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私の息子、悠河(ゆうが)は生まれつき重度の心身障害があり、言葉を話すことも、排泄(はいせつ)や食事を自力ですることも難しいです。それでも、彼は人が大好きでいつもにこにこと笑っています。その笑顔にどれだけ救われてきたかわかりません。
悠河は21歳になりました。今はリハビリの時間には歩行器を使って歩いています。これは、彼の努力と周囲の支えがあったからこそ実現した奇跡のような歩みです。
目次
歩くという希望
悠河が通っていた療育施設や支援学校では、歩行器や装具を使った歩行練習の機会がありました。施設の専門家の先生や支援学校の先生方は、「少しでも歩くことで筋力を維持できる」と考え、彼に歩く機会を与えてくれました。
はじめは歩行器に乗せてもじっと立っているだけでした。しかし、少しずつ、ほんのわずかずつでも歩けるようになっていきました。
最初の一歩を踏み出した日、私は涙が止まりませんでした。悠河は、その障害から「難しい」といわれることを、自分の力で乗り越えようとしていたのです。
周囲の理解と支え
支援学校の先生方、リハビリの専門家の先生方、そして家族の協力なしに、今の悠河の姿はなかったでしょう。
療育施設や学校では、彼のペースに合わせて歩行練習を続けてくれました。歩くことが難しい日も、体調がすぐれない日も、決して無理はさせず、それでも「できること」を大切にしてくれました。
そんな日々の中で、悠河はいつもにこにこしていました。彼は人が大好きで、先生や友達、家族がそばにいるだけでうれしそうに笑います。言葉は話せなくても、その笑顔がすべてを伝えてくれます。息子の笑顔に私は何度も勇気をもらいました。
21 年目の今、そしてこれから
悠河は今も歩行器を使いながら、自分のペースで歩いています。寄り添ってくださるリハビリの先生方が悠河にとって何がベストかをいつも考えてくれています。
歩くことは彼にとって大きな意味を持っています。筋力の維持だけでなく、「自分で移動できる」という喜びも感じられるからです。
彼の笑顔を見守りながら、私はこれからも彼の可能性を信じ続けます。どんなに小さな一歩でも、それは悠河にとって大きな一歩なのです。