築70余年の公民館を突撃訪問!令和の今も地域の交流の場として栄える、市の有形文化財【宮城県塩釜市】

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塩釜市公民館(本町分室)入り口付近にて

宮城県塩釜市といえば松島への観光の玄関口にあるため、松島行きの遊覧船に乗るために訪れる人、それ以外では鹽竈(しおがま)神社への参拝、寿司やマグロを食すだけで観光を済ませる人が多い。ただ、塩釜の魅力はそれだけではない。まだ、必見とされる観光スポットがある。今回はそのひとつを紹介したい。

開館から70余年間の今に至るまで

塩釜市公民館(本町分室)は、1950年に完成して翌年に開館した。外壁にはかつて松島湾周辺にて採掘されていた塩釜石という凝灰岩(ぎょうかいせき)が使用されている。

1976年に塩釜市玉川地区に移転したが、本塩釜駅から近いとの理由で本町分室として建物は残された。

度重なる災害にも耐えて塩釜市民の交流と憩いの場として役目を支えてきたことであろう。そのモダンで美しい建物は、2013年10月に塩釜市の有形文化財に指定されている。

また、1946~65年(概ね昭和20~30年代)に居住していた美術家・杉村惇氏をモチーフとした杉村惇美術館が2014年に東日本大震災の復興事業の一環として公民館の2階の一室に開館した。

杉村惇氏が居住していた頃と同じ時期の塩釜を古写真で紹介

 杉村氏の美術作品のコレクションのみならず美術館が開館した翌年から毎年、「まちのきおくをあつめる、かたる」と題して塩釜市民から(杉村氏が)居住していた昭和20~30年代を中心とした写真を募集して4月下旬から6月上旬まで企画展として催されている。

 テーマは毎年、様々な内容で入れ替わりながら展開されている。

さて、今年は塩釜市の築港(同市港町)の記憶をテーマとして塩釜港の思い出の写真が数多く展示されていた。当時の賑わいぶりや風景などが多く見られた。

見れば見るほど塩釜の当時の賑わいが多く見られ、築港の記憶にあふれている写真ばかりである。

港町だけあって、多くの漁船が往来していたエピソードも伝えられていた。

当日は交流イベントも同時開催されていた

1階ではマルシェ(出店)のイベントがあった。
庭ではモルックなどのスポーツを楽しむ人たちやベンチで休む人たちの憩いの場となっていた。

この日は、大宮さんが2024年4月に設立した一般社団法人「larugo(ラルゴ)」の主催の下でイベントが展開され、多くの来場者たちで賑わった。

「larugo」はイタリア語で「幅広く、ゆるやかに」という意味である。主に地元のクリエイターたちとの交流(大宮さんもアクセサリー作家としても活動)を中心として、マルシェなどのイベント事業に力を注いでいる。

 主催者の一般社団法人「larugo」に対するお祝いムードが漂った。

大宮さんは2023年末、利府町にある「利府町まち・ひと・しごと創造ステーションtsumiki」の職員から独立。

「主に塩釜市や利府町(りふちょう)などを中心に周辺の市町村を拠点に活動を展開していきたい」と大宮さんは話した。今回のようなマルシェを中心としたイベントで交流を深めながら多くの方々と接していくのが狙いだ。「今後も法人名のごとく活動の幅を広めていきたい」と大宮さんは意気込む。

「larugo」の代表理事の大宮紗紀さん(左側)

今回の催しから主催イベントがスタートしてどう展開されるのか筆者としても楽しみになってきた。

昭和、平成、令和の3つの時代を経て現在に至り、今もなお、公民館として地域住民の交流の場として栄える観光スポット。果たして、今後の行方はどうなるのか。筆者としても注目し続けていきたい。実に魅力的で目が離せない。

(写真はすべて2024年4月29日筆者撮影)

渡邉貴裕

渡邉貴裕

宮城県仙台市

第3期ハツレポーター

宮城県生まれ。現在も宮城県仙台市に住んでいる根っからの宮城県民です。趣味は旅行と読書ですが、最近では仙台の街が好きでまち歩きも楽しんでいます。主に仙台を中心とした魅力を発信します。時には市外となる場合もありますので、何卒よろしくお願いします。

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