秋田県北秋田市の鷹巣(たかのす)地域の駅周辺で活動する30代の若手経営者たちが、今夏、「TANOC(タノック)」というブランド名のグループを立ち上げた。タッグを組むのは家具職人やデザイナーなど、その道を極めし者たち。コロナ禍であっても“楽しい”ことをしようと、それぞれの技術を結集した椅子を完成させた。今月31日、グループが開くイベントで初めて販売する。「タノックのメンバーが楽しんでいる雰囲気を見に来てほしい。別に買わなくていいから」。肩の力の抜けた緩やかな取り組みが、地域に新たな風を吹き込もうとしている。
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コロナの鬱憤晴らす、サニーサタデーズ
質問なんて野暮だった。タノックで中心的な存在の布田信哉(38)は、グループを立ち上げた理由も、現在のメンバーが集まった理由も、「楽しいからとしか言えないっすね」と、あっけらかん。肩透かしを食った。しかし、布田にはそれで全ての説明がついた。
タノックの立ち上げは、今年6月。新型コロナウイルスの第2波が来るのではと世間がざわつく最中だった。家具職人の布田は、窮屈な日々に物足りなさを感じていた。
「暇でやることがなくて、楽しくねぇなぁ……」。愚痴をこぼした先は、飲み仲間だった中嶋俊輔(36)。スポーツウェアの製造・販売などを行う「シード」の若き専務取締役だ。シードは、鷹巣地域の駅前商店街にある布田の店から、歩いて数分の距離にある。
布田が勤務中の中嶋を訪ねたのは、6月第1週の土曜日。中嶋は、土曜日でも職場で働くことを自虐的に「サニーサタデーズ(晴れた土曜日)」と呼んでいた。コロナ禍で売れ残った商品を何とかしたいと考えていた中嶋。中嶋も頭を悩ませていた。2人は、6月最終週の土曜日に物販イベントを開くことに決めた。イベント名はもちろん、「サニーサタデーズ」。コロナ禍で鬱々とした気分を吹き飛ばす思いを込めた。
布田がつないだ仲間の輪、「TANOC」誕生
布田と中嶋はイベントの目玉として、鷹巣発のブランドを仲間と立ち上げ、共同製作した作品を発表することを思いついた。そうなると、必要になるのがアイデアだ。中嶋と別れた後、布田はその足で、駅前に事務所を構える「コマド意匠設計室」の柳原まどか(36)と小倉大(36)を訪ねた。2人は建物の空間設計や製品デザインを手がけていて、布田は家具のパンフレットを作ってもらうなどして交流があった。
布田からの突然の相談に、柳原と小倉は「折りたたみ式の椅子がいい。イベントまで時間がない中で、製作も手っ取り早いはず」と即座に答えた。釘などの金属は使わず、木材のみで組み立てることも決めたが、この間(かん)、口頭でのやりとりだけで、設計図はない。
2日後、布田は頭の中に描いた図案を基に、椅子の試作品を完成してみせた。木材は、日本屈指の乾燥技術を持つという「藤島木材工業」の取締役で布田が「相棒」と慕う藤島新(37)が手配した、丈夫で軽いクリの木を使った。藤島の本社工場も駅のすぐ反対側と近い。そして座面には、シードが選定・縫製した丈夫な帆布生地を充てることにした。
ブランド名は、柳原の提案で、布田の口癖の「楽しい」をローマ字で「TANOSII」と書いて、「SII」を「C(シー)」に置き換えた「TANOC(タノック)」に決まった。名前には、「鷹巣のチャレンジ(“TA”kanosu “NO” “C”hallenge)」という意味なども含むようにと考えたが、本音を言えば、「『楽しい』という布田の純粋な感情に見合うように、ブランド名にもあまり意味を持たせたくなかったので、シンプルにした」(柳原)
布田の木工、柳原と小倉のデザイン、藤島の木材と加工、それに中嶋の縫製技術--。5人それぞれの得意分野を生かした共同作品が、ここに完成した。
手に入れやすく、多機能で、かっこいい
完成したのは、大小の2つの椅子(名前は未定)。試作品をブラッシュアップした小さい椅子は、高さ30センチ余りで、「口」型の2本の脚を座面の木材に挟み込むことで固定され、自立する。釘は1本もない。試しに座ると、思った以上に安定感がある。
この小さい椅子を生かそうと、大きい椅子も製作した。こちらは接続部分をネジ留めするなどした。背中の支えがあるタイプで、小さい椅子に足を載せてオットマン代わりとなって悠々とくつろげる。小さい椅子の座面の上に、別の板を載せれば、サイドテーブルの代わりにもなる。
完成品を初公開した6月の物販イベント「サニーサタデーズ」では注目を集め、その後、購入の予約も入った。全ての部材を外して座面の布で包めば、小脇に抱えられるほどのサイズ感。今月、タノックは2回目の物販イベントを開き、2つの椅子を初めて販売する。布田はそれまでに、さらに持ち運びしやすいよう取っ手を付けたり、「TANOC」のロゴを入れたりする予定だ。
複数の職人による技術の結晶だ。通常であれば、販売価格も高くなるだろうが、布田は「それでは楽しくない」と、仕上げのオイル加工を省くなどして、工賃が極力かからないようにした。販売時には、通常の半分ほどの価格に抑えるつもりだ。布田は「折りたたんで車に積めるので、キャンプ用品としても使ってもらえる。誰でも手に入れやすく、多機能で、かっこいいものができた」と胸を張る。
駅周辺に偶然集まった仲間、布田が接着剤に
「楽しい」を仲間と形にした布田だが、自分の活動に迷う時期もあった。地域の仲間と力を入れていた毎年の町おこしのイベント。やりがいはあった。しかし、活動がマンネリ化し、次第に「楽しくない」と思い始めた。イベントの成立を優先し、自分の気持ちを置き去りにしていたのだ。布田は考え直した。「これからは、単純に『楽しい』ことをしよう。『楽しい』ことをしていたら、誰かが後からついて来るんじゃね?それが結果的に、町おこしになったらよくねぇか?」
そんな時に出会ったのが、くだんの仲間だった。
布田は3年前、鷹巣の実家にあった工房を駅前商店街の入り口の空き店舗に移し、妻の経営するカフェを併設した「HOLTO(ホルト)」をオープンした。そこから、布田より早く駅前に事務所を開いていた柳原と小倉と出会い、すでに知り合いだった藤島や中嶋を紹介するなどして4人がつながり、急速に距離を縮めた。
9月に布田は店の向かいの空きビルを購入し、1階に店を移した。そして、これまでの店舗を、地元で活躍する「アキテッジ」の写真家、コンドウダイスケ(37)に譲るにあたって、コンドウをタノックのメンバーとして新しく迎え入れた。今後、タノックの製品は、コンドウが撮影して世に送り出される。
「楽しいと思える下地をつくっといてやるよ」
タノックを象徴するエピソードがある。
タノックが発足する前、布田は地元の小中学校から依頼を受けて講演を行っていた。現在のタノックのメンバーなどを引き連れて登壇したこともある。その時に布田は、それぞれの仕事を紹介するだけではつまらないと、メンバー同士でおしゃべりをし、笑い合う様子を、子どもたちに“あえて”見せた。理由は「大人同士が子どもみたいに楽しんでいるのを知ってほしいから」(布田)。途中、「宿題の期限なんて守らなくていい」と冗談を飛ばし、先生を青ざめさせたことは、少し反省している。
それでも、布田が「こんな大人たちを見て、楽しそうだと思った人はいますか?」と聞くと、ほぼ全員が手をあげてくれた。
布田は子どもたちに伝えた。「卒業して将来、一度、町を離れて外を見てこいよ。俺らの役目は、『楽しい』町をつくっておくことだ。みんなが帰ってきた時に、『楽しい』と思える下地をつくっといてやるよ」。
楽しいと思える下地づくりは、もう始まっている。2回目の物販イベント「サニーサタデーズ」は、10月最終週の土曜日、31日に開かれる。布田は「タノックのメンバーが楽しんでいる雰囲気を見に来てほしい。別に買わなくていいから。1日中、メンバーも訪れた人も、笑って楽しんでくれたらいいな」と話している。(敬称略)
イベント情報
日時:10月31日(土) 9:30〜15:30
場所:シード株式会社駐車場(秋田県北秋田市材木町7-30)
内容:椅子の展示・受注販売
タノックメンバー各社の物販など
抽選会
電話:0186-84-8235(サニーサタデーズ)