「未来の自分へ還る仕組み」大潟村から食・健康・環境の安全、人のつながりとお金の循環を目指す【秋田県大潟村】

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あきたの物語」は、物語をとおして「関係人口」の拡大を図ることで、県外在住者の企画力や実行力を効果的に生かした地域づくりを進め、地域の課題解決や活性化を促進する事業として秋田県が2023年度から始めました。秋田県や秋田にまつわる「ローカリティ!」のレポーターや地域の関係者が、秋田県各地の人々の活動を取材し「あきたの物語」を執筆して秋田県を盛り上げています。

【大潟村】カタマルシェ現地サポーター募集あきたの物語2023

大潟村で生まれ人気を博しているイベント「カタマルシェ」の運営サポートをご一緒できる方を募集します。

「カタマルシェ」の仕掛人~明平冬美さん~

※公園に次々と訪れる人たち

今から半世紀以上前に日本農業のモデル農村を目指し、日本で2番目に大きな湖を干拓し作られた秋田県大潟村。

2023年7月2日(日)、かねてから心配されていた雨の予報にも関わらず、雨雲が吹き飛ぶような賑わいのなか「カタマルシェ」が開かれ、村の人口を超える3200人もの人が、会場である大潟村の生態系(せいたいけい)公園を訪れました。

そのマルシェを仕掛ける、明平冬美(あけひら・ふゆみ)さんを訪ねて、カタマルシェに潜入しました。

明平さんの理想のイメージがすべてつながった!「カタマルシェ」

※公園内を巡る大人気のトラクター馬車

心地よい音楽が流れ、小さな子供連れの親子とおじいちゃんやおばあちゃん、愛犬と共に訪れる人たちの会話が、あちらからもこちらからも聞こえてきます。14.7haあるという、広い公園内の一部で開かれる「カタマルシェ」。

※お昼時のキッチンカーからは美味しそうなかおりが漂う

キッチンカーや魅力的な出店の数々を巡り、力強い太鼓の音に酔いしれ、秋田県立大学の学生の竿頭の演技に魅了され、おばあちゃんの昔語りの紙芝居に真剣に聞き入りながら、それぞれが芝生に寝そべったり、自由に時間を楽しんでいます。

※「八郎太鼓 龍勢会」の力強い演奏に大勢の人が集まる

※秋田県立大生による竿頭の圧巻の演技
※みほばあちゃんの昔語り 皆真剣に聞き入る

これは明平さんが描いていた理想のイメージだったそうです。明平さんがカタマルシェを開こうと思ったきっかけのひとつにこんな理由がありました。

「大潟村は有機栽培に取り組む農家さんがとても多く、有機野菜やお米を買える場所があることをたくさんの人に知ってもらい、買ってもらいたい。そして、自分自身が子供を連れていろいろなイベントを訪れた際に、安心して子供に食べさせられるものが少ないと感じたので、それを全部可能にできるマルシェが欲しい、そこで考えついたのがカタマルシェなんです」

子供ができて、子供を育てるうちに今まで気づかなかった健康や食の安全、環境のことに目が向くようになり、その答えが大潟村にあるのではないか、と思い始めたのが最初のきっかけだったそうです。

そんな大潟村と明平さんの出会いは数年前にさかのぼります。

食と健康と環境の安全と、安価で広い住環境を求めて大潟村へ移住

明平冬美さんも夫の樹(たつる)さんも共に秋田市生まれ。夫婦で飲食店を経営していましたが、子供が生まれたことで、生活環境を見直すことに。「大潟村は県内で唯一消滅都市を免れたすごいところ」と、夫が明平さんに大潟村への移住の話を持ちかけたのが大潟村との出会いだったそうです。

※カタマルシェのホームページの作成やイベントの音響を担当している夫の樹さんと明平さん

それから子供を連れて大潟村に度々訪れるようになり、有機栽培米や野菜が手軽に購入でき、コンパクトで住みやすいうえ、土地が安く広い家を建てることができるこの土地にどんどん惹かれていったといいます。

移住するにあたっての大きな問題は仕事。大潟村で何ができるのかを探るうち、地域おこし協力隊という任務があるのを知り、自分がその時に思っていたことが実現できるのかもしれないと、地域おこし協力隊に着任し大潟村に移住したのだそうです。

大潟村に住み、地域おこし協力隊として村の人と関わるうち、村民たちがそれぞれの知識や才能を活かした活動団体が多く存在することを知り、その人々の知識や力を活かしたいと考えました。現在カタマルシェはその力が大きな土台となって運営されています。

カタマルシェで有機野菜を販売していた、村内で「かやもり農産」を経営している栢森慶子(かやもり・けいこ)さんは、「現在、息子が跡を継いでくれて一緒に農業をしています。ここは全国から入植者が集まった村。みんなが移住者だから外から来た人を嫌いません。だからこそ住民のつながりも強い。そして外から来た人を受け入れる力がある場所なんです」と話してくれました。

※自身の農園で収穫した有機野菜を販売する栢森さん

明平さんは住環境や安全安心な食などはもちろんのこと、それにも優る、ここに住む人々の「農業に対する姿勢、景観や環境に対する取り組みや意識が高いところがとても素敵なんです」と、その魅力を感じています。

「日本農業のモデル」国をあげた大事業によって生まれた村。だからこそ住民の意識の高さがある。

大潟村のある場所はかつて八郎潟と呼ばれ、琵琶湖に次ぐ日本で2番目の広さを誇る湖でした。

※大潟村の周囲に残る「八郎湖」

現在、干拓地の周囲に残された水域を「八郎湖」として、大潟村をはじめとする隣接市町の農業用水として利用しています。現在もワカサギやシラウオをはじめとした漁場としても知られています。

干拓前の八郎潟の魅力について、
「江戸時代の紀行家の菅江真澄が八郎潟の魅力的な文献をたくさん残しているんですよ」

出店者のひとりで、八郎湖の水質悪化などの改善などを目的としたプロジェクトのブースで、水生生物や大潟村と水のかかわりを「消しゴムハンコ」を通して子供たちに伝えていた横手市の冨岡慎太郎さんは、菅江真澄という、秋田の自然と民俗を訪ね多くの図絵を残したという歴史上の人物が、八郎潟について多くの記述を残しているのだと教えてくれました。

※八郎湖の豊かな環境を観察することで、楽しみながら環境の再生を目指す、八郎潟モグリウムプロジェクトのメンバーと冨岡さん(ブース内右端)

そんな八郎潟を「国の世紀の大事業」として干拓し、新しく生まれた大地を「日本農業のモデルとなる、生産や所得水準の高い農業経営によって、豊かで住みよい農村社会をつくる」ことを目的とし1964年(昭和39年)に誕生した村が大潟村です。そして、1966年(昭和41年)から5回にわたり入植者の募集が行われ全国各地の希望者から選抜された入植者たちが集まり、村づくりが行われたのです。

※大潟村の衛星写真。周囲を調整池(八郎湖)として残し、その土地のほとんどが農地。中央西部の一角690haの土地が総合中心地と呼ばれ、村民全てがここに住んでいる。

「人工で作られた村だからこそ、環境を大事にする意識が高いのかもしれない」

役場や病院、買い物をしたり、生活のほとんどはどこへ行くにも数分という、コンパクトに設計された住みやすい総合中心地。総合中心地には住区が設けられ、住区ごとに草刈りや、道路沿いに花を植えたりさなぶりを行うなどの活動が行われています。大潟村の住民の景観や環境に対する意識の高さは、明平さんがそれまで感じたことのないものだったそう。

※整然と広がる大潟村の田園風景

秋田県は高齢化と人口減少の波を受け2010年から2040年にかけて、25あるうち24市町村が消滅する可能性があると、民間研究機関による研究の結果が2014年に発表されましたが、消滅自治体を免れた唯一の市町村、それが大潟村なのです。

最初の入植者が入村して現在約60年経ちますが、大潟村の人たちは常に新しい農業や経営に関する取り組みを行っているため、進学のために町外や県外に出た子供たちが戻ってきて後継者になることが、他の地域に比べ多いのだそうです。住民たちの農業に対する姿勢や環境に対する意識の高さが後継者にも影響があるのかもしれません。

「いいとこなのにもったいない。この場所にお金を落とす場所をつくらなきゃ」大潟村から、「未来の自分へ還る仕組み」を作り上げていく

※子供たちも思いっきり走り回る

「生態系公園は本当に素敵な場所だからたくさんの人に知ってもらいたかった。実際に来てくれた人みんながいいところだねって喜んでくれるし、出店者として参加した人もとても喜んでくれるんです」

そんな場所でカタマルシェをする意図を「健康に意識の高い、身体にも自然にも優しいオーガニックな食べ物を扱う出店者さんを集めることで、食育を学ぶというより、ここに来るだけで自然にそういう食べ物に関心を持ったり健康を意識できるようになればいいなと思ってます」と話します。

※素材にこだわる魅力的な出店者の数々orオーガニック志向、無添加志向の魅力的な出店者の数々

「この取り組みをつづけることで有機栽培などの需要が増え、地域農家の経済的な安定をもたらし、さらにその取り組みに賛同して下さる関係人口が増えることで、地域経済の安定化も図ることができます。将来的にそれが環境に負荷をかけない農業の推進にもつながっていくんです」
明平さんの頭の中に描いていたイメージ、それはまさに未来の自分たちに還ってくる仕組みなのです。

現在カタマルシェは常に新しい農業への取り組みをしている住民と、生態系公園の近くにキャンパスを擁し、農業に関連する幅広い経済活動を学ぶ秋田県立大生にも関わってもらっています。

明平さんは実際のところ、もともと村内にあった商店などが閉店して、外から訪れてくれた人にお金を落としてもらえる場所が全くないことを危惧し「大潟村は本当にいいところなのにもったいない。この場所にお金を落とす場所をつくらなきゃと思ってやっています。自分が作った仕組みが地域社会の多くの人に認知され、自分がいなくても商業などの形でこの場所に残り、関わってくれた人に還元されて、さらに自走していくところを目指せれば」と話しています。

苦労してる事はないの?という問いに、「苦労はそんなにないんです。イベントを村のみなさんに楽しんでもらいたいのに、農繁期などの理由でみんなが参加できる日程の調整が難しいのが唯一の課題かな」。逆に、 嬉しいことは?の問いには「村の皆さんが村の誇りになるイベントになってほしいと言って手伝ってくれることが何よりもうれしい」と明るく笑います。

今回インタビューした皆さんが口を揃えて話していたのは、「明平さんがいなければこんな仕組みは生まれなかった」という言葉。明平さんがカタマルシェにかかわる人たちの才能や個性を引き出し循環させている様子が容易にイメージできます。

※出演者や出店者と打ち合わせをする明平さん(写真左から2番目)。寸分の休みもなく動き回る。

しかし、課題はまだまだ数多くあります。「大潟村には菜の花ロードなど期間の限られた観光ポイントはあるものの、菜の花を見にきてくれるだけで、商業などの振興にはほとんどつながっていない。大潟村は、能代方面や男鹿方面へのアクセスの幹線道路からも外れるため、通過点にもならず、大潟村を目指して訪れてくれる方は本当に少ないんです」

「カタマルシェをきっかけに大潟村に興味をもって、まずはどんな場所なのか遊びに来て滞在してみてほしい。そして会場の設営や準備や片付けを一緒に手伝ってくれる人がいたらとても嬉しい」

現在、大潟村やカタマルシェの活動に興味のある方、食の安全・有機農業などに関心のあるご家族や個人を、秋田県内だけではなく広く全国から、大潟村の地域や地域の人と継続的に関わってくださる方々の参加を募っています。

これから大きく成長していく明平さんの「カタマルシェ」という循環に加わって、未来の自分へ還る仕組みを共感し体感してみませんか?心身ともに健康な生活が手に入り、地球と人の未来を考えられるような壮大な体験ができるかもしれません。

※モグリウムの水の旅すごろく スタンプを押して、水が旅をしながらどのような役割をしているかを学ぶ

※7月のカタマルシェは公園内が花盛り
※何が釣れるかな?
※お気に入りは見つかったかな?

カタマルシェ公式サイト

天野崇子

天野崇子

秋田県大仙市

編集部編集記者

第1期ハツレポーター/1968年秋田県生まれ。東京の人と東京で結婚したけれど、秋田が恋しくて夫に泣いて頼んで一緒に秋田に戻って祖父祖母の暮らす家に入って30余年。

ローカリティ!編集部のメンバーとして、みなさんの心のなかのきらりと光る原石をみつけて掘り出し、文章にしていくお手伝いをしています。

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