、さらに1871(明治4)年に大日本帝国陸軍の編成のひとつである東北鎮台、1888(明治21)年に陸軍第二師団が置かれた。
「学都」「軍都」という歴史を積み重ねてきた中で、仙台には「日本初」や「発祥の地」の事物が幾つも残っている。
仙台に残るさまざまな「ハツ」を巡ってみよう。
日本のフィギュアスケート発祥の地−五色沼(仙台市青葉区)
広瀬川に架かる大橋を渡って仙台城(青葉城)跡に向かうと、間もなく仙台市博物館の入り口に五色沼(ごしきぬま)が広がっている。仙台城の三の丸を囲む堀の一部が五色沼だ。
明治中期、仙台在住の外国人が凍結した五色沼でスケートを始めた。1909(明治42)年ごろ、第二高等学校の学生がドイツ語教師ウィルヘルからフィギュアスケートの指導を受け、彼らが全国各地で普及に努めたことから「日本フィギュアスケート発祥の地」とされている。
沼のほとりには記念碑とペアスケーターをかたどったブロンズ像がある。
こうした逸話が残る仙台市からは、冬季オリンピックの金メダリストが2人も誕生した。トリノでアジア人として初めて優勝した荒川静香さん。そして、ソチと平昌で連覇した羽生結弦選手。
五色沼から歩いて5分ほどの仙台市地下鉄東西線「国際センター駅」には、2人の功績をたたえるガラス製のモニュメントが設置されている。
さらに仙台ゆかりのフィギュア選手では、長野とソルトレークシティに出場した本田武史、長野に出場した田村岳斗と荒井万里絵、バンクーバーとソチに出場した鈴木明子と数多くのオリンピアンがいる。
まさに「フィギュアの聖地」と言える仙台市だが、これまでは公営のアイススケートリンクが無かった。2023年11月、JR長町駅(仙台市太白区)の近くに国際規格に対応した通年型のリンクを新設することが発表された。民設公営で2025年度に利用開始の予定となっている。練習環境の充実によって、荒川、羽生という2人のパイオニアに続く次世代の活躍に期待が掛かる。