古道にまつわる歴史から学ぶ 。幻の磁器「切込焼」を支えた「チーム瀬戸山」とは【宮城県加美町】

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江戸後期から明治初期にかけて、東北の奥山に存在した御用窯。御用窯とは、各藩が将軍家や藩主への献上品、贈答品、藩の什器(じゅうき)を製作するために設けた直営の窯のことを指す。そのなかでも切込焼は文献資料が少なく、窯跡の調査も進んでいないため「幻の窯」「幻の磁器」と呼ばれ、その全容は明らかになっていない。しかし、仙台藩の援助のもと商人や町人に支えられた産業であり、その時代を生きた人々の証しでもあった。

ここは宮城県加美町にある、雪解けの始まる二ツ石ダム。渡りの季節を迎えたハクチョウたちが、ねぐらをもとめ集まっている。
2026年2月には3000羽を超えるハクチョウが観測されたそうだ。
凍った水面の残雪の上で静かに羽を休める鳥たちは、やがて県境の山を越えて、はるかシベリアやカムチャツカへの旅が始まる。

美しい自然の営みが残されている静かな奥山には、かつて高度な技を携えた陶工たちが暮らし、窯の炎と向き合いながら精巧な磁器を生み出していた時代があった。

画像提供 竹中要子さん(加美郡を渡るガン、ハクチョウを未来へ残す会)2月18日撮影

歴史講演会にて

今季最大の寒波が到来した2月の週末、加美町中新田公民館で歴史講演会「きりごめ浪漫海道~古道に残る切込焼モノがたり」(主催:加美古道浪漫を楽しむ会)が開催された。
講師は加美町学芸員の畠山静子氏。畠山氏は加美町切込焼記念館の開館当初から携わり、町の歴史を伝える貴重な存在である。

講演では、切込焼の魅力にとどまらず、窯の最盛期を支えた「チーム瀬戸山」の存在についても語られた。予定時間を大幅に超えたものの、町内外から訪れた参加者は熱心に耳を傾け、会場はあたたかい空気に包まれていた。

切込焼とは

切込焼は、江戸時代後期から明治時代初期にかけて、加美町宮崎切込地区で生産された陶磁器の総称である。仙台藩の御用窯として、上質な磁器のほか日用雑器も手がけていた。
文献上確認できる最古の記録は天保5年(1834年)で、現存する最古の磁器は翌6年の作とされる。

仙台から西北へ約70キロメートル離れた奥山に窯が開かれた背景には、原料となる鉱石や陶土が豊富であったことが挙げられる。窯場近くを流れる澄川は原料運搬に適し、砕石には水力が利用された。さらに、登窯の築造に適した斜面や風向き、日当たりの良さ、燃料となるアカマツの存在など、窯業(ようぎょう)に適した自然条件がそろっていた。職人たちが暮らす土地を確保できたことも大きな要因である。

切込焼に多く見られる白地に藍色の文様を描いた染付磁器は、素朴でありながら温かみのある美しさを持つ。加えて、トルコブルーや紫、白を用いた二彩・三彩の作品も現存し、その色彩は今なお鮮やかである。

チーム瀬戸山とは

切込焼の全盛期は、1844(天保15)年から1858(安政5)年にかけてである。
宮崎町史によると、当時活躍した陶工・山下吉蔵が切込に入ったのは1840(天保11)年41歳頃とされ、当時は職人約15人、人夫約100人が従事していたと伝えられている。

全盛期を支えたのは、職人の技術だけではない。
資金面では、中新田代官・石川平八郎、仙台商人・恵比寿屋徳蔵、中新田商人・田中屋弥兵衛、仙台藩御蔵場(四日市場)の千葉長五郎らが関わった。
官と民が連携して窯を支えた体制は、まさに「チーム瀬戸山」と呼ぶにふさわしい。

私はこれまで、切込焼御用窯とは殿様のための上級品を生産する藩直営の窯であり、経営は開窯から安定したものだと思っていた。しかし、それは大きな誤解であった。
切込焼が藩直営事業となったのは、1854(安政元)年、13代藩主伊達慶邦による最盛期に入ってからのことで、その背景には、人々の暮らしの中に根ざし、商人や町人が一体となって経営を支えるという、官民連携の体制があったからではないか。

当初から御用窯だったわけではなく、皆で支えていたからこそ藩の直営へと至ったであろう、このまちづくりに私は深い感銘を受けた。

古道にまつわる歴史から学ぶ

この奥山には古代より人の往来する道があった。
講演会では、切込焼に情熱を注ぎ、切磋琢磨(せっさたくま)した江戸時代の人々の暮らしを垣間見ることができた。
現代に残された磁器や資料は、この地に暮らした人々の「生きた証し」である。
それは故郷の歴史であり、誇りであると感じた。これからも大切に伝えていきたい。

情報

加美町役場HP(切込焼記念館):https://www.town.kami.miyagi.jp/soshikikarasagasu/furusatotogeikan/700.html
参考資料 宮崎町史(昭和48年3月20日発行)

小林貞子

小林貞子

宮城県加美町在住。DNAは生粋の加美町人。
生まれは千葉、育ちは長崎、沖縄、兵庫、東京、結婚してからは埼玉、奈良、宮城に移り住みました。「住めば都」私のふるさとは日本各地にあります。
ささやかな楽しみはコーラス、ライフワークは商店街にぎわいづくり。

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