日本海から真横に吹き付ける風に、“波の花”がたったひとかけら、取り残されたように頭上を舞っていた。まだ色のない空の下でも、確かに冬は終わろうとしてしていた。
県南西部の海沿いの町、秋田県にかほ市。築150年の古民家を2年ぶりに訪ねると、玄関には、一足早いふんわりとした手作りの桜が満開だった。10年前にかほ市で、『伊豆・稲取の吊るし飾り講座』が行われ、それに参加したのをきっかけに、自らも吊るし飾りを作り続けている渡辺シヅエさん(70)。そのおうち時間はぬくもり感にあふれ、以前訪れたときに筆者が一目惚れした「這い子人形」も、今にもきゃっきゃっとはしゃぎだしそうな顔で迎えてくれた。
「一体いくつあるのか、もう分からないの」と楽し気に話す渡辺さん。自宅に足を踏み入れると、吊るし雛はもちろん、干支の動物や金魚、椿に桜、今にも飛び立ちそうな鶴、毬のような子供の遊び道具などなど、さまざまな吊るし飾りがにぎやかに部屋を彩っていた。
飾りは50種類以上あるという。ウサギの飾りは「神様の使い」、ふくろうは「不苦労」、草履は「足が丈夫になるように」などと一つ一つに意味があり、桃の節句に合わせ、女の子の健やかな成長を願って作られる。
渡辺さんの場合、それに加えてオリジナルの焼き芋やクリなどもさりげなく置かれていて、見ている人を飽きさせない。
「手作りの物って自由じゃない?『こうしなければ失敗』、なんてない。『這い子人形』の顔だって、唇の形や大きさも少しずつ違うものになるし、人形の中の綿の入れ方によって手足の形も変わってくる。でもそれでいいのよ。そういう自由さにひかれているんだと思うの」
「それからこの飾りは、もともと主人が子供の頃に着ていた浴衣の生地で作ったのよ。そっちはリサイクルショップで「500円詰め放題」で見つけた着物生地。『これ500円でいいのかな?』って、びっくりしちゃった。そして、作ると飾り方を考えるでしょ? 見て、このバナナスタンドなんか、飾りを吊るすのにピッタリ!」
語り出すと“渡辺ワールド”は止まらない。筆者と二人、リサイクルショップで、「これは!」と思うものに巡り合った瞬間はぞくぞくする、と盛り上がり、古いものを活かす術や、独自のインテリアにまで話は及んでいく。誰かが不要と思ったものが、渡辺さんの手にかかると生き生きとよみがえり新たな生命を吹き返す。古布が、アンティークな雑貨が、華やかな空間を彩るのだ。
そんな渡辺さんの身の上話も聞かせてもらった。「実は私ね、高校生の時、肺結核で2年半入院してるの」。大病を患ったことなど想像もさせない渡辺さんが、ポツリと言った。
「でも、療養所ではいろんな人に出会ったり、イベントもあったりして結構楽しかったのよ。それもあって、どんな環境でも楽しめることはあるって私は思っているの」
“どんな環境でも楽しめることがある”
2年前に聞いていたら、これほど心に刺さらなかったであろう大事な言葉を、渡辺さんは筆者に向けて投げかけた。
コロナ禍において、おうち時間のためのグッズが人気を集めている。手作りキットや楽器、健康器具などを買い求める人も増えていると聞く。しかしそれだけではなく、住み慣れた場所や使い慣れた物を、あらためて自由な視点で見まわしてみると、そこに世界に一つだけのオリジナルが生まれるかもしれない。おうち時間をもっと豊かに、個性的に楽しむことができるかもしれない。
「絵でも、書でもそうだと思うけど、手作り品も、自由だからいいのよ。失敗作なんてない。基本さえできたら、あとは作り手の“こうしたいな”に沿っていけばいいと思うの」
軽やかな春のように笑う渡辺さんは、「這い子人形」に負けない無邪気さと強さと、わくわくにあふれていた。
話を聞き終え、渡辺さんの自宅を後にした。外はまだ少し吹雪いていた。
でも足元には、冬の間の重い雪を必死に耐えたのだろう紫色のパンジーが、湿った土に半分うずもれながら、いくつも咲いていた。
【イベント情報】
2021年6月、渡辺さんの吊るし飾り展示会「古布に魅せられて」が開催される予定です。
雄大な鳥海山をどこからでも仰ぎ見ることができる海辺のまち、にかほ市に来たら、ぜひ展示会に足を運んでみてください。
場所:仁賀保公民館(むらすぎ荘)
秋田県にかほ市平沢字馬飼森30
電話:0184-37-3121