停電の夜が生んだ “ありがとう” のキャッチボール【秋田県秋田市】

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「こないだの停電の時、うちのお客様がね、電気で湯を沸かせなくて家のお風呂に入れなかったらしいの。それで、ある温泉旅館に泊まりに行ったんだけど、なぜか客室の水道が使えなかったんだって。そしたらなんと、食事して、温泉に入って、泊ったのに、全て無料にしてくれたって言うのよ! 『困っていたから本当に助かった』って、とても喜んでいたの。私も『やるじゃん!』って思ったんだけど、そのお客様がご年配の夫婦でSNSとかやらないから、この話は誰にも知られていないの」

筆者が行きつけの美容室で「先日の停電は大変だった」という話をしたところ、担当の美容師が「そういえば……」と思い出したように教えてくれた話だ。

1月7日夜、秋田県は豪雪と暴風で大荒れの天気となった。東北電力によると、この影響で県内ではのべ約6万7000戸が停電。復旧までにかなりの時間を要し、停電が一昼夜に及んだ地域もあった。

ことのいきさつを知りたくなって、さっそく、くだんの旅館『秋田温泉プラザ』(秋田市)に話を聞きに行った。

「いやぁ、そんなに格好のいい話じゃないんです。でも、そのお客様が喜んでくださったのなら嬉しいです」

そう話すのは、4年前から旅館の社長を務める松田賢明さん(57)。松田さんによると、水道管を温めるヒーターが凍結したことで、全21室のうち2階の5部屋に水が送れない状態になったという(良かった。全室じゃなかったのね)。

「5部屋のうち4部屋のお客様は別の部屋に移ってもらったのですが、残り1部屋のそのご夫婦だけは、『この部屋で大丈夫だから気にしないで』とおっしゃって。でも、部屋のトイレが使えず、夜中も階段を上り降りして1階の手洗いに行く姿を見たら本当に申し訳なくて。宿代はもらえないと思い、そのご夫婦を無料にさせていただきました。ご夫婦が『こんなに良くしてもらってありがとう。必ずまた来るからね』と話された時は、ありがたくて、ありがたくて。完全にうちの落ち度なのに、お客様に救われた思いでした」(松田さん)

穏やかな口調ながら、実は松田さん、実家である旅館の建て替えで銀行から借り入れした5億円を13年で返済した後、家族に旅館の経営を託し、自らはコンサルタント会社を立ち上げて全国各地を飛び回った。しかし、低迷する実家の状況を知り、再度、旅館経営の現場に戻ることを決意。その後、短期間で売り上げをV字回復させたという強者だ。

「縁あってうちの旅館をわざわざ選んでくださったお客様に、今できるベストを提供したい。インターネット社会の今だからこそ、人間同士の関係をより大事にしていきたいのです」(松田さん)

「今回のことは、100%うちのミス。同業者が聞いたら、何をやってるんだって思うでしょう。本当にお客様に救われました」。松田さんは、何度も何度もそう語った。

しかし、思いがけないサービスを受けたことへのご夫婦の “ありがとう” と、お客様に救われたという松田さんの “ありがとう” が、まるでキャッチボールするように交差して、ピンチが見事に人とのあたたかなつながりを生んだのならば、松田さんの「今できるベストを尽くす」を全うしたことになる。サービスのマニュアルを丸暗記しても、この感動はつくれまい。

インタビューは旅館のロビーで行った。松田さんはインタビューの間ずっと、「田川さんは」「例えば田川さんなら」と、初めて会った筆者の名前をすぐに憶えて呼んでくれた。寒い秋田の、熱い温泉。ロビーにいるだけで、ポカポカと心も温まる一流のおもてなしを受けた気がした。


編集後記

あぁ面白かった!面白かった!私は帰りの車の中で1人そう叫んで、気づくと泣いていた。良い事業主は、「それもらったぁ!」と思う言葉を必ず言う。さりげなく言う。それを自分がキャッチしたときの、鳥肌が立つような興奮。前職でたくさんの事業所を訪問する仕事をしていた時のことを思い出し、本当にやりたいことがはっきりとわかった気がした。

秋田の人は宣伝したがらない、するほどのことじゃないと謙遜している--。秋田に生まれ育った私は、そうこれまで思っていた。でも私は、こんなにすてきな事業所が秋田にたくさんあることを、大いに自慢していきたい。

【施設情報】

秋田温泉プラザ
秋田県秋田市添川境内川原142-3
TEL:018-833-1919

田川珠美

田川珠美

秋田県秋田市

編集部校閲記者

第1期ハツレポーター/移住と就業促進の仕事に関わってから、知らなかった魅力や課題のあることに気づきました。雪国のあたたかく柔らかい秋田を届けたいと思っています。ライフワークはピアノを弾くこと、ワクワクするのは農道探索、そして幸せは、心のふるさと北秋田市の緑の中をドライブすることです。