
「野菜嫌いだった子が、パクパク食べてくれるんです」
山梨県都留市。富士山から湧き出す清流が流れるこの町で、自然栽培に取り組む「百笑 有田農園(以下、百笑)」には、そんな驚きの声が次々と届きます。
難病を食で克服した経験から生まれた「子どもたちに本物の味を届けたい」という強い思いを持つ有田竜さん、惠未里さん夫妻。東京から移住し、地域の人々に支えられながら夫婦二人で育てる野菜。お二人の農業へのこだわりを伺いました。
目次
子どもが思わず笑顔になる、野菜本来の味
「何この味!おいしい!」
普段は食に興味がなかった子どもが、ミニトマトを一口頬張った瞬間、目を輝かせました。子どもたちが、おいしいと言って食べるのは、野菜本来の甘みを持った野菜だからこそです。
「スーパーの小松菜は食べられなかったのに、百笑さんの小松菜なら食べられるんです」「オクラが本当に嫌いだった子どもが、パクパク食べています」
野菜セットを注文する保護者たちから寄せられるメッセージには、我が子の成長を喜ぶ親心があふれています。そして、ポリポリと野菜を食べる子どもたちの動画が、有田さん夫妻の原動力になっています。

「特別な味付けをしなくても、塩だけで、あるいは生のままでおいしい、野菜本来の味を知って欲しいんです」
百笑さんの野菜は、小松菜は生でサラダとして食べられるほど甘く、ほうれん草は「砂糖を食べているみたい」と表現されるほど。この圧倒的な甘みと香り、そして野菜本来の力強い味わい。これは、有田さんが選んだ「自然栽培」と「固定種・在来種」へのこだわりから生まれています。
病をきっかけに、辿り着いた「食」
有田さんが農業の道を選んだのは、30代前半に経験した難病がきっかけでした。
突然発症した潰瘍(かいよう)性大腸炎。原因不明で、難病指定されているこの病気は、下血から始まりました。体重はみるみる落ちていき、1日に十数錠もの薬を何年も飲み続ける日々を送っていたといいます。病状は良くなったかと思えば、また波が来て悪化する。その繰り返しでした。
「薬は症状を抑えるためのもの。自分の免疫や体の構造を変えなければ、完治はしないと思ったんです」
転機となったのは、「食を見直そう」と言った奥様の一言。食生活を和食中心に切り替え、できるだけ添加物を取らず、暴飲暴食をやめました。
西洋医学の薬は即効性があり、食事の改善と並行して何年も症状を抑えることができ、体を楽にしてくれました。しかし、根本は変わりません。
東洋医学の先生にも診てもらい、毎日漢方を煎じて飲む。睡眠やストレスにも気を配り、規則正しい生活を心がけました。何年もかけて、少しずつ体質を変えていきました。
数年後、症状は完全になくなったのです。難病指定の病気が、食によって克服されました。現在は薬も一切飲んでいません。
「食べ物には、良くも悪くも体を変える力があることを知っている。だから、安心安全な良い野菜を、多くの人に食べてもらいたい」
この思いが、有田さんを農業へと導きました。
自然と人のバランスを守る、自然栽培という選択
東京から都留市へ移住した有田さん夫妻が選んだのは、農薬も化学肥料も一切使わない「自然栽培」でした。
「人間だけじゃなく、環境にも負荷をかけたくない。自然を大切にしたいんです」
有田さんの言葉は、自身の病気体験から生まれた哲学と深く結びついています。

「土の中には、枯れた草を発酵させて肥料にしてくれる菌もいます。それは人間のおなかも同じ。添加物を摂り過ぎて、腸内のバランスが崩れたから、病気になってしまう。土も同じで、農薬を入れてしまうと必要な菌も殺してしまい、バランスが崩れてしまいます」
自然栽培の畑では、不思議なことが起こるそうです。バジルを10本植えると、1本だけに虫が集中し、他の9本には全然つかない。その1本が「犠牲」になることで、全体のバランスが保たれます。
化学肥料を使わないと、植物は自らの力で生きようとします。根を深く張り、寒さに耐えるために糖分を作り出す。その結果、野菜本来の甘みと栄養が凝縮されるのです。
手間を惜しまない、自然と共にある農業
自然栽培だからこそ、有田さんは様々な工夫を凝らしています。
一つは「コンパニオンプランツ」。相性の良い植物を混植することで、互いの成長を助けたり病害虫を抑制したりする方法です。この組み合わせを意識することで、自然の力を生かした栽培が可能になります。
もう一つが「垂直栽培」という農法です。
「植物の枝は普通、横に広がっていきます。でもそれを垂直に縛ることで、植物のホルモンを重力に乗せて最短ルートで根に届け、成長スピードを最大化します。自然の力を味方につけて、たくさん収穫できるという方法があるんです」
有田さんは今、この垂直栽培を実験的に取り入れています。自然栽培でありながら、収量を増やす——それは、より多くの人に安心安全な野菜を届けるための挑戦です。
もちろん、苦労もあります。除草剤を使わないため、草取りは永遠に続きます。田んぼ2.5反の端から端まで草を取り終えたと思ったら、スタート地点にはもう新しい草が生えている。夏場は特に過酷だといいます。
それでも、有田さんは草を敵とは見なしません。
「草があることで、直射日光を遮断し、畑の保水力も保たれるんです。近年の猛暑で、草のない畑は砂漠のようになってしまう。だから、草を少し残して下の方を刈り、それを倒して敷く。草を敷き詰める感じです」
自然と共生する農業。手間はかかりますが、環境を守り、次世代に美しい土地を残すための地球にやさしい取り組みです。

種をつなぎ、未来を守る
百笑さんのもう一つのこだわりが、「固定種・在来種」の栽培です。
現在スーパーで流通している野菜の多くは「F1種」と呼ばれる品種改良された種です。病気や害虫に強く、形がそろい、大量生産に向いています。これまで今の日本の食生活を支えてきた大切な農法です。
ただし、F1種には一つの特徴があります。F1種野菜で採取した種は同じ性質の野菜がそろって育たず、毎年新しい種を用意する必要があります。
一方、固定種・在来種は、その土地で何年も何年も受け継がれてきた種です。種を採り続けることができ、その地域の気候・土壌にも順応していき、強い種になります。野菜本来の旨味と香りが濃いのも特徴です。
「にんじんは分かりやすいですね。固定種のにんじんは、まさに『にんじんらしい』強い香りと味わい。ほうれん草は、甘すぎて驚くほどです」
有田さん夫妻が、手間のかかる固定種にこだわるのには味や香りのほかに、こんな理由もありました。
「もし災害が起きて、海外から種が輸入できなくなったとしても、固定種の種を持っていれば、次世代につなげていける。食を自ら作れることは、命を守ることだと思うんです」
種を採り、また植える。その循環を守ることは、有田さんにとって、子どもたちの未来への責任でもありました。
都留市の清流と人々に支えられて
有田さん夫妻が都留市を選んだのは、川の美しさに魅了されたからです。もともと自然が好きで、キャンプによく出かけていた二人。富士山周辺を訪れる中で、都留市の清流の美しさに心を奪われました。

移住当初は、家庭菜園レベルの60坪ほどの小さな畑からスタート。ところが、誠実に野菜作りに取り組む姿を見た近所の人たちが、次々と声をかけてくれました。
「使わない土地があるから、使ってもらえる?」
信頼が信頼を呼び、現在は、都留市の夏苅、西桂町、に田畑を所有しているといいます。
「『新しい土地で大丈夫かなぁと』ドキドキしながら来たんです。でも、都留市の方々は本当に優しい人たちばかり。使わなくなった機械を譲ってもらったり、いろいろと助けていただいています」
地域の温かさに支えられていると、有田さんはとても幸せそうに話します。
暮らしの中にある、百笑 有田農園の食育
農園を営むのは、夫婦二人だけです。
現在、畑と田んぼ合わせて5反歩。季節ごとに大根、白菜、じゃがいも、トマト、きゅうりなど、少量多品目で野菜を育てています。いろいろな畑から収穫した野菜を、一つ一つ袋詰めして、ダンボールに詰めます。

この作業はとても大変だと奥さまは笑いながら語ります。一つの野菜を大量に作る方が効率的です。でも、お客様に喜んでもらいたい。一つの箱で様々な野菜がそろう。その喜びを届けたいから、手間を惜しみません。
「すごく喜んでくださる方がたくさんいるので、やめたくないと思っています。今後は、ちょっと大変だけど、続けていけるようなやり方に変えていこうと話しているところです」
365日休みなしの農業。それでも、家族の時間を大切にする工夫もしています。
小学2年生の娘さんは、よく畑に一緒についていきます。畑で虫を追いかけたり、アゲハチョウを捕まえたり。田植えの時には、泥んこになって楽しそうに手伝ってくれます。
夫婦で畑に立ち、子どもが横で遊ぶ。その光景こそが、有田さんが目指す「食育」の原点なのかもしれません。

子どもたちの未来への種まき
「百笑 有田農園」この「百笑」という名前には、深い思いが込められています。
「実は娘の名前の1文字からとっています。娘が笑うという意味ではなく、今後たくさんの子どもたちが将来、食に困らず、健康でいられて、笑っていられるようにという思いで百笑という名前にしました」
そしてもう一つ、大切にしていること。それは、自分たちも楽しく農業をすることです。野菜やお米にその楽しさが伝われば、元気に育ってくれると信じています。
有田さん夫妻の大きな夢。それは子どもたちに体験してもらいたいという思いです。
「自由に田植えを体験できる場所を作りたい。お米がどこからできるのか、野菜がどこからできるのか、肌で感じてほしい」
東京にいる友人からも「子どもに体験させたい」という声が届くそう。土に触れ、苗を植え、収穫し、食べる。その一連の体験を通して、植物の本当の姿や成長過程を子どもたちは五感で感じ取っていくはずです。
泥や土で遊ぶだけでもいい。その経験が子どもたちの考える力や、心の栄養になると感じています。自然の中には、体験を通してしか受け取れない学びが、無限にあるのです。
現在、百笑さんでは干し芋や野菜パウダーなどの加工品開発にも挑戦しています。素材の甘みをそのまま生かした干し芋、離乳食やパンケーキに手軽に使える野菜パウダー。形を変えても、自然栽培の野菜が持つ「おいしさ」は変わりません。

「都留市には本当に感謝しています。だから、農業を通じて都留市を盛り上げたい」
夫婦二人で続ける小さな農園。でも、そこから広がる思いはとても大きいと感じました。
最後にこう話してくれました。
「全ての農家が自然栽培をするのは難しい。多くの人に野菜を届けるためには、大量生産も必要だから。でも、僕らは自然に負荷をかけない選択をしたい」
この選択は、簡単ではありません。それでも、自分たちの健康、子どもたちの未来、そして地球環境を守りたいから貫く。有田さんからは、強い信念がうかがえました。
百笑さんが届けるのは、野菜だけではありません。
それは「本来の味」であり、「健やかに生きるための体作り」であり、そして次世代へとつながる食の大切さのあり方なのです。
情報
百笑 有田農園
山梨県都留市
百笑 有田農園公式サイト:https://hyakusho-arita.stores.jp/
百笑 有田農園Instagram:https://www.instagram.com/hyakusho.aritanouen/?hl=ja





