さて、おどろおどろしい見出しの本題はここからになります。
前編はこちら
家庭菜園の惨劇 (前編) 都会っ子おじさんの初めての野菜作り
目次
■恐怖の間引き
ところでー。
貴兄らは “間引き” という言葉をご存じでしょうか。
「間引き」
この口に出すのもおぞましい悪魔の言葉について説明せねばなりません。
間引きとは、苗を密植した状態から少数の苗を残して、他の苗を抜いてしまうことです。
もう少し分かりやすく言いましょう。
先ほどの写真を見てみるとマルチの穴から3~4つの芽が育っていますね。
この状態から2つの芽を残して、後は引き千切らなくてはならないのです。
これは、同じところに固まっていると栄養分を取り合ってしまい、実がなっても元気に育たないからとのことです。
ご理解いただけたでしょうか。
間引きとは、生贄を捧げて全滅を免れるという悪魔の所業のことなのです。
―――――――――――――――――
私A「無理だ! そんなこと僕にはできない!」
私B「じゃあ、全員ダメになっちゃうよ。いいの?」
私A「良くないよ!でもだからといって !」…
私B「じゃあ、何で同じところに種を3つも4つも撒いたんだよ」
私A「!!…。そ、それは、本やネットにそのように種を蒔くって 書いてあったから 」……
私B「そうだよね。芽が出ない子もいるし、芽が出ても元気じゃない子もいるから、多めに蒔いてダメな子は抜いて、元気な芽を残すんだよね」
私A「・・・あぁ」
私B「じゃあ、最初っからそのつもりで種を蒔いたんじゃないか!この偽善者め!」
私A「!!」
―――――――――――――――――
完敗です。
こうなったらもうヤルしかありません。
■惨劇
動物によっては、 ”刷り込み”といって、産まれて初めて見る、動いて声を出すものを「母親」と認識することがあるといいます。
そうなのです。
この子達にとって、私は生まれた時に
「かわいいねー」
と話しかけてきた母親なのです。
もちろんその正体は、メガネで小太りの中年男性なのですが、それは敢えてこちらからは言ったりはしません。「キミ達のママはね、50歳のメタボ男性なのだよ」と、とても私の口からは言える訳がありません。
しばらく雨が降らない日が続いたため、私は毎日水やりに畑を訪れます。
すると彼や彼女らは一斉に
「ママ!」
「ママ!」
と、とても嬉しそうにはしゃぐのです。
そんな子ども達に私は慈愛の表情で水をあげたり、栄養分を横取りする雑草を抜いたりするのです。
しかし、この日は違いました。
枝豆達は私の只ならぬ表情にいつもと違う雰囲気を読み取ったのか、それとも我が身の人生が終わることを察していたのか、私の姿を見ても無言で下を向いたままなのです。
「ごめんね」…
と声をかけても返事はありません。
時間をかけてもお互い辛いだけです。
私は心を鬼にして、同じマルチの穴の中で比較的発育が良くなさそうな枝豆ちゃんを嗚咽を漏らしながら引き千切りました。
その時確かに声が聞こえたのです。
「ママ、ありがとう」
……。
ごめん!
ごめんよ!
生まれたばかりなのに!
「枝豆」という豆を実らすことが前提の名前なのに、豆が実る前に引き千切ってしまってごめんよ!
これじゃあ、「枝豆」ではなく「枝」じゃないか!
そして私は、本当はママではなく、ただのお菓子好きの中年男性なのだよ!
黙っててごめんね!
▼・・・・・・。
そこからはもう堰を切ったように残りの子達を間引きまくりました。
どうか、私を見かけたら自分勝手な理由で我が子を引き千切った鬼畜と思い、侮蔑の言葉を吐き捨ててください。
それが、明るい未来を夢見て、天に向かって芽を伸ばし、志半ばで引き千切られ、棄てられたあの子達へのせめてもの償いなのです。
▼惨劇
さて、
その後、生き残った枝豆ちゃん達は、何とかあの惨劇のショックから立ち直ってすくすくと
育っています。
そして一方、
枝豆ちゃんの種を蒔いたときに苗を植えた、あの長茄子に遂に実が生ったのです。
■待望の第一子
▼遂に実がなった長茄子。
キミは惨劇の後に射す一筋の光です。
間引かれた枝豆達の分も健やかに育って欲しいものです。
嬉しくなり、家に帰ってネットや本で、鼻歌を歌いながらこれからの育て方を確認しました。
しかし。
あぁ、いったい何ということでしょう。
あろうことか、
「茄子は、1~3番果は若取り(育つ前に収穫する)して、株の負担を軽くすると、その後の生育や着果が良くなる」
と書いてあったのです。
またか。
しかし、人間というものは慣れる動物なのです。
まだ実がなっていない他の野菜キッズ達を前に誇らしげにたたずむ、その名の通りの長子である長茄子を無言で鋏で切ってやりました。
北斗神拳で秘孔を突かれるとヤラれたことにも気づかないそうですが、長茄子もあまりに突然のことで、自身に何が起こったかさえまったく気づいていない様子でした。
それはそうでしょう。
自分はこれからどんどん大きく長く育つという志しかなかったのですから。
▼なんとも気の毒な長茄子。ごめんよ。
野菜作りというのはほのぼのしたイメージをお持ちの方が多いと思いますが、かように残酷なものだったのです。
枝豆キッズよ、長茄子の長子よ安らかに。
合掌。
都会っ子おじさんの挑戦はまだ始まったばかり。
まだまだたくさんの知らないことが待ち受けているに違いありません。
野菜作りの真実と向き合い、おじさんは前に進んでいかなければならないのです。
完。