2024年元日の夕方、宮城県でも緊急地震速報が鳴った。すると、「石川県の能登半島で震度7の地震が発生」というニュースが流れた。家屋の倒壊や輪島朝市の火災なども発生し、東日本大震災を経験している者としては本当に心が痛む話だった。
そして、能登半島地震から1年足らずの9月21日には奥能登豪雨による豪雨被害に見舞われ二重被災となり、再び避難生活を余儀なくされた人々もたくさんいたことであろう。
筆者は能登半島地震から10カ月近く経った10月28~29日に北陸へ行った際、被害が大きかった地域にも立ち寄ることにした。
早速、金沢駅から輪島行きの特急バスで向かった。穴水町入りするに連れて被害状況の深刻さを物語る様子が多く見られた。復旧や復興なども途上にあると感じるぐらい時が止まった感じの様子だった。
倒壊を免れた輪島駅前の寿司店を訪れた筆者は、店主から被害の話を聞いた。元日はお休みのところで地震に遭遇したものの4カ月後の5月には営業を再開し、9月の豪雨の影響はなかったとのことだった。当日は仮設住宅の住民も寿司店に来店していた。復興へ前進する様子が見られた。
筆者は日帰り温泉「総湯の湯」に浸かり、従業員に元日のことを尋ねた。「元日は夕方4時まで営業をして清掃中に地震に遭遇した人もいた」と話していた。それでも3月26日に営業を再開したとのことで、筆者としては「心温まる希望の湯」だった。
バスのりば窓口係員の女性は、約20年前に中国から来日して石川県の七尾市に住居を構えている。「元日はお休みのところ激しい揺れに襲われた」と話した。住んでいる集合住宅にも亀裂が入り、9月の豪雨でも雨漏りがした。豪雨被害は七尾市にも発生していた。
メディアや世間話だけではわからない。実際に見聞きして被災者(当事者)の話を聞かないと情報を得られないことも多い。少しずつ日常を取り戻しつつ前進している様子が見られた。二重被災に見舞われている姿を見てショックを受けた筆者のできることは、能登半島に足を運んで元気づけられたことしかない。
もうすぐ、地震から1年。どんな思いで年を越すのか。
1日でも早く日常が戻ってくることを願っている。
そして、地震前よりも大きく成長して復興することを願っている。
※画像はすべて筆者が撮影。