「あたしね、100歳になったらフラダンスを習おうと思うの! あーっはっはっはっは!」
少し遠回りをして会社から帰る道すがら、車のラジオから聞こえてきたのは、まるで飲み友達と会話をするような秋田弁と豪快な笑い声。「一般の人がどうしてラジオに出ているんだろう? しかもフラダンスって……」。
この時、声のぬしが秋田県北秋田市が誇る伝統工芸品「秋田八丈」の職人、奈良田登志子さん(70)であり、その後、筆者をたびたび勇気づける宝物をくださることになろうとは、まったく予想していなかった。
「秋田八丈」とは、植物の根を原料とする草木染の織物で、八丈島の伝統工芸が由来。秋田黄八丈ともいわれ、艶やかに染められた糸が、織りあがるとシックで落ち着いた色味になる。使い込むほどにさらさらになっていく手触りも特徴だ。
秋田八丈の職人は、現在、全国に奈良田さんただ一人。ネットで検索すると、「200年以上の歴史があること」や「平成15年に秋田市の工場がいったん閉鎖した際、機械その他を奈良田さんが譲り受けて技術を引継ぎ、現在は北秋田市で甥と2人で工房を構えていること」、「一つ一つ手作りのため、全く同じ商品がないこと」など、たくさんの情報がすぐに出てきて、これまでに多くの取材陣が彼女のもとを訪れていることがわかる。
しかし、どのメディアも書かなかったであろう、チャーミングで懐深い奈良田さんの、筆者だけが知る素顔を今日は書きたいと思う。艶と強さを兼ね備え、せっかく買っても、もったいなくてタンスにしまい込むファンも多いという秋田八丈を織る巨匠に、恐れ多くも「ラーメン」を作ってもらったのだから!
「あんた、これから鷹巣に行って昼ご飯食べるんだが? 私のうち、こっから車で5分くらいのとこさあるから、そこで食べればいい。1人で食べたってつまんねぇべ。ラーメンくらいなら作れるよ」。
(ラーメン…? 奈良田さんが作る……?)
ポツンと一軒家のように人里離れた北秋田市の「秋田八丈ことむ工房」を午前中に訪問した筆者。工房から7キロ余り離れた市中心部の鷹巣まで昼食を食べに行こうとすると、奈良田さんが声をかけてくれ、秋田八丈の制作のために借りているという家に、本当に車を走らせて案内してくれた。
あっけにとられている筆者を前に、奈良田さんが手早く冷蔵庫を開ける。「私、自宅は秋田市にあるから土日は帰るんだけど、平日はここ(北秋田市の家)から工房に通ってるの。乳製品の配達をするお姉さんとか、近所の人たちとか勝手に来て休んでいったり、テレビ見たりしてるよ。あー! シイタケある! 誰か置いていったな」
(こ、ここは一体…。シェアハウスですか……?)
ほどよい広さの居間にはさんさんと日が差し、家の裏からすぐにうっそうとした林が始まっている。対して県道の向こうは田んぼ。平日の昼時、誰も歩いていない。
「絶対クマいますよね……。でも、静かだし、眺めが良いですね」(筆者)
「いいとこでしょー? あんたも気を病んだら……、まーあんたは病まねーだろーけど、いつでも来て休め!」(奈良田さん)
(!?……今日でまだ2回しか会ってない!?)
巨匠が作ったラーメンは、即席とは思えないほど具だくさん。あたたかい食べ物はどうしてこうも人の口を和ませるのだろう。「がっこ茶っこ」(漬物とお茶)しながら、2人でいろんなことを話した。
「八丈をやっていなかったら何の仕事をしていたと思うか」とか、「タレントの壇蜜さんが撮影で秋田に来た時に、工房で八丈の着物を着る予定だったのに中止になって残念だった」とか、「みんなが八丈を見て『綺麗ですねぇ』と言うので『えーあたしの容姿がー!?』と冗談を言うのが定番になっている」とか。ほぼ仕事と関係のない話で2人とも笑いっぱなし。あっという間に2時間が過ぎた。
それにしても、工場が閉鎖して40年の間、機械などを全て1人で譲り受けたとはいえ、当時、奈良田さんはまだ30代。他の仕事がしたいとは思わなかったのか。奈良田さんに聞いてみた。
「そういうことを考える暇が無かったんだねー。この仕事って、その都度終わるものじゃないのよ。昨日の続きを今日やって、今日の続きを明日やってたら、いつの間にか40年たったっていうか……。いろいろあっても、結局これをやるようにできてるのよ」
「八丈が奈良田さんを選んだんですね」(筆者)
「選んでほしくないよー(笑)!」
「そんなぁっ! 『そう、選ばれた』って言ってくださいよぉ(笑)! おさまりつかないじゃないですかぁ(笑)」(筆者)
そしてケラケラと笑い話は続いた。
働くとは、おさまりのつかない事柄や感情をどうにかおさまらせて、日々を紡いでいくものかもしれない。しかし、伝統を受け継ぐたった一人の職人でありながら美談を語らず、昨日と今日と明日を疑わず、黙々と紡ぎ、知り合って間もない人間のためにちゃきちゃきと台所に立ってくれる気取りのない奈良田さんは、とても格好が良かった。その時、日々の仕事の道筋にぐずぐずと悩んでいた筆者には、ひときわ格好良く見えた。
ずっとここで笑っていたかったが、帰らなければならない時間となった。
玄関に、この時期の秋田には珍しいチューリップの花が無造作に花瓶に挿してある。秋田県大潟村でハウス栽培され、産地直送センターではいつも朝のうちに売り切れてしまう人気の花だ。
「あー、それ持ってって! 大丈夫! うちにはいっぱい来るのよ、秘密のルートがあるからね!」
奈良田さんはこれまた豪快に数本抜き取り、茶目っ気たっぷりに笑い、そのまま筆者に手渡してくれた。
絶対また来よう。気が病んだら、いや、病まなくても。「がっこ茶っこ」しながら、しち面倒くさいことを笑い飛ばして元気になって、今日の続きを明日やろう。「伝統」は、興そうとして興らない。日々の積み重ねが、「伝統」になっていく。
「クマ? いないわげないじゃん! あーっはっはっはっは!」
奈良田さんの高らかな笑い声がいつまでも耳に残り、車の中で何度も思い出し笑いをした。通り過ぎる田をまだ覆う残雪の白さが、強く、すがすがしく、まぶしかった。
【編集後記】
数日後、記事の下書きを送った筆者に、メールやLINEは使ったことがないという奈良田さんから手紙が届いた。
「私はこのままで生きていきます。もう少し頑張ります。楽しく過ごして、どこかでまた会いましょう。必ずですよ」と書かれてあった。
フラダンスまでは、あと30年。おおいに笑って歩いていこう。使い込むほどしなやかにさらさらと強く輝く絹織物のように。