和歌山県西牟婁郡白浜町太刀ヶ谷(たちがたに)地区には、神武天皇が立ち寄ったとされる太刀ヶ谷湾や太刀ヶ谷神社という名所があります。 しかし、神武天皇が立ち寄ったことは約2600年間世の中にほとんど知られていませんでした。
それはなぜなのでしょうか。
そのことに詳しい、太刀ヶ谷で生まれ育ち、地元のことをよく知る、太刀ヶ谷神社奉賛会会長 立谷誠一(たちたに・せいいち)さんにお聞きしました 。
以下、立谷さんのインタビューです。
『神武天皇が奈良の豪族を平定するために 熊野地方から大勢の兵士を連れて 浪速の都を出立(しゅったつ)し、和歌浦、 御坊湾に立ち寄り、 田辺湾を通過する折、台風に伴う時化に遭い、 時化から逃れるために太刀ヶ谷湾に逃げ込みました。3日間太刀ヶ谷に滞在する間、村人たちは神武天皇一行のお世話を一生懸命したそうです。しかしなかなか時化は治まらず、戦に出発することができません。そこで神武天皇は荒れている太刀ヶ谷湾に太刀を投げ入れました。すると波は静かになり時化が治まりました。神武天皇一行は無事、戦に出発することができました。 住民たちはこのときの太刀を記念に頂き、太刀ヶ谷神社のご神体としました。
神武天皇は太刀ヶ谷を出発するときに
1、他の人に 自分のことを話すな
2、 派手なことはするな
と住民たちに伝えました。
戦に向かう神武天皇にとって、自分がどこにいるかという情報はとても重要で他に漏らしたくはなかったのです。私は幼い頃から神武天皇の話は他の人に話さないように、大人たちにしつけられてきました。年に一度太刀ヶ谷神社のお祭りがありますが、お神輿や獅子舞など目立つものは一切行われていません。その事実が明らかにされたのは今から20年前に白浜町教育委員会がお祭りの調査に入ったことがきっかけです。その後太刀ヶ谷神社は白浜町の民族無形文化遺産第一号に指定されました。しかしそのお祭りも最近では高齢化などにより存続が難しくなっています。』
私は立谷さんのお話を伺い、2600年もの間神武天皇の約束を守り、太刀ヶ谷神社を、質素にしかし丁寧に、先祖代々にわたり守って来た人々と、太刀ヶ谷神社奉賛会のみなさんの活動に感動しました。立谷さんは命ある限り、太刀ヶ谷神社のお祭りを続けていくという思いで活動しています。
私も立谷さんと同じ思いで、この歴史と、約束を守り通したこの土地の人々の物語が語り継がれていくことを祈念して、この記事を書きました。