明治の日本三大築港に数えられる幻の野蒜築港・東日本大震災から15年目のいま【宮城県東松島市】

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「野蒜築港跡」を示すモニュメント。東日本大震災後のかさ嵩上げ工事により堤防に配置された

東日本大震災から2026年3月11日で15年を迎える。東松島市にある野蒜築港(のびるちっこう)跡の後ろには鳴瀬川の河口や北上運河から奥松島や周辺を囲む海が大きく広がる。

しかし、東日本大震災の津波によって甚大な被害を受け、かつての面影がほとんど残っていない。野蒜築港の痕跡はかすかに残るのみだ。

奇跡的に残った新鳴瀬川に架かっていた赤レンガ橋台跡

野蒜築港は三国港(福井県)、三角港(熊本県)と並んで三大築港として数えられている。野蒜築港の歴史としては、1878年に明治新政府の計画の下でオランダから招かれた土木技術者のコルネリス・ファン・ドールンによって近代港湾の整備が始まった。併せて「新鳴瀬川」という人工の河川も開削された。

しかし、4年の年月をかけて1882年に完成したが2年後の1884年の台風被害によって機能を失い、「幻の築港」となった。

野蒜築港跡の痕跡がかすかに残る
野蒜築港跡の歴史が紹介されている案内板
東日本大震災前に撮影された野蒜築港跡の写真も紹介されている

そして、東日本大震災を経て後世に野蒜築港があったことをどう伝えていくかが課題になると、筆者は考えている。伝え方のニーズは年々変わりつつある。

東日本大震災から15年目の今、(野蒜築港跡を)訪れてその歴史に思いをはせて歩いてみてはどうだろうか。

※画像はすべて2025年12月29日筆者撮影

渡邉貴裕

渡邉貴裕

宮城県生まれ。現在も宮城県仙台市に住んでいる根っからの宮城県民です。趣味は旅行と読書ですが、最近では仙台の街が好きでまち歩きも楽しんでいます。主に仙台を中心とした魅力を発信します。時には市外となる場合もありますので、何卒よろしくお願いします。

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