オリンピック種目に選ばれ、CMやTV放送など目に触れることが多くなり久しい「サーフィン」。 自然と対峙し、様々な教えも享受できること、爽快感を味わえることなどから、近年宮古島でも競技人口が増えつつあります。
今回は宮古島唯一のサーフボード工房「ウルカサーフボード」の代表:上里由多佳(ウエザトユタカ)さんを取材しました。
目次
「無いから作るしかなかった」サーフボード工房を宮古島で創業したきっかけ
上里さんの出身地、宮古島市城辺砂川(ミヤコジマシグスクベウルカ)から名称に取り入れた「ウルカサーフボード」。創業20年とキャリアは長くサーフボードの制作、修理の全般をこなし、島のサーファーから絶大な信頼を得ています。
創業のきっかけを尋ねると「無いから作るしか無かった」と上里さんが一言。
当時の状況を詳しく聞いてみると、「宮古島にはサーフギアはほとんど無く、通販しか手段もないし、送料も高い」サーフィンを気軽に楽しめる存在とするには「作るしか無かった」と当時を語ります。
当時は情報がないため、想像で作り、トライ&エラーを積み重ね基礎を築き上げつつ、ローカルサーファーからのフィードバック、ご縁の繋がりで外部から指導もあり、さらなる改良に余念がない上里さん。
また、材料も島にはなく、本土、場合によっては海外から取り寄せる事も。離島ならではのハンディを感じます。
「計算通りに制作ができた時と乗り手からの良いフィードバック」代表が語るサーフボード製作のやりがい
上里さんにサーフボード制作のやりがいを聞くと、2つ答えてくれました。
①嬉しいのは、想像の計算と、実践で思うような成果が得られること。
②乗り手と島の波を計算し作り上げるボードが、乗り手からとても良いフィードバックを得られた時。
彼ならではの言葉に、職人魂を感じました。
「みんなで楽しみつつ大事に守ってきた歴史を意識してほしい」宮古島でサーフィンをする人、これからサーフィンを始める人たちへ一言
「ポイントは最初からあるわけではなく、創った人がいる事実。
島中くまなく探したローカルが、トライアンドエラーを重ね発見した場所であり、みんなで楽しみつつ大事に守って来た歴史があります。
サーファーなら、この部分を少しでも意識してほしい」と上里さん。
筆者としても、全国のサーファーがリスペクトの心を持つことで、トラブルも減るのではないかとしみじみ思います。
「地元にこだわったボード作りで宮古島の特産物として名乗りをあげたい」
島の波を想定して削るなど、地元にこだわったボード作りを根底に置いている上里さん。 次のステップは、宮古島の素材を活かしたボード作り。
宮古上布や、沖縄の伝統柄をモチーフにしたり、素材にサトウキビの繊維を配合したり、新たな宮古島の特産物として、名乗りを上げることも目標の一つです。
また、ロゴなど作り上げる独自のデザインスキルを活かした製品のアイディアも多数温めており、今後の展開が楽しみな一人です。
上里さんの情熱は、試行錯誤しつつ積み重ね、様々な出会いをチャンスと捉え、周りの協力も得ながら進化し進んでいく姿は宮古島方言の※「アララガマ魂」そのもの。
今後注目される存在の一人として島の発展へ大きく貢献することでしょう。
※アララガマ魂とは、宮古島方言で「不屈の精神」です。