引き継がない勇気。「三平の家」解体に思う。

「こういう物は残していかなきゃいけないんじゃないかなぁ…。」

秋田県五城目町北ノ又集落。町の中心部からおよそ20キロほど奥、山間の道を進んだ所に、築およそ110年の古民家、”三平の家”がある。『釣りキチ三平』の映画のロケ地となったこの家が、2021年11月の公開期間を終えて来春解体されると聞き、私はざわざわと落ち着かない気持ちになった。

大きな麦わら帽子、赤と白のTシャツを着た少年が、大好きな釣りを通じて成長していく様を描いた『釣りキチ三平』はご存知の方も多いだろう。秋田県横手市出身の漫画家、矢口高雄氏によって描かれたアニメが2009年に実写化。そのロケ地となったのがこの古民家のある北ノ又集落である。

古民家の維持管理を行ってきたのは、近野俊一さん(73)、ユミ子さん(74)夫妻。家はもともとユミ子さんの生家だった。漫画家の矢口氏本人が「映画の世界観そのもの」とほれ込み、ロケ地に決定。解体の理由には近野さん夫妻の、「体が動くうちに家の処し方を決めたい」との思いがあったという。

それを知った時、筆者の心は一層ざわついた。秋田県には、長年続けた事業や店舗が、高齢化によって後継者もなく、潰えてしまう例が少なくない。

多くの人々を魅了した風景までもが、こうして失われていくのか。たくさんの観光客と出会いを重ねてきた管理者と、全国のファン一人一人がここで感じた物語までもが、建物と同時に消えてしまうのか。誰よりも私自身が、この古民家の建つ丘の上から眺めた田の風景や、夕日に揺れるコスモスに、雑踏を忘れいつまでも立ち尽くしたものだ。いや、きっと誰かが、ここを残すために声を上げるのではないか。秋田の文化を、そう簡単に失くしていいはずがない。

そんな思いに矢も楯もたまらず、11月の紅葉の中、細く曲がりくねった集落の奥地まで車を走らせた。



 「ママー、ここに虫いるー」

「つぶさないでねー」

「生き物が住み着くところは、良いところなんだよー」

閉館を聞きつけた家族連れや、子供に優しく答える近野さんたちの賑やかな声が、陽光に包まれた古民家に響く。壁一面には映画の撮影時の写真や、新聞の切り抜きが張られ、この場所がどれほど愛されてきたかが分かる。「人が訪れ、家生き返った」という記事の見出しには、誰も住まなくなった家が息を吹き返し、映画と共に生き生きと人々を魅了する様子が目に浮かび涙が出た。解体があまりにも残念で、「誰か他に、管理すると言う団体などがあったら、お任せするお気持ちはありますか」と近野さんに尋ねる筆者の声も、恥ずかしいくらいとぎれとぎれだ。


「解体すると聞いて、譲り受けたいとか、住みたいというお申し出はたくさんありました。本当にありがたいことです。でも、屋根の修理も必要だし、とにかく古いのでこのままの状態では住めないです。本当は、解体はもう一年あとでもよかったのですが、来年は何があるか分からない。床(とこ)に伏せながら、『家はどうなったかな』と思って過ごすより、まだ体の動くうちに、家が朽ち果てる前に、私自身の手で幕を下ろそうと決めたんです。」


 近野さんは、すがすがしいほどはっきりとした口調で言い切った。様々な思いを乗り越えて決断した者が纏う格好良さは、古いものを大事に残したいと願う筆者の思いなど、遥かに超えた地点に達していた。

次々と訪れる客に、家や映画や、まだいくつかの世帯があったころの集落の様子などをにこやかに説明しては、一人一人に礼を述べる。そんな近野さん夫妻と、物語を共にしてきた家はまるで、花びらがすべて散る前に、少し枯れてきたところできちんと舞台を降りようとする、潔い切り花のようだった。

『釣りキチ三平』を生んだ矢口氏と近野さんは、同郷のご近所同士。3軒隣の間柄だったという。そして閉館した11月20日は、惜しくも前年に亡くなった矢口氏の命日でもある。映画に登場する数々の手つかずの原風景のとりこになったファンも、“三平の家”の解体を惜しむファンも、きっと数多いことだろう。筆者も、秋田の文化であり感動をくれた場所がまた一つ消えゆくことに、寂しさと危機感を覚えずにはいられない。

これでいいのかな。誰かが続けてくれないかな。

本当はまだどこかでそう思っていた。しかし、この場所の主は、やはり近野さんでなくてはならないのかも知れない。どんな客人にも笑顔で、嬉しそうに応対する横顔からは、この場所への愛情が満ち溢れていた。“どこかの管理団体”ではだめなのだ。

私たちはつい、残すことばかり考える。しかし、引き継がないという決断もある。受け取る方から見たら“文化”でも、作り手にしてみれば“我が子”なのだ。我が子に手がかけられなくなった時、文化という名のもとに、誰が自分の分身を世にさらし続けたいだろう。近野さんのダンディズムと、筆者の野暮に苦笑い。

足元のコスモスは毎年咲くだろう。夕焼けは棚田を照らすだろう。この場所に感動をもらったたくさんの人たちの心の中に、決して壊されることなく物語は続いていくだろう。
 

▲写真:かやぶき屋根や清流の周囲をぐるりと山々が囲む。いつでも「おかえり」と声をかけてくれそうな日本の原風景を一目見ようと、矢口ファン、三平ファンのみならず、4月から11月の古民家の公開時期には毎年多くの観光客が訪れた。

田川珠美

第1期ハツレポーター / 秋田県秋田市

移住と就業促進の仕事に関わってから、知らなかった魅力や課題のあることに気づきました。雪国のあたたかく柔らかい秋田を届けたいと思っています。ライフワークはピアノを弾くこと、ワクワクするのは農道探索、そして幸せは、心のふるさと北秋田市の緑の中をドライブすることです。