「諦めない強い心」がつくりあげた、秋田県民に愛される「つゆ」【秋田県大仙市】

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〜この記事は、株式会社JTBふるさと開発事業部と合同会社イーストタイムズが共同で取り組んでいる「ローカル魅力発掘発信プロジェクト」から生まれたハツレポです〜

秋田のうまいつゆ「万能つゆ 味どうらくの里」

秋田には、県民に愛されその名を知らない人がいない、醤油と同じように使うだけで郷土料理や煮物や炒め物、または漬け物などが「おいしく決まる」万能のつゆがあります。

とても手軽に使えるおいしいつゆの名前は「万能つゆ 味どうらくの里」。

「万能つゆ 味どうらくの里」を製造している、秋田県大仙市にある東北醤油株式会社・代表取締役の佐竹宏明(さたけ・ひろあき)社長に、県民にこれほどまでに愛される商品づくりのストーリーをうかがいました。

「試作と挫折を繰り返し」ひとりで始めたつゆ作り

佐竹社長は大学を卒業後、栃木県内の会計事務所で企業の経営指導をする仕事をしていました。ある時、妻の実家であり味噌と醤油を造っている「東北醤油株式会社」が経営に困っているという話を聞き、昭和53年(1978年)に入社し経営を立て直す決意をします。

醤油を造っている会社で経営を改善するなら、うどんやそばに使う「つゆ」を造ることを当時の顧問先の人たちに勧められ、そこから佐竹社長の「つゆ」への試練が始まりました。

味どうらくの里誕生秘話https://www.touhoku-syouyu.co.jp/company/story

反対する人もいる中、経験も何もなかったけれど心血を注ぎ試作を重ね、1年をかけて完成させた「つゆ」は発売当初、全く売れずに多くの借金を抱えることになります。

売れるにはどうしたらよいのか、試行錯誤を重ねても経営は悪化するばかり。そんななかでも応援してくれる人たちの助けを得ながら、4年の歳月をかけ徐々に「つゆ」の売れ行きが伸びていったといいます。

一時は責任を取って死んでしまおうとまで考えた佐竹社長でしたが、そのピンチを救ったのは、社長自身が自分に向き合うことで培った「諦めない強い心」だったそうです。

「どうしたらいい」自らに問い続けて出た答え

佐竹社長は若いころ、間借りして住んでいた会計事務所の社長宅で、当時の社長に倣い「禅」の教えにもとづいた「水ごり」や「座禅」などを習慣にしていました。

特に、欠かさず行なっていたのは「夜坐(やざ)」と言って、夜に山の中やお墓の前などで座禅をし、何時間も瞑想をすること。

ただでさえ怖い場所で、蒸し暑い夏の夜であれば蚊に刺されても「刺された事が気にならなく」なるくらい自らと向き合う、そんな時間を季節を問わず毎日続けました。

この習慣は佐竹社長の人生の中で、いく度困難が訪れくじけそうになっても「諦めない強い心」を保つ原動力となりました。

※佐竹宏明社長

佐竹社長の話で何より興味深かったのは、「自分を恐怖の中に置く」という言葉です。

あえて怖い場所に赴き「不安や恐怖心を実感として味わい、極限の中で『どうしたらいい、どうしたらいい』と自らに問う。そこで出てきた答えが三方良しにつながればそれでいい」のだと。

近江商人の教えとして伝えられる「三方良し」という言葉は、「売り手良し、買い手良し、世間良し」という理念を持ち、互いが喜べる取り引きが利益を生み、利益還元を心がけることで世の中の役に立つという意味合いがあります。

どんな苦しい状況においても諦めず自己と向きあうことで、「三方良し」の答えを見つけ、それを行動に移し実践していくこと。

佐竹社長はそれを続けた結果、秋田の県民に愛される「つゆ」を造ることができたのです。

利益を自分だけのものにせず、世の中に還元していく

※味どうらくの里を使用した秋田の郷土料理

「三方良し」の経営理念をもとに、世の中の役に立つことのひとつとして、東北醤油株式会社では消費者から商品を使ったレシピを募り「口福(こうふく)レシピ」としてホームページやSNSで公開しています。また、各地で料理勉強会などの開催をし、「味どうらくの里」などの商品を使うことでより簡単においしく作る方法も伝えています。https://www.touhoku-syouyu.co.jp/recipe

「会社が繁盛したら利益を自分だけのものにせず、まわりに還元していかないといけない」と、その言葉どおりに地元自治体や学校や幼稚園などへの寄付も積極的に行っています。

「諦めない強い心」がつくりあげた「つゆ」。

本当においしい料理が手軽に作れます。

その料理を味わっただけで、そのおいしさをまた誰かに還元したくなる。そんな「つゆ」をぜひお手元に取り寄せてみてはいかがでしょうか。

天野崇子

天野崇子

秋田県大仙市

編集部編集記者

第1期ハツレポーター/1968年生まれ。東京の人と東京で結婚したけれど、秋田が恋しくて夫に泣いて頼んで一緒に秋田に戻って祖父祖母の暮らす家に入って30年。

ローカリティ!編集部の一員として、みなさんの心のなかのきらりと光る原石をみつけて掘り出し、文章にしていくお手伝いをしています。

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