怪談歌舞伎劇の舞台、芭蕉も訪れた安積沼跡・日和田町を歩く【福島県郡山市】

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私が住んでいる福島県郡山市は東北地方では仙台に次ぐ第2の経済都市。中でも北部にある日和田町は大型ショッピングセンターの整備に伴って人口が増えている地域でもあります。

古くは奥州街道の檜皮(ひわだ)宿。この地にあった、今はなき安積沼は、男と女の復讐と怨霊の祟りを描いた「復讐奇談安積沼(ふくしゅうきだんあさかのぬま)」という江戸時代の幻想小説の舞台でもありました。

今回はJR日和田駅から歩いて、この奇談ゆかりの安積沼にちなんだ日和田町のスポットを紹介します。

さて「復讐奇談安積沼」とは?

主な登場人物は幽霊役が得意な江戸の役者・木幡小平次とその妻お塚。そして、お塚と密かに関係を持っていた左九郎という男。

あるとき、安積の地へ旅興行に出た小平次は、左九郎から釣りに誘われるがままに一緒に安積沼へ行き、そこで沼に突き落とされ命を落としてしまう。

邪魔者が消えたと喜び江戸のお塚のもとへ戻った左九郎は、そこに死んだはずの小平次の姿を見て恐れおののき、その後もまた怪奇な出来事が続く…というなんともおどろおどろしいストーリーです。

芭蕉が花かつみを探して歩いた安積沼

※安積山公園の花かつみ(ヒメシャガ)

次は平安時代に遡ります。

「みちのくのあさかの沼の花かつみかつ見る人に恋ひやわたらん」

古今和歌集に安積沼が歌われています。

江戸時代中期の1689年「奥の細道」行脚の際に松尾芭蕉は曾良とともに日和田町で馬を求め、この歌に詠まれた「花かつみ」を安積山・安積沼周辺を探し歩いたと記録されています。残念ながら芭蕉は花かつみを見付けることができませんでした。

※歌枕としての安積沼は他にも「万葉集」などの和歌などにも登場している

興味深いのは、松尾芭蕉が隣の須賀川から弟子の杉山杉風(すぎやま・さんぷう)あてに書いた手紙の中に、「是より仙台まで風雅人もえミへず候よし、朔日二日之比、仙台へ付可申候。」という一節があること。

ひとつ江戸寄りの宿・須賀川では個性豊かな風流人に囲まれ長く滞在した芭蕉でしたが、「ここから先は俳諧を嗜むような風流人もいないので、1、2日頃仙台に着く」と、伝えています。

郡山で泊まった宿の印象があまり良くなかった上に、探し求めた花かつみも見つけられなかったことから、芭蕉の目には郡山は風情のある街には映らなかったようです。芭蕉の「人間らしさ」が垣間見えるエピソードです。

また戦国時代に、武将である前田慶次が残した奥州米沢庄道之日記に『(前略) さゝ川、郡やま、高倉のこなたの野の中に、まわり十丈あまりのぬまあり其中に小嶋あり、里の長に問侍れバ、これなん浅香のぬまなりとかたる』と記されていることから、少なくともこの日記の書かれた1601年頃までは周囲約30mほどの沼があったようです。

恨みに荒れ狂う大蛇が住んでいたという安積沼

蛇骨地蔵堂(じゃこつじぞうどう)

はてさて、また時代は更に遡ります。

安積沼に身を投げて命を落とすという、先ほどの怪談に似た話が伝わっているのがこの蛇骨地蔵堂。なんとも不思議な名前のお堂ですが、家族を殺した男を恨み安積沼に身を投げた美しいあやめ姫が大蛇に化け、その大蛇を成仏させたのがこの地蔵堂だといわれています。

言い伝えによると、「荒れ狂う大蛇を鎮めるために沼のほとりに人身御供として置かれた佐世姫が法華経を唱えていると、大蛇が出現。お経を聞いた大蛇はその法華経によって天女の姿に変わっていき昇天した。天女は佐世姫に礼を述べ、残された蛇骨で地蔵を作ってくれるように依頼した」とのこと。

この地蔵堂の裏には、大蛇の人身御供となった32人の娘と佐世姫を供養するための三十三観音像が安置されています。

安積沼の岸の石に頭を乗せてお経を聞いた、という蛇枕石、また、蛇穴や棚木桜も残されていますが、現在は田畑や住宅地などになり、郡山市日和田町根柄に沼の跡を示す案内板が立つのみです。

実は巨大沼だった?安積沼

※安積沼跡地

一説によると、10万年ほど前には郡山市から南の矢吹町まで広がる巨大な古代湖「古郡山湖」があったとされ、安積沼はその名残りという説、また、14世紀頃までは安積郡片平(現在の郡山市片平町)の安積山麓から日和田までの7kmほど続く巨大な沼であった、という説もあります。

 江戸時代後期の地理学者/関岡野洲良(せきおか・やすら)の著には、「宝沢沼と近くにあった稲原沼という大沼が続いて安積沼とされていた」と記述されていることから、推測するにかつての「郡山湖」が徐々に小さくなったと考えることも出来そうです。

安積沼があったとされるエリアは会津磐悌山、安達太良山と阿武隈川との間にある平野で、以前はあちこちに沼があったといわれています。また、安積沼も、古くは安積の里にある沼というほどの意味で、現在安積山公園の碑が立っている場所だけが安積の沼というわけではないようです。

そう考えると松尾芭蕉は、「安積沼」と言う沼の周りで花を探していたのではなく、いくつかの沼の周辺を探し歩いていたのかも知れません。

さて、最初に出発したJR日和田駅に戻ってきました。

交通網が発達した今、カメラを持って郡山市内を徒歩で移動するという機会は少なくなってしまいましたが、今はなくなってしまった「安積沼」というキーワードで身近な地域を歩いて、沼と人間にまつわる様々なストーリーをタイムトラベルしてみました。

ぜひ皆さんも日和田に来て、遠い昔にあった風景に想いを馳せてみてはいかがでしょうか?

昆愛

昆愛

福島県郡山市

第4期ハツレポーター

埼玉県川越市出身。前住地は山形県鶴岡市。会社員のかたわら、地域資源の掘り起こしとその魅力発信活動に取り組む。2023年、「誰もいなくなった町。でも、ここはふるさと~原子力発電所と共存するコミュニティで“記憶”と“記録”について考える【福島県双葉郡富岡町】」で本サイトのベスト・ジャーナリズム賞を2年連続受賞、また2024年、天文活動の報告・交流等を目的としたシンポジウムでの発表「天文文化史で地元の魅力発信?九曜紋が導く新たな誘客構想とは【福島県南相馬市】」で渡部潤一奨励賞を2年連続受賞。