会津の志士・白虎隊と同じ「水」の道を歩く歴史ロマン!幕末のストーリーをともに感じる”洞門くぐり”体験【福島県会津若松市】

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福島県会津若松市の市街地東部に位置する飯盛山。その中腹にある「戸ノ口堰洞門」は、幕末の戊辰戦争(会津戦争)の重要な舞台のひとつです。猪苗代湖畔の戸ノ口原の戦いで破れた白虎隊士が鶴ヶ城を目指し、水に浸りながらトンネル(洞門)をくぐり抜け飯盛山に辿り着いたことで知られています。残念ながら、ふだんこの洞門には入れませんが、今回点検に合わせて戸ノ口堰土地改良区の許可を頂き洞門をくぐる機会がありましたので、特別に紹介したいと思います。

 

白虎隊が出陣命令を受けた滝沢本陣

 

洞門くぐりの入口は飯盛山の北側に位置する滝沢本陣からさらに山に入ること約10分の場所。多くの参加者が洞門くぐりは初めての体験で、ワクワクドキドキしながら全員で水路に沿って洞門入口に向かいました。

 

不動川にかかる戸ノ口堰の水道橋をゆっくり越える。

 

入口となる飯盛山弁天洞窟

 

洞門の長さは約180m(当時は約150m)で、洞門くぐり体験のため水を止めたためいつもの水の勢いはなく、この時の水深は約5㎝ほど。入る前に案内人から、中にはコウモリが棲んでいる、との説明を聞き若干ビクビクしながら水路に下りました。

 

白虎隊が実際に歩いた洞門を見ることができる

 

お互いの位置を確かめるように懐中電灯の灯りを頼りに歩くこと5分を過ぎたころ、途中に当時の洞門を垣間見ることができる場所に差し掛かりました。約150年前、猪苗代方面からここまで来た白虎隊が通り抜けた旧暦8月23日は、現在のカレンダーで10月8日。灯りもなく、疲れた体にムチを打つ想いで冷たい水に腰まで浸かりながら真っ暗な洞穴を必死で通り抜けたことでしょう。

 

不思議そうな目で観光客に見られる私たち

 

この戸ノ口洞門がある「戸ノ口堰」は全長約31㎞の堰で、最初に着工されたのはなんと今から約400年前の江戸時代初め。当時は今のような土木技術や重機もない時代の中、幾度の中断と再開を経て、水路延長と改修が進められてきました。

江戸時代後期には洞門の両側から夜間に提灯を使って測量し、工事をしたとのこと。しかし、湾曲していたためうまくかみ合わず、結果として洞門の途中で掘り直してようやく貫通。猪苗代湖から流れる水によって当時の人々の生活も大きく変化することとなり、現在に至るのです。

 

この洞門を流れる戸ノ口用水は現在でも会津若松市の大切な水として使用され、水力発電のみならず会津松平氏庭園 御薬園(国指定名勝)の池や鶴ヶ城(会津若松城)の堀、さらには市街地郊外の水田を潤しています。

 時代を見つめて来た戸ノ口洞門と、激動の時代に翻弄され、自刃の道を選んだ10代の白虎隊士。実際に彼らが進んだ洞門を探りながら進むと、自分も時代の大きな転換期に佇んでいるような錯覚に陥りました。学校の授業で学んだ知識でよりも実際に体験してみるのはとてもいい機会だと思います。

ぜひ読者の皆さんも機会がありましたら会津若松へ歴史探訪に来てみてはいかがでしょうか!

 

参照:とのくちせき(戸ノ口堰土地改良区)、あいづわかまつ市政だより(No.1396号)

昆愛

昆愛

福島県郡山市

第4期ハツレポーター

埼玉県川越市出身。前住地は山形県鶴岡市。会社員のかたわら、地域資源の掘り起こしとその魅力発信活動に取り組む。2023年、「誰もいなくなった町。でも、ここはふるさと~原子力発電所と共存するコミュニティで“記憶”と“記録”について考える【福島県双葉郡富岡町】」で本サイトのベスト・ジャーナリズム賞を2年連続受賞、また、天文活動の報告・交流等を目的としたシンポジウムでの発表「東日本大震災における津波で被災した月待塔の追跡調査について」で渡部潤一奨励賞受賞。