「俺のバックには国がついてる。法律を使って商売をしてるんだからな」
監禁された部屋の中で、男は拉致犯に向かってそう言い放ったという。昭和のヤクザ映画のワンシーンではない。これは「万物の至福(世界和合)」という壮大なビジョンを掲げる一般社団法人世界和合フォーラムの代表理事、宇田幸生(うだ こうせい)さんの父親のリアルな実話だ。

日々、エビデンス(証拠)を武器に法廷で戦い、白黒をつける現役の弁護士が、なぜ対極とも言える「勝ち負けのない、目に見えない世界」の旗振り役を担っているのだろうか。
インタビューの中で彼の口から飛び出したのは、崇高な世界平和の理念のようなきれいごとではなかった。ぼくたちの日常の常識を心地よくひっくり返すような、あまりにも人間くさく、生々しい葛藤(かっとう)と愛のストーリーだった。
目次
崇高な使命感ではなく、ただ「親父の喜ぶ顔」が見たかった
宇田さんは、名古屋で民事事件から企業法務などを引き受ける弁護士として法律事務所を経営している。彼が弁護士という職業を選び、そして今の活動へと至る原体験は、まさに冒頭の「激しい時代を生き抜いた父親」との記憶にある。
名古屋の繁華街で観光ビルを経営していた父親は、常に揉め事と隣り合わせだった。拉致事件を自力で乗り切った後も、父親はトラブルがあっても弁護士を頼まず、自ら法廷に立って裁判を戦い抜いていたという。 そんな父親の「勉強は何でもいいから、法律だけは使いこなせるようにしろ。いざとなったら国が味方になってくれる」という教えに従うように、宇田さんは弁護士となった。
「初めて法廷に立ってね、親父の代理人弁護士として対応をしたとき、親父がもうめちゃくちゃ嬉しそうな顔をしてくれたんですよ。それが原体験というかね」と、宇田さんは照れくさそうに笑う。
ぼくは、情熱を持って活動している人、社会に影響を与える活動をしている人、とにかく面白い活動をしている人を「情熱インタビュー」と称し、記事にすることをライフワークにしている。
これまでに数多くのインタビューを続けてきて、ぼくが実感していることがある。それは、人の情熱の源泉を深く掘り下げていくと、多くの場合「お父さんやお母さんの喜ぶ顔が見たい」「認めてほしい、誇らしく思ってほしい」という、極めて身近で純粋な感情に行き着くということだ。振り返ってみれば、ぼく自身もそうなのだと感じる。
だからこそ、非常にクールで現実的な「弁護士」という世界に身を置く宇田さんの熱源もまた、お父さんにあったと知った時、「ああ、やっぱりそうだったのか」という深い納得とともに、エビデンスや法律というクールな世界に生きる彼の底知れぬ優しさと温かさに激しく心を揺さぶられたのだ。
「あなたの視野は狭い」エビデンス至上主義を打ち砕いた一言
弁護士としての日常は過酷だ。日々持ち込まれるのは、人の恨みつらみ、怒り、悲しみといった後ろ向きの感情ばかり。
「仕事柄、喧嘩ばかりです。たいてい依頼に来る時って、人生の一大事なわけです。その方の問題に感情移入して同質化しちゃったら、自分の精神が崩壊してしまいます」と語る。
依頼者のトラウマに触れて自らも傷つく「代理受傷(だいりじゅしょう)」で心を病み、業界を去る同業者もいるという。だからこそ自らを守るため、目に見える「エビデンス」と「ルール」の中だけで物事を処理する。それが、過酷な現実を生き抜くための彼の常識だった。
それを見事に打ち砕いたのが、 「あなたの狭い視野の中で納得できるかどうかで動いていたら、いつまでも外に出られないよ」という、パートナーからの強烈な一言だった。
その言葉にハッとさせられた宇田さんは語る。
「ぼくらが見えている世界って、目に見えるものが真実だと言いながら、実は紫外線と赤外線の間の、ほんの狭い帯域しか見てないんだよね。ものすごい狭い世界の、ちっちゃいルールの中で日常をやっている。このルールの中にはまらないやつはダメ、負けです、となっちゃう。でも、これが真実とは思えない」
その狭いルールの外側にある「目に見えないご縁」や、理屈を超えて魂が震える感覚を受け入れた時、宇田さんの世界は反転した。
エビデンスで裁ききれないものを切り捨てる世界ではなく、特定の宗教や教義で白黒をつけるのでもない。誰もが違和感なく受け取れる形に「翻訳」して伝えることなのだと。
「人と人がルールとかではなく、手を取り合えるような世界を作るお手伝いができるとすれば、こんな尊いことはありませんよね」と語る宇田さんの目は、真っすぐに真理を見据えていた。
和合とは「特別な修行」ではなく「日常の反射」である
では、「和合(わごう)」とは一体何なのか。つい偉大な指導者が世界を平定する姿や、山にこもって座禅を組むような厳しい修行を想像してしまうが、宇田さんの考えは全く違った。
この壮大なフォーラムを立ち上げる際も、創設者からの熱い思いを始めとする、極めて軽やかなご縁からスタートしている。
「平和との違いとして、和合は対象を人類に限定せず、『万物』としています。自然の脅威と恩恵を受けながら、すべてに精神性が宿るという、日本人が昔からDNAとしてやってきた感覚ですよね。これを特定の宗教としてカテゴライズしちゃうと、日本人は途端にうさんくさく感じて引いてしまう。だから文化や日常の感覚として伝えることが大切なんです」
宇田さん自身、じっと座禅を組むのは苦手だという。しかし、目の前の作業に没頭し、一挙手一投足(いっきょしゅいっとうそく)に意識を集中させている時、心は静かに整っている。
「フォーラムに行った時だけが和合じゃないです。フォーラムは皆さんに気づきのきっかけとしていただくためのもの。日常の中で、今こう来たものに対してどう返すか、どういう仕事の仕方をするか。それを意識すること自体が、和合の実践なんです」と宇田さんは解説してくれた。
損得勘定を抜きにして、目の前の人の思いに共鳴し、波紋のようにその熱を広げていく。和合とは、決して手の届かない理想郷ではなく、ぼくたちの日常のささやかな瞬間に宿る「バランス感覚」そのものなのだ。
世界和合は「もうひとりの自分」をゆるすことから始まる

実は、先日「一般社団法人世界和合フォーラム」が開催した「第1回世界和合フォーラム」に、ぼくも参加していた。創設者のバーラクンバグルムニ氏らが登壇し、「万物の至福」という壮大な理念のもと、日常の中でいかに和合を実践していくかが語られる熱気あふれる空間だった。
そこで聴いた話の中で、ぼくの心に深く刺さった言葉がある。
「世界和合は、まず自分自身との和合から始まる」
誰しも、自分の中にドロドロとした嫌な部分、最低だなぁと思う在り方をしてしまうところ、認めたくない姿をさらす「もうひとりの自分」がいる。ぼくたちはつい、そんな自分を隠し、否定して生きようとしてしまう。
しかし、そうしたものを拒絶したり否定するのではなく、自分の心の声をよく聴いて、ゆるすこと。それが、自分自身との和合の第一歩となるのだ。
考えてみれば、自分の周りにいる他人も、目に見えている世界も、すべて自分の内面を映し出す鏡にすぎない。一人ひとりが自分の内なる葛藤(かっとう)から逃げたりごまかしたりせず、自分自身に集中して和合するように意識を向けていけば、おのずと世界は和合に向かっていくのだと、ぼくは確信した。
宇田さんは、この活動に関わるすべての人を「お客さん」ではなく「共創メンバー」と呼ぶ。 「人生は、長くてもたった120年です。その限られた時間の中で、できることを選んでいかないと終わっちゃうから」というメッセージは、あおりではなく真実だ。
「世界和合フォーラム」に参加してからというもの、ぼく自身、日常の中でふと立ち止まることが増えたと感じる。
「今の受け答えは和合に近づくものだったか?」
「今日のぼくは、もうひとりの自分と和合できてたかな?」
ただフラットに、そう自分自身に問いかけるようになったのだ。
「もうひとりの自分」をゆるし、目の前の出来事にどう返すか。その小さな問いと実践の連鎖こそが、世界を変える最初の一滴になる。
情報
世界和合フォーラム:https://worldwago.org
宇田法律事務所:https://udakosei.info





