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“シンドラ”とは
ジャカルタを拠点に活動する日本語ミュージカル企画集団、シン・ドラマプロジェクト(通称:シンドラ) は、日本文化や日本語に強い関心を持つインドネシア人を中心に結成された団体である。最大の特徴は、作品の多くを日本語で上演している点にある。
インドネシアでは日本語学習者こそ多いが、学んだ言葉を実際に使って表現する場は限られている。シンドラは、その空白を埋める実践の場としても機能してきた。舞台は単なる発表の場ではなく、語学、演劇、文化交流が融合した挑戦の場なのである。
出演者の多くは学生や会社員、日本語学習者など、いわば一般の人々である。オーディション制を採用しており、演劇経験よりも意欲や姿勢が重視される。そのため、未経験から舞台に立つ人が大半を占めている。
しかし実際の公演では、その背景を感じさせない安定した演技が展開される。発声、間の取り方、感情表現まで丁寧に作り込まれており、観客は自然と物語の世界に引き込まれる。経験よりも「本気で取り組む姿勢」が評価される文化が、この団体の土台となっている。

趣味で終わらせない稽古文化
シンドラを支えているのは、徹底した稽古体制である。発音指導、せりふの意味理解、動線確認、歌や踊りの反復練習まで、細部にわたる積み重ねが行われている。
社会人や学生が中心の団体では、継続的な稽古が難しくなることも多い。しかしシンドラでは、限られた時間の中でも質を追求し続けている。趣味の延長ではなく、「作品として成立させる」ことへの意識が共有されている点が、この団体の強みである。
シンドラの作品は、単なる日本礼賛や文化紹介にとどまらない。日本社会の現実や外国人労働者の問題、個人の葛藤など、社会性のあるテーマも積極的に扱っている。
例えば今年の公演では、病院で働く技能実習生の役がベトナム人設定であった。あえてインドネシア人役を設けなかったことで、安易な「友好」や「架け橋」の構図を避けていると感じられた。つまり観客は、演者たちを「外国人が日本を演じている存在」としてではなく、一人の「日本人の登場人物」として自然に受け止めることができる。この絶妙な距離感の取り方は、作品全体の質を高める重要な要素となっている。

今年の公演も大盛況
今年の公演「今日も元気だ 病院集合!」は2月7日(土)・8日(日)、中央ジャカルタのタマン・イスマイル・マルズキ文化センターで行われた。両日とも会場は満席となり、3回の舞台で観客約700人を動員した。
作品は、日本社会を舞台にした人間関係や葛藤を軸に構成され、日本語によるせりふ、歌、ダンスが組み合わされたミュージカル形式で展開された。物語は一人ひとりの人生に焦点を当てながら進み、観客にとって身近に感じられるテーマが随所に盛り込まれていた。
舞台装置や照明は必要最小限に抑えられており、その分、演技や表現力が前面に出る構成となっていた。限られた条件の中で最大限の効果を生み出そうとする工夫が随所に見られた。
両日の公演とも、客席からは終始集中した空気が感じられ、終演後には大きな拍手が送られた。日本語で進行する舞台でありながら、多くの観客が最後まで物語を追いかけていたことが印象的であった。
終盤の踊りの場面では、演者や裏方が涙を流す姿も見られた。そこには数カ月に及ぶ準備と試行錯誤の重みが凝縮されていた。
舞台は二時間半ほどで終わるが、その背後には膨大な努力が存在する。稽古の積み重ね、仕事や学業との両立、言語面での苦労など、多くの困難を乗り越えた末に完成した作品であることが、その表情から伝わってきた。

「創る側」へ進化する日本文化交流
当初、シンドラの観客は日本語学習者や日本ファンが中心であった。しかし近年は、一般層や在住日本人、教育関係者などにも広がりつつある。
日本語が分からなくても、感情や物語が伝わる構成になっている点が、その理由である。字幕や演出の工夫によって、言語の壁を越えた鑑賞体験が可能になっている。
シンドラの活動は、単なる日本文化紹介ではない。日本文化を「消費する側」から「創造する側」へと転換している点に、大きな意義がある。
異なる背景を持つ人々が、日本語という共通言語を軸に新たな表現を生み出す。その姿は、国際交流の理想的な形の一つともいえるだろう。
日本から一方的に文化を発信するのではなく、現地の若者たちが主体となって再構築している点に、この活動の独自性がある。

ジャカルタから発信される舞台文化の未来
ジャカルタでこのような舞台に出会えたことは、この街を理解する新たな視点を与えてくれた。文化は展示物ではなく、人の手によって更新され続けるものである。
シンドラは、日本語という言語を軸にしながら、東南アジア発の新しい舞台文化を生み出しつつある存在である。今後、活動の場がさらに広がれば、その影響力は国内外へと波及していく可能性を秘めている。
今回の2日間公演は、その歩みの一つの節目として記憶されるものとなった。



※写真は全て筆者が撮影(2026.02.08)





