
あたたかみのある白にポップなグリーン、元気が出るピンク。カラフルに編み込まれたアームウォーマーがパッと目についた。いつも手首が冷たいと言う母に贈ろうと思った。「こういう鮮やかなものを身につけて、元気になってもらわなくちゃ」。パーキンソン病を患い施設に入所している、90歳になる母の細い手首を思い浮かべた。
秋田市内のハンドメイド雑貨店「アトリエここつく」で聞いた話によると、なんとこの商品は70代でニット作家デビューした方が作っているのだと。さぞ若い時から手先が器用で、ずっと続けてきたのだろうと思ったが、次に聞いた言葉に軽い衝撃を受けた。目の前の、はじけるような毛糸の色味とその言葉が、すぐには結びつかなかった。
目次
「脳梗塞(のうこうそく)のリハビリがてらに始めたんですよ」。
工藤八重子(くどう・やえこ)さん(76)は、地元秋田から札幌へ嫁ぎ、現在は夏の間だけ、今度は札幌から秋田に嫁いだ娘さんと一緒に過ごしている。脳梗塞を患ったのは10年前。7月のその日の朝、いつもと体調が違うことに気付いた八重子さんが、かかりつけの内科に行くとすぐに脳外科に行くようにすすめられたという。右半身や口元が麻痺し、病名を告げられた時は驚いたが、「もう少し場所がずれていたらもっと重症になっていた、ラッキーだったね」と言われたのだとか。「私その日、病院に自転車で行ったんですよ」と笑う八重子さんだが、そんな母親の話をそれまで静かに聞いていた長女の美華里(みかり)さんの話は壮絶だった。
秋田市でエステサロンを営む美華里さんが、事態を聞いて札幌へ飛ぶと、まるで人が変わったような母がいた。

キッチンで涙をこぼす母
「母は忘れているんでしょうけれど、とにかくパニック状態で支離滅裂(しりめつれつ)。大騒ぎして治療も嫌がるので、点滴を打ったり酸素カプセルに入ったりしたのですが、それもパニックで全然ダメで。興奮しているから血圧も下がらないし、本人のショックは大変なものでしたよ」と美華里さん。
退院しても葛藤は続いた。できていたことができない。自分のイメージ通りに動けない。「家事ができなくて、キッチンで泣いているんですよ。それを見たとき、そういえば母は編み物をやっていたなぁって思い出したんです。子どものころ洋服を作ってもらったこととか。これだ!と思って、ニット制作をしている友人に紹介して、少しずつ思い出してもらうようにしたんです。『もう、家事はいいからこれだけやっていて』って(笑)」
ドイツ製の毛糸との出合い。「これならやってみたい!」

パステルのようなふわりとした色味が多い日本の毛糸とは趣が異なる、鮮やかなドイツ製の毛糸に八重子さんは心を動かされた。「これならやってみたい!」と思ったという。八重子さんの“元気”が、灯った瞬間だった。美華里さんの後押しもあり、手を動かすようになるとだんだんしゃべり方も回復してきた。そしてそこから先、“経営者”美華里さんが驚くような提案をする。八重子さんの“リハビリ作品”が一つ、また一つと増え、美華里さんのサロンのお客にも評判が高まると、作品の数より先に、展示販売する「場所」をまず確保したと言うのだ。

「そうだ、お店番をさせよう!」
「家に一人にすると倒れられても分からないけれど、人のたくさんいる場所ならまだ安心と思って、ここ『まるごと市場』と契約を交わしました。マルシェにいながら母が編む、お金の計算をする、お客様と話す‥‥。もともと母は外に出るのが好きなので、人前に出るとシャキッとするんですよ」。もちろん、ハンドメイド仲間のネットワークや協力もあった。しかし美華里さんの、愛あふれるビジネス感覚には脱帽した。商品を増やさなければならない状況を先に作ってしまうと、趣味やリハビリでは終われず、“継続”しなければならなくなる。また、売れたときの感動も同時に八重子さんに与えることが出来た。
そうしてどんどん元気になっていった八重子さん。美華里さんとの二人三脚で続ける店舗販売は、9年になる。

母娘として、ビジネスパートナーとして
若いころからずっと働いてきた。早くに亡くなった夫の両親の介護もあった。疲れていたことに気付かず、自分は大丈夫と過信していた。「そういうのが積み重なっていたんだろうね」と八重子さんは言う。最近では、自分の体調の波に合わせてコントロールできるようになってきた。編み目を見れば体調が分かる。だから、平坦なものを編むのが本当はいちばん難しい。目がそろわなかったりするからだ。そんな時は気分転換に買い物に出かける。自分と向き合う時間ができた。
美華里さんは美華里さんで、「自分の作りたいものを作るのは趣味。買ってくれるお客様がいるのだから。冬に冬の物を作っていたのでは間に合わないでしょ」と言っては八重子さんをプロデュースする。「だって、売れたらママがうれしいから」。

本当はまだ時々口の痛みはあると言う八重子さん。
「でも、こもっていたらダメだなって。人と接するのが回復にはいちばんの早道。だけどもう焦らない。健康でいることが最高の子ども孝行だから」
自分を大切にすることこそが、家族を大切にするということではないだろうか。病を乗り越え、ニットのようにやわらかな八重子さんの笑顔と、陰ひなたになって支え続ける美華里さんの二人三脚は、まだまだ続く。

翌日、八重子さんが夏用毛糸で編んだアームウォーマーを、施設にいる母の細い手首につけてあげた。伸縮性のあるそれは、手首につけてもほとんど太さが変わらなかった。病気のために表情の変わらない母は、それでもいつものように筆者の手を握り返してきた。こちらがたじろぐほど、90歳の力もまた強かった。
・写真は全て筆者撮影(6/20・7/4)
情報
■工藤八重子さんの作品・展示販売のお問い合わせはこちらまで
「アトリエここつく」
住所: 〒010-1617 秋田県秋田市新屋松美ガ丘東町7-4釣り東北1F
TEL:070-9095-4638





