熊野古道中辺路の名物語り部が語る、「膝が…」からの完全復活劇

▼蘇りの地・蘇りの道に魅せられた人の「蘇り体験」 #1

2004年7月に世界遺産登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」。霊場をつなぐ参詣道は通称「熊野古道」と呼ばれ、歩くことで心魂が蘇る “蘇りの道” として国内外に広く知られている。

その熊野古道で1500回以上、語り部として道案内をしている和歌山県田辺市の “語り部の会 熊野古道中辺路” 会長の安江樹郎さん(77)に、自らの 「蘇り体験」について伺った。

(写真)自らの蘇り体験について語る安江樹郎さん=2021年1月23日撮影

出身は岐阜県の下呂温泉近くの山の中という。幼少期は山の中を走り回って遊び、山を歩くことが日常だったそうで、特段、その頃は「歩く」行為に思い入れもなく、車や電車で移動して生活する都会に憧れていたそうだ。

大人になり、保険会社の営業担当として、大阪や名古屋などの首都圏を転々とした。その後、和歌山に異動となったが、和歌山で知り合いになった梅干屋さんに、当時 “梅干を売る営業マン” がいなかったことから、「俺が営業部を作る!」と一念発起し、その梅干屋さんに転職。7年間、営業で全国に梅干を売り、活躍した。

転機が訪れたのは57歳の時。膝に違和感を感じて病院に行ったところ、「加齢による痛みだ」と診断され、歩くなどの適度な運動を勧められたのだ。

しぶしぶ、日課としてプールで1時間歩くことを始めた。すると、1年で体重が3キロほど落ちた。膝まわりを中心に全身の筋肉がついたことで、膝の痛みが軽くなり、諦めていた大好きなゴルフもできるようになった。

「歩く」という行為に目覚めた瞬間だった。

2004年、60歳で定年退職し、住んでいる田辺市のJR紀伊田辺駅から街中の闘鶏神社、南方熊楠記念館までを歩いて案内する “ボランティアガイド” を務め始めた直後、紀伊山地の霊場と参詣道が世界遺産に登録される。

定年退職者が活躍するのが前提のボランティアガイドとして、60歳の安江さんはまだ若手だった。

現在、熊野古道の語り部ガイドは有償であるが、世界遺産の認定当初、険しい山道を案内する語り部も基本無償だった。

このため、定年退職をし、市街地で活動を始めたばかりのボランティアガイドの安江さんに、白羽の矢が立った。安江さんは、押し寄せる観光客に対応するべく、山道を案内する “語り部” となった。

始めは体力に不安を感じていたそうだが、徐々に語り部としてお客さんを連れて歩くことが楽しくなっていった。語り部の腕を上げてお客さんからの質問になんでも答えられるよう、全7ルートある熊野古道を全て自分で歩いて調べ、経験を積んだ。

熊野古道と一口に言っても、全ルートを案内できる人はそうそういない。熊野本宮大社を目指す道が紀伊半島一帯に張り巡らされているためだ。

安江さんの活動フィールドは熊野古道の中でもとりわけ人気の “中辺路” というルートだが、頼まれれば、各地の熊野古道に語り部として赴くし、大阪や京都で熊野古道に関する公演も行う。言うなれば「熊野古道の名物語り部」である。

そんな安江さんも、72歳の時、団体客を連れて急な山道を下山している途中で足を踏み外し、右膝の半月板を損傷するけがをした。3か月間歩くことができなかったが、療養し、語り部の現場に復帰した。

「70歳を超えて足をけがしたら、山を歩けるまで回復する、とは到底ならない。山道を日々歩くことで身に付く筋肉がいかにすばらしいものなのかを、安江さんを通して思い知り、感心した」。けがを診てくれた医者の言葉を、安江さんは誇らしげに教えてくれた。

これが、安江さんの「蘇り体験」だ。熊野古道を歩き続けることで、けがをしても復帰ができるほどの、70代とは思えぬ強じんな体を手に入れたのである。

このエピソードをもとに、 “健康と熊野” というコンセプトで作られた「中辺路踏破全7回」の旅行会社のツアーは、安江さんが語り部を務め、かれこれ4年も続いているという。ツアーの事前に、導入として「熊野古道を歩きに行くために、日々『歩いて』体を鍛えましょう」と語る安江さんの公演もあるそうだ。

そんな経験談を織り交ぜつつ語り部をする安江さんのお話は、たまにいい加減だが、わかりやすく非常に楽しいもので、筆者が運営する店でも何度か “熊野古道のお話会” をしてもらったことがある。いい加減なところも含めて、安江さんのお話に参加者が引き込まれていくのを見るのは、とても面白い。

(写真)滝尻茶屋で行った「令和元年 語り部が語る熊野古道のお話」の様子=2019年5月1日撮影

「岐阜の山の中で走り回っていた時や営業マンとして仕事をしていた時は、まさか『歩く』ことが仕事になるなんて思ってもいなかった。あまり歩かなかったことでひざを痛めたが、歩くことで俺は何度も蘇っている」。

熊野古道の話を喋りだしたら止まらない、そんな “語り部” らしさ全開の安江さんも、御年77歳。最近は体力の衰えも感じているようで、後継者不足である語り部の現状に心を痛めている。

知識や経験の豊富な現地の語り部たちが元気でご存命のうちに若い世代に受け継いでいけるようになればいいが、活動の仕方もアナログで、ボランティア精神で行うのが基本のため、仕事をしながら活動をするのが難しい。越えなければいけない問題は他にも山ほどある。

筆者も安江さんの所属する会に入っているが、よちよち歩きの新米語り部だ。今のうちに、安江さんを筆頭とする知識が豊富な語り部さんたちと、たくさん一緒に歩いて話を交わすことで、インターネットや本で調べても出てこないようなお話を、たくさん聞き出したいと強く思っている。

(写真) 「語り部の会 熊野古道中辺路」のロゴ。熊野と言えば、八咫烏(やたがらす)をモチーフにするケースが多いが、中辺路のシンボルともいうべき牛馬童子を使用したロゴになっている。

熊野古道に関しての情報。
語り部になりたい方、語り部に案内をしてほしい個人・団体の方へ

【会の情報】

「語り部の会 熊野古道中辺路」

〒646-1421 和歌山県田辺市中辺路町栗栖川208
TEL:0739-64-1350 (問い合わせ時間 10:00~15:00)
FAX:0739-64-1352
kataribe@sky.plala.or.jp
https://kataribe-kumano.sakura.ne.jp/


その昔、山々が折り重なる熊野は人々がたやすく近づけないことから、 “黄泉の国” とされた。熊野詣をすることは黄泉の国にいき、現世に戻ってくる「蘇り」のプロセスであったとされている。そんな熊野には、さまざまな「蘇り経験」をした人たちがいる。

シリーズ「蘇りの地・蘇りの道に魅せられた人の『蘇り体験』」では、蘇りのエピソードを1つ1つ訪ね歩き、熊野の奥深さ、住んでいる人たちの思いに迫る。

並木真弓

並木真弓

ハツレポーター

ふるさと:
東京都渋谷区(生まれ)、千葉県習志野市(育ち)、和歌山県田辺市(面白過ぎて移住)

ローカルな中の更にローカルな物や事や歴史を見つけて「ヤバい!!」と思うことが大好きです!
和歌山県・三重県・奈良県をはしる世界遺産 ”紀伊山地の霊場と参詣道” 通称「熊野古道」への愛が止まりません。