2024年2月10日、秋田県仙北市上桧木内(かみひのきない)地区で毎年行われている小正月行事「上桧木内の紙風船上げ」が行われた。
この行事は、江戸時代中期頃に、近隣の銅山の開発の技術指導のため秋田を訪れていた平賀源内(ひらがげんない)が、地域の住民に熱気球の原理を応用した遊びを教えたことが発祥の起源と言われている。
武者絵や美人画や、それぞれに願いを込めた絵と「無病息災」「五穀豊穣」「家内安全」などの願いを込めた紙風船に灯りをともし、雪の夜空に願いを込めて飛ばすというものだが、時に住民たちの工夫が凝らされた変わり種の紙風船も登場する。
今年登場したのは、なんとクマ型の巨大紙風船。秋田県内において、2023年はクマによる人身被害や農作物の被害が過去に例をみないほど頻発し深刻な問題になった。「お山に帰ってゆっくり休んでね」と場内のアナウンスが流れ、紙風船のクマは夜空に旅立っていった。
最後に一礼をして夜空に消えていく様子はなんともはかなげで、周囲の人たちはその姿が見えなくなるまで天を仰ぎ見送っていた。
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秋田県のクマ被害
2023年の12月20日に秋田県警が発表したツキノワグマの目撃件数3660件は、過去最多だった2017年の1299件の3倍近くにものぼった。人身被害も17年の19件20人の3倍以上の62件70人で死者はいなかったものの、例年にない突出した数字となった。
人の生活圏へのクマ出没の背景は、山の中の食べ物不足だけでなく、人口減少によって耕作放棄地や、手入れが行き届かない山にクマが身を隠せるやぶなどが増えたことで、クマの分布域が拡大しているのだと、ニュースの解説者が話していた。
人間とクマにとっての山の変化
かつて日本では木を切って薪にして火をたいたり、炭を使い暖をとったり料理をしたりするのがもっとも一般的だった。1950年代以降、ガスや石油、また電気などの手間のかからないエネルギー源が出現したことで薪や炭の使用量が大幅に減った。
必要とされなくなった山の木々は手入れをされず高木化し、その木の下には草木が生い茂りクマが身を隠す最適の場所になった。奥山に住んでいたクマが里山に下りてくるようになったのはそういうことのようだ。
またそれと同時に、まっすぐ伸びて加工がしやすいうえ成長が早く、建材などに用いるにはもってこいだったスギの植林も広く各地で行われた。第二次大戦後の復興を支えたとされるスギにはクマが食べられる実がならない。山に食べ物がなくなるのにはそういう理由があった。原因はそれだけではないとは思うが、クマの被害が増えていることと人間の豊かな生活は関係がないわけではなさそうだ。
山を利用する人間の生活の変化に翻弄(ほんろう)されて、クマもその生態を変えてきたとすれば、なんだか複雑極まりない心境になってしまう。
クマ、秋田県内で2024年もハイペースで目撃される
秋田県内で、例年は5月頃から増える傾向にあるクマの目撃情報が、雪が少なかった今年はこれまでほとんど例がなかった1月から見られ、2〜3月も例年の10倍近くにのぼるなどかなりハイペースで、過去にないことが起きている。
秋田の農村に住む筆者は、外に出て近所の人に会うだけで、「クマさ気つけれよ」と必ず言われるし、車庫などにクマが身をひそめる可能性があるため、車で外出する際はたとえ数分でもシャッターを閉める必要がある。パトロールのため交番のお巡りさんが家を訪ねてきたときは開口一番「クマに気を付けて」と、クマが詐欺よりも泥棒よりも怖い存在になっているのが現状だ。
クマにいつ出会ってもおかしくない状況が秋田ばかりではなく日本のあちらこちらで起きている。クマが勝手に異常発生しているわけではなく、そこにはそれなりの理由がある。山菜採りのシーズンになり、山へ行く人も多いだろう。まずはクマの生態をよく知って準備し、身を守ってほしい。
「山へ帰ってね」という紙風船の願い通り、クマや自然の動物たちと人間がちゃんとすみ分けられるよう、豊かな生活を享受している私たちは、何をすべきかを改めて考える必要があるのではないだろうか。