「白鷺城(しらさぎじょう)」の愛称で知られる、兵庫県姫路市の世界文化遺産「姫路城」。そのお膝元に広がる城下町に“ぐじゃ焼き”という知られざるの鉄板焼きがある。今年で開業50年。たった一人の“名物おばちゃん”によって守られてきた姫路の味だ。ぐじゃ焼きが愛され続ける秘訣は何だろう。おばちゃんが愛する姫路とは、どんな町だろう。
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姫路人の歩き方
兵庫県の南西部。JR姫路駅から姫路城まで、「大手前通り」を真っ直ぐ歩けば20分。お土産屋や流行りのコーヒーショップが並ぶ。姫路を訪れる観光客のほとんどは、この通りを歩いて姫路城に入城し、お土産を購入して帰っていくという。
他に歩き方はないものか。信号待ちの時間、人力車を引っ張るお姉さんに聞いてみた。どうやら「姫路人だけが知る歩き方」が大きく3つあるようだ。
1つ目は、姫路城の外堀を散策。現在の大天守が築かれてから、およそ400年。「世界に誇る日本の城郭の造形美」と賞賛される姫路城は、山の頂に建てられており、東西南北で違った顔を見せてくれる。昔の正門の跡など、新しい発見があるそうだ。
2つ目は、パワースポット巡り。縁結びの神社として人気の「播磨国総社・射楯兵主神社(はりまのくにそうしゃ・いたてひょうずじんじゃ)」は、負け知らずの天才軍師・黒田官兵衛ゆかりの地でもある。また城の南東に位置する男山頂上付近の「男山八幡宮(おとこやまはちまんぐう)」からは、樹林の上に浮かぶ姫路城を写真に収めることができる。
3つ目は、城下町散歩。古き時代と新しい時代が交差するまち並みを楽しむ。江戸時代以前から姫路城を中心に生活してきた庶民の名残が垣間見られるかもしれない。
今回紹介する「ぐじゃ焼き 森下」は、そんな城下町の片隅で営まれている小さなお店。姫路人の城下町散歩では評判のスポットだ。
姫路の味 “ぐじゃ焼き” とは!?
ぐじゃ焼きは「ぐじゃ焼き 森下」でしか食べられない。秘伝のソースを使った粉物であることは確かだが、もんじゃ焼きでもお好み焼きでもない。
「名前に大した理由なんてあらへん。ぐじゃぐじゃに焼くから“ぐじゃ焼き”。お好み焼きの生地をほぐしながら焼いたらな『柔らかくて美味しい!』って評判になってん」
そう話して笑うのは、自称「ぐじゃ焼きおばちゃん」こと森下友枝(もりした・ともえ)さん。「この店始めたんが28歳。それから50年足したら今の年齢なるわ」と、尋ねなくても年齢を教えてくれる気さくな人だ。
28+50。足すのは簡単だが、想像に難しい。半世紀ほぼ休まず、スタイルを変えずに営業してきた。自宅の一室を改築した店舗の日常的な空間は、おばちゃんとお喋りする特等席だ。地元の食材。自家製ソース。ビールは冷蔵庫からセルフサービス。味の決め手となる鉄板下の熱源は、今も昔も練炭が担っている。ここで焼かれるキャベツの香り。たまらない。
「あんたも商売するなら、道の角っこでお店始めるんやで。目につくから人が寄ってくる。あたしみたいに」
腹を抱えて笑っているうちに、ぐじゃ焼きが出来上がった。手際良くほぐされたキャベツと生地に、人気具材のスジ肉やイカゲソを注文した。鉄板のパリパリお焦げをヘラで剥がし、ぐじゃぐじゃ生地に被せたなら、秘伝のソースをかけて完成だ。
姫路の味は、おばちゃんのボケとツッコミが入ることでより味わい深くなる。コロナ禍の憂鬱(ゆううつ)な気分も笑いに変えてくれるお店。こちらの心まで“ぐじゃぐじゃ”にほぐされていった。
50年見守り続けてきた城下町で
「なんで?ってあんた、ここがわたしの家やからや」
この地で開業したきっかけを尋ねたが、商売や地域おこしのような言葉は聞こえてこない。ぐじゃ焼きは、ずっとおばちゃんの生活の一部だ。
お店から見える姫路の風景は、50年で随分変わったそうだ。開業した当時は近くに市場があり、大勢の人で賑わっていた。いつしか市場が閉まるとまちの外へ引っ越す人も増え、同じ通りで新たに開業する人はしばらくいないという。今は人通りの少ない通り。お店を続けてこられたのは「お客さんのおかげ」。感謝しかないという。親子三代にわたって通ってくれる人、散歩のついでに顔を出してくれる人、それぞれの万感の表情が瞬時に蘇るそうだ。
「人に媚びず、富貴を望まず」
NHK大河ドラマで、黒田官兵衛の生き様と名言が世に知れ渡ったのは2014年。姫路の町は注目され、駅から城へ続く大手前通りは急速に整備されていった。そんな格言も流行も知らない昔から、人知れず官兵衛の言葉を体現してきたのがおばちゃんだった。
戦国武将に詳しいわけでもなければ、テレビでお笑い番組も見るわけでもない。ましてやSNSで店の宣伝などしたことがない。それでもお店には、連日、足を運ぶ客がいる。壁には芸能人の写真やサインが並ぶ。
「この人がどんだけ有名かは知らんけどな。話してておもろい人やったから貼ってんねん」
よく見れば誰でも知っているような大御所ばかり。今でも頻繁に電話で近況を話し合う間柄の人もいるらしい。
帰り際、おばちゃんが50年間で一番苦労したことを聞いてみた。返ってきた言葉に息が詰まり、続けようと思っていた質問を飲み込んだ。
「今やな。コロナ禍が今までで一番しんどいわ」
そう言って初めて表情を引き締めた。他の誰でもない。この場所で何度も修羅場をくぐり抜けてきた、ぐじゃ焼きおばちゃんの肉声だから切実に響く。
「あの頃は大変やったなぁ。でも今楽しいからええねん」
数年経ったら、この店でそんな会話をしてみたい。そんな夢想にしばし耽(ふけ)った。コロナ禍の苦労話も、“ぐじゃぐじゃ”にされた隠し味の一つにならんことを。姫路人の歩き方。姫路の味。それらが広く世に知られるきっかけにならんことを。SNSを開かないおばちゃんの代わりに、私は筆を走らせることにした。記事に載せるため、フルネームを聞いてみる。
「わたしの名前か?友枝や。と・も・え。ちっちゃい頃は自分の名前が嫌やってん。周りの友達がみんな『子』付く名前やったからな。でも今はな、両親が名前に込めてくれた願いに感謝感激やねん。『たくさん友が寄ってくる枝になるように』言うてな。おかげで姫路の友達もお客さんもぎょうさん(たくさん)寄ってくれるようになったわ」