末永さんはこれまでに2度、日本縦断をしていて、最南端は沖縄県豊見城市、最北端は北海道斜里町まで行ったことがあるという。赤字を出してまでも遠くまで重い車を走らせてやきいもを売る理由は何なのだろうか。
1つは、西原村のさつまいもを知ってほしいということだ。しかし、それだけではない。
末永さんは、災害ボランティアとして自ら全国各地に足を運び、汗を流している。熊本地震だけでなく、2011 年の東日本大震災の時もボランティアとして被災地に入った。やきいもカーを作ってもらった知り合いは、その時に気仙沼で知り合った人だ。
ボランティアの現場で見た光景を、末永さんは忘れることができない。末永さんは、被災地で知り合った人たちとその後も交流を続けてきた。その結果、みんなに愛されるやきいも屋さんが生まれたのだ。
末永さんと話をしていても災害の話が前面に出てくることはないが、よくよく話を聞いてみると災害支援をした縁で熊本のさつまいもを使ったり、気仙沼の知り合いに車の改造をお願いしたりしたということが分かる。
末永さんは、一度食べたら絶対に忘れることができないやきいもを作りたいと言う。おいしいものは長く人の記憶に残るものである。あえて災害の話をしなくても、おいしいやきいもを覚えてくれていて、何かのきっかけで震災の話を思い出してくれればいい。そんなふうに末永さんは考えているのかもしれない。
ドゴダリカグダリ号が順調に走り始めた2019年10月、末永さんの地元大崎市鹿島台も災害に見舞われた。台風19号により近くの川が決壊し、鹿島台地区が水浸しになったのだ。幸いにも人的被害はなかったが、浸水した家が多数あり、避難所暮らしが続いた方々もいた。
そんな中で末永さんは、地元の復旧ボランティアとして先陣を切って作業した。SNSで災害ボランティアの情報を発信し続けてその輪を広げるとともに、市のボランティアセンターが閉鎖した後も被災した農家の片付けなどを手伝った。
少し落ち着いた頃、末永さんは地元の人たちとも協力して、避難所でやきいもを振舞った。これからの生活がどうなるのか先が見えない避難所暮らしの中、見知った人が焼いてくれる甘くて熱々のやきいもは、避難されていた方にとってどれほど嬉しかったことだろうか。末永さんをよく知る地元の人たちにとって、その味はきっと忘れられないものになっただろう。
人の記憶は頼りない。世の中の人たちは大きな災害があってもしばらくすると忘れてしまう。遠くで大きな被害があっても、自分のところは大丈夫と思ってしまうのが人間だと思う。
しかし、普段から防災の意識をしているのとそうでないのでは、実際に災害が起きたときの対処や被害はまったくもって違ってくるだろう。そのような防災意識であったり災害支援をしてきた思いを、末永さんはやきいもというツールをきっかけにして考えてもらおうとしている。
「やきいもで世の中を変えたい」と末永さんは語る。
災害を忘れないということもそうだが、末永さんのやきいもを食べた人はみんな笑顔になる。おいしい食べ物は人々を幸せにするのだ。そういう小さな幸せを一つ一つ積み重ねていったら、世界全体が笑顔に包まれるのではないか。それを末永さんは全国を回る中で実感しているのだろう。
初対面の人にも冗談を言ってしまうようなとても気さくな末永さんだが、話す言葉には何か強い信念を感じることができる。
末永さんが話すと、本当にやきいもで世の中が変わるかも、と筆者は思う。コロナ禍となり、遠方での販売はしばらくできなくなってしまっているが、地元大崎市での販売は続けている。
最近は研究に研究を重ねて作る1本1万円の至極のやきいもを開発したり、地元の神社で祝詞をあげていただいたご利益のあるやきいもを販売したりするなど、聞いた人がびっくりするようなプロジェクトも行っている。
しかし、そのやきいもが本当においしいので地元の一部で話題となり、大人気のやきいも屋さんになっている。
3月11日、東日本大震災から10年が経った。2月には再び宮城・福島で大きな地震があり、10年前を思い出した人も少なくなかっただろう。
災害はいつどこで起こるか分からない。末永さんは、もしまたどこかで災害が起きたら現場に駆けつけるのかもしれないが、これからも西原村のさつまいもの味を広めるべく、できる限りやきいも屋を続けていくと話す。
防災の意識は本当に大切だし、それを思い出させてくれる末永さんは素晴らしいと思うが、まずは何よりこのやきいも、本当に絶品なのでぜひ一度ご賞味いただきたい。
これからのドゴダリカグダリ号の展開がとても楽しみだ!
(おわり)