ビニールハウスの一歩手前で、一瞬足が止まる。ハウスの外まで匂い立つ花の香りにまず圧倒される。そうっと足を踏み入れると、色とりどり、およそ550鉢の雪割草が、細い茎をすっくと伸ばし、いっせいにこちらを見ていた。外はまだ、広々と残雪が見渡せるというのに、ここだけは賑やかな春なのだ。そう、きっとこの場所が、この町に最初に訪れる春そのものなのだ。
秋田市から車で県南方面に向かい、高速に乗って1時間、かまくらで有名な横手市の中心部からさらに45分南下すると、増田町狙半内(さるはんない)地区がある。「釣りキチ三平」の故郷なだけあって、川を挟んだ集落は中心部とは一気に趣を異にする。
一面の雪景色が田畑を覆っている。本当に花が見られるんだろうか。雪割草の名所があると聞いてやってきた筆者は、3台も停めるといっぱいになりそうな駐車場から、件のビニールハウスまで小高い丘を登る。足元のフクジュソウが、金色のアプローチを作っていた。
そして小さなビニールハウスの中、ここまでの道のりを一気に忘れさせる満開の楽園だ。
およそ40種類の雪割草を育てるのは、髙橋淳一さん(68)。親しみやすく人好きのする気っ風(きっぷ)で、さぞ人気もあることだろう。訪れる人たちに一つ一つの雪割草の説明をしたかと思うと、コーヒーやお菓子でもてなし、お客たちの写真を撮り、冗談を言っては楽しませてくれた。
今年は珍しく暖冬だったが、冬の間に力を蓄える雪割草の生育に影響はなかったのかと聞くと、まず燃料費がかさんだと言う。
「え、あったかいのに燃料費…?」
「雪が降ると、ハウスの周りに雪がたまってかえってあったかいんだ。黙って外に立っているのと、かまくらの中と、どっちがあったかいと思う?それと同じだよ」。
雪が少なかった今年は、ハウス内の室温を保つために例年より燃料費がかさんだのだそうだ。雪深い地方の住民なら誰もが知る原理を、知らない自分がここでは少し恥ずかしかった。
温められたハウスの中は25度に保たれ、半そででもいいくらいだ。
10年前の父との約束を、これまでも、これからも守っていく
雪割草はもともと、髙橋さんの父親が手塩にかけて育てていたものだという。髙橋さん自身は製造の仕事をしていたのだが、およそ10年前、他界した父親の言葉がきっかけとなって、自身も雪割草に向き合い始めたのだと言う。
「父親が、『淳一には何も言うことはないよ。でも、人から受けた恩だけは忘れるな』そう言ったんだよ。だから、いくらでも周りの人たちに楽しんでもらおうと思って…」。
そう言って、たった今まで冗談を言っていた髙橋さんが突然涙ぐんだ。
10年前の父親の言葉を思い出して、これほど純に泣ける大人がどれほどいるだろう。筆者は、髙橋さんの思いもよらぬ涙に一瞬うろたえたが、よほど心をわしづかみにされた出来事だったのだろうと、気づくと一緒になって鼻をかんでいた。
「あーこれ咲いたねー。先週来た時まだつぼみだったもの」。
「午前中来た時咲いてなかった花、開いたねー。今日は暖かいものね」。
ハウスの前がまた賑やかになってきた。近所の人の中には、一ヵ月半程度しか咲かない雪割草を目に焼き付けようと、ワンシーズンに何度も訪ねてきたり、午前に、午後にと、花の開き具合を見に来たりする人もいるようだ。髙橋さんは、人が来るとまた、涙などなかったかのように外に出ては冗談を言い、写真を撮り、花の話を始めている。
雪割草の香りをふんだんに吸い込みながら、日を浴びて真っ白に光る3月の残雪を眺める丘の上は、何をおいても気持ちが良かった。足元のフクジュソウも、髙橋さんが移植してきたものらしい。
「よく咲いたよ。これからどんどん増えるよ。花は、強いよ」。
そう言った髙橋さんの目がきらきらと光っていたのは、涙ぐんだせいだけではあるまい。人の縁と恩を大事に育て続けてきた髙橋さんと雪割草を、いつも見守っている空は、雲の切れ間からどこまでも高く、優しい水色をしていた。