
「独立記念日は赤いシャツと白いズボンを着て出勤してください」
そんな同僚たちからのリクエストを受け、服を探しに向かったのが、ジャカルタ東部にあるジャティヌガラ市場だった。ジャティヌガラ市場は、長くジャカルタ市民に親しまれてきた市場で、現在も東ジャカルタを代表する買い物スポットの一つとして紹介されている。
8月17日のインドネシア独立記念日が近づくと、市場の風景は一変する。通りには赤と白の旗や飾りが連なり、衣料品店には赤いシャツ、白いズボン、帽子や小物など、独立記念日を意識した商品が並ぶ。普段から多くの人が行き交う市場が、この時期だけはまるで祝祭の一本道になる。
独立記念日の前日、筆者もその中から赤いシャツと白いズボンを無事に購入することができた。店先に並ぶ商品を眺めていると、独立記念日が単なる祝日ではなく、街の人々が自分たちの手で盛り上げる大きな行事であることが伝わってくる。

目次
8月17日という記念日
インドネシアが独立を宣言したのは、1945(昭和20)年8月17日。第二次世界大戦末期、日本がポツダム宣言の受諾を通告したのが8月14日、翌15日に日本の降伏が公表され、そのわずか2日後にインドネシアでは独立が宣言された。
実際には、その2日間だけで独立が生まれたわけではない。インドネシアでは日本による占領以前から独立を目指す運動が続いており、1945年8月17日は、そうした長い運動が大きな転換点を迎えた日だった。
それでも、現地で8月17日を迎える準備を目にしていると、この「2日」という時間の短さが妙にリアルに感じられる。日本にいたときには、1945(昭和20)年8月17日という日付を歴史上の一日として覚えていただけだった。実際にインドネシアで暮らしてみて初めて、日本の降伏から独立宣言までのスピード感について考えるようになった。

日本とインドネシア独立の複雑な関係
そして興味深いのが、ここに日本の歴史が深く関わっていることだ。
1942(昭和17)年から1945(昭和20)年まで、インドネシアは日本軍の占領下に置かれた。日本の統治は決して「独立を支援するためのもの」ではなく、戦時下の軍政だった。
一方で、この時期には日本によってPETA(郷土防衛義勇軍)が組織され、独立後のインドネシア軍につながる人材が育った。つまり、日本による占領という歴史が、独立直前の政治や社会の状況に大きな影響を及ぼしたことは紛れもない事実だ。
日本人としてインドネシアで暮らしていると、自分の国の歴史が遠い場所の出来事ではなかったことに、ふと気付かされる。

赤と白に込められた意味
市場を歩いていて、もう一つ気になったのが、あらゆる場所に登場する赤と白の国旗の意味だった。
インドネシアの国旗「Sang Merah Putih(サン・メラ・プティ)」は、上が赤、下が白の二色旗。赤は勇気や闘争の精神、白は純潔や誠実さを象徴するとされている。
赤と白というシンプルな組み合わせは、実はモナコやポーランドの国旗ともよく似ている。ただし、配色や縦横比などに違いがある。旅先で「これはどこの国旗?」と聞かれたとき、見分けられたらちょっとレベルが高いかもしれない。

赤いシャツを探しながら歩いたジャティヌガラ市場。そこには、ただ独立記念日用の商品が並んでいるだけではなかった。
歴史、国の記憶、そして今日を生きる人々の日常が、赤と白という二つの色の中に重なっている。何より、この日を心から楽しむ人々の表情を見ていると、この国のこれからの未来に、希望を感じずにはいられなかった。




※写真は全て筆者が撮影(2026.08.16)
アクセス
ジャティヌガラ市場の最寄り駅は、Cikarang Lineの「Jatinegara駅」。
駅の目の前には「City Plaza」というショッピングモールがあり、タクシーを利用する際の目印になる。







