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王朝の理想が形になった都
フエの中心に広がる「グエン朝王宮 / Đại Nội」は、19世紀初頭、阮(グエン)朝の初代皇帝ザーロン帝によって築かれた都城である。中国・北京の紫禁城を手本としながらも、ベトナムの風土や思想に合わせて設計されたこの都市は、左右対称の構造と、幾重にも重なる城壁によって構成されている。
外側には「京城(キンタン)」、その内側に行政機関が集まる「皇城」、そして最奥に皇帝の生活空間である「紫禁城」が置かれる三層構造である。権威と秩序を可視化するこの構造は、単なる建築ではなく、国家そのもののあり方を表現したものであった。
黄色の壁と赤い門、細密な装飾が施された建築群は、かつての王朝の栄華を今に伝えている。


戦争が残した空白
しかし、この壮麗な都は、そのままの姿で残っているわけではない。
ベトナム戦争、とりわけ1968年のテト攻勢において、フエは激しい戦闘の舞台となった。王宮一帯も例外ではなく、多くの建物が破壊され、焼失した。現在見られる建築の多くは修復されたものであり、当時の完全な姿を伝えるものは限られている。
実際に歩いてみると、広大な敷地の中にぽつりぽつりと建物が残り、その間に広い空間が広がっていることに気づく。そこには「失われたもの」の存在が、静かに示されている。
単なる未整備ではない。歴史の断絶そのものが、空間として現れているのである。


世界遺産としての再生
フエの王宮は、1993年にユネスコの世界遺産に登録された。現在も修復作業は続けられており、失われた建物を慎重に再現する試みが進められている。
ただし、その再生は単なる復元ではない。どこまでを再建し、どこを残すのか。その判断には、歴史をどのように記憶するかという問いが含まれている。
そして王宮内にある閲是堂では、ユネスコの無形文化遺産に認定されている「宮廷雅楽」を観賞できることも覚えておきたい。
すべてを元通りにするのではなく、あえて空白を残すことで、戦争の記憶を現在に引き寄せる。そのバランスの上に、現在のフエは成り立っている。


新旧の街を行き来する日常
王宮のある旧市街と、商業施設やホテルが集まる新市街。その二つのエリアは、フォン川を挟んで向かい合っている。
朝になると、人々は橋を渡り、それぞれの場所へ向かう。旧市街で暮らす人が新市街で働き、新市街に住む人が旧市街の寺院を訪れる。観光客にとっては異なる顔を持つ街に見えるが、地元の人々にとってはそれがひとつの生活圏である。
歴史の中心と、現代の暮らし。その間を行き来する日常こそが、この街の本質なのかもしれない。


静けさの中にある時間の層
フエを歩いていると、強いインパクトよりも、じわじわと残る感覚に支配される。派手さはないが、確かに何かが積み重なっている。
王朝の記憶、戦争の痕跡、そして現在の暮らし。それらが混ざり合いながらも、決してぶつかることなく共存している。
目の前にある建物を見るだけでは、この街は理解できない。むしろ、その間にある空白や、静かな時間に目を向けたとき、フエという場所の深さが見えてくる。
ここは、過去を消し去ることなく抱えたまま、静かに現在を生きている街なのである。





※写真は全て筆者が撮影(2026.03.18)





