
2026年9月8日、名古屋を1時間104.5ミリの記録的な大雨が襲った。
26年前の東海豪雨で被災した私は防災意識を持ち、備えているつもりだった。
しかしいざ災害が目の前に迫ると、知識も備品も十分に生かせなかった。私は自分の備えの前提自体を見直すことになった。
目次
知人のメールが異変を告げた
その日の午後、私は持っていた傘を使わないまま帰宅した。帰宅すると強い雨が降り出した。
「今日は特に雨音がうるさいな」とは思ったが、この時点ではまだ異変を感じていなかった。まさか数時間後、2階でスマホを握りしめ、ただ無事を祈ることになるとは思わなかった。しばらくすると、少し離れた場所に住む知人からメールが届いた。添付されていたのは、道路が冠水している写真だった。
驚いて外へ出ると、自宅前の道路にも薄く水が広がっており、水しぶきを上げて走っていく車が見えた。水しぶきは普段の雨の日より高く、不安が一気に膨らんだ。
東海豪雨の記憶に、運転席で動けなくなった
「今のうちに、車を少しでも高い場所へ移したほうがいいのではないか」
そう思った私は運転席に座ったが、東海豪雨で目にした水没車や、避難所で過ごした記憶がふとよみがえった。
「この先はもっと深くなっているかもしれない」
「途中で立ち往生したら」
そう考えた瞬間、エンジンのかけ方さえ分からなくなった。
しかし、今振り返れば、冠水が始まってから車で移動しようとすること自体、二次災害につながりかねない判断だった。
スマホだけを持ち、サンダルで家族を迎えに
次は「家族を迎えに行かなければ」という思いで頭がいっぱいになった。冠水した道路では、段差や側溝が見えにくくなる。マンホールのふたが外れている可能性もある。そんな危険を知っていたはずなのに、スマートフォンだけを持ち、サンダルで外へ出た。自分が足元の備えもせずに外へ出ていたことに気づいたのは、帰宅してからだった。
知っていた簡易土のうを、作れなかった
自宅の敷地にも雨水なのか、下水が混じっているのか分からない濁った水が入り込んでいた。プランターやポリタンク、ブルーシートで簡易土のうを作ろうとしたが、肝心のブルーシートをどこにしまったのかすぐに思い出せない。「備えている」と思っていた自分の感覚が、少しずつ崩れていった。
後になって知ったことだが、この日の名古屋では、16時53分までの1時間に104.5ミリの雨を観測した。1時間降水量として、1890年の観測開始以来1位となる大雨だった。
緊急速報が鳴るなか、2階へ荷物を運んだ
公的機関の情報を追っていると、状況がますます切迫していくのを感じ、ハザードマップの内水氾濫で想定されている水深の数字が頭に浮かんだ。
そこでスマホやモバイルバッテリーを満充電にし、トイレや排水口からの逆流を防ぐ対策をし、垂直避難に備えて、貴重品や食料品を2階へ運んだ。その間も緊急速報のけたたましい通知音が何度も鳴っていた。
市内の浸水被害の画像もニュースやSNSで次々と流れてきて、「あの場所だ」と分かるものも多かった。
一方で、私自身はこの日の写真や動画を撮っていなかった。保険の請求や罹災証明の手続きでは、被害状況が分かる写真が重要になることがあるが、そのことまで頭が回らなかった。
「備えているつもり」を見直した
雨は止み、想像以上に早く周辺の水は引いていったが、翌日も雨予報が続き、すぐに安心することはできなかった。何度も天気アプリを確認し、少し肩の力が抜けたのは9日の夕方、厚い雲の切れ間から青空が見えたときだった。ようやく、1枚だけ写真を撮った。

今回、できたこともあれば、できなかったこともある。私の備えの盲点は「いざというときも、ある程度は冷静に判断し、動ける自分」を前提にしていたことだった。「備えている」と過信しない。思うように動けない自分も想定して備える。
9月8日の雨が私に残したのは、そんな教訓だった。
(トップ画像・冠水した道路の写真は知人提供。空の写真は本人撮影9/9)
このたびの豪雨により被災された皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。
本記事は、筆者個人の体験を振り返ったものです。記事中の行動を推奨するものではありません。災害時は公的機関などが発信する最新情報を確認し、身の安全を最優先に行動してください。
名古屋市公式サイトで「令和8年9月8日の大雨で被災された方への支援について」が確認できます。https://www.city.nagoya.jp/bousaiportal/shien/1053805/index.html





