那智勝浦には、心をむき出しにできる時間と空間があった

紀伊半島南部に位置する和歌山県那智勝浦町は、マグロの水揚げ量日本一で知られる人口約1万4000人の町。この町で今、30代から40代の移住者が、まちづくりの中心となって活躍しています。

ローカリティ!編集部が今回取り上げるのは、和歌山県が主催する移住者情報発信力強化プロジェクトの一環で訪れた那智勝浦町で、飲食店「エルカミーノデルポエタ」を営む佐藤由明さん(40)とさゆりさん(35)ご夫妻です。編集部が那智勝浦の現場で見た、ご夫妻の横顔とは。

ローカル情報発信Lab.in和歌山の取材体験にご協力いただいた佐藤ご夫妻

心のざわめきを感じる「普通ではない」空間、エルカミーノデルポエタ

和歌山県の移住定住推進課が主催する移住者情報発信力強化プロジェクト「ローカル情報発信Lab.in和歌山2020」のスクーリングイベント(紀南第3回目)の舞台となった和歌山県那智勝浦町。

ローカリティ!編集部の母体、合同会社イーストタイムズは同プロジェクトの運営を担った。イベント開催数週間前の昨年11月末、編集部はプロジェクトの事前調整のため、この町を訪ねた。

日中の用事を済ませ、宿泊先にチェックイン。たまった仕事を片付け、「さあ、寝ようか」と思うも、どうも目がさえて眠れない。気になっていたのは、日中、今回のイベントのまち歩き取材体験の取材先として、オーナーご夫妻と打ち合わせをした飲食店「エルカミーノデルポエタ」のこと。

多国籍の雰囲気漂う、エルカミーノデルポエタの店内

エルカミーノデルポエタは、昨年3月、佐藤由明さんとさゆりさんが那智勝浦町のJR紀伊勝浦駅から徒歩5分の場所にオープンした飲食店だ。夜のバー営業がメインで、地元食材を使った創作料理が好評と聞いていたが、魅力はそれだけにとどまらない。

日中のご夫妻との打合せで飛び出た「オーナーが詩人であること」「店名はスペイン語で『詩人の道』であること」「神奈川・鎌倉と那智勝浦の二拠点生活であること」「渋谷の会社を経営していること」「日中は那智勝浦からオンラインで東京のクライアントにメンタルケアしていること」……。そうした「普通ではない」キーワードの数々と、「普通ではない」ことを裏付けるようなご夫妻の力強くも優しい雰囲気が、気になって仕方がなかった。

都心部から離れたこの町は、気軽に訪れることが難しい場所だ。今日、その「普通ではない」何かの正体を突き止めなければ、2度と知ることができないかもしれない。そう思うと、心がざわついた。この心のざわめきを何とかしなくては、今日は眠れないとすら思ったのだ。

心が解放されていないと、生きている実感はわかない

結局、居ても立ってもいられなくなり、店に行くことにした。宿から歩いて5分もすると、エルカミーノデルポエタに到着した。昼と夜では、だいぶ雰囲気が違う。

閉店間際の時間だったが、妻のさゆりさんが「来てくれてたんですね!」と笑顔で出迎えてくれた。隣には由明さんもいる。打ち合わせからほんの数時間ぶりの再会。でも、どこか感慨深い。

店のカウンターには近所で寿司屋を営んでいるという常連客がいた。「ここは、おでんがおいしいのよ」と、突然の来訪者の私に対しても満足げに語る。さゆりさんは地元の魚屋の娘。地域の人にとって、古くからの顔なじみの存在だ。エキゾチックで異国情緒ある店内に漂う空気が、とても優しくて温かいと感じた。

しばらくすると、客は私1人になった。

「旅の恥はかき捨て」というが、自然と心が緩んでいくような感覚に身を委ね、私もここぞとばかりに、ご夫妻に湿っぽい身の上話をしてしまった。同時に、日中の「普通ではない」事柄について、興味の赴くまま聞いてみた。

自ら会社を経営して産業カウンセラーとして活躍する傍ら、自然に囲まれた那智勝浦の地で、都会の子どもや子育てに奮闘する親たちの心を癒やす活動にも携わっているという由明さん。「都会では子ども大人も感情にふたをして、自分の本音と向き合ったり、むき出しの自分を表現したりすることって、ほとんどできない。だけど、自然の中で身の危険を感じるような体験をしたり、じっくり対話したりする時間を持つと、どんどんと心が解放されていくんだよね。心が解放されていないと、生きている実感はわかない」。そう語る由明さんの表情は、とても優しく楽しげであった。

話も進み、気がつけば時間はもう日付をまたいでいる。別れを告げ、店をあとにした。心のざわめきを何とかしようと思って店に行ったはずなのに、まだ心はざわついていた。しかし、不思議なことに、その夜は心地よい眠りにつくことができた。結局、「普通ではない」ことの正体はよく分からなかったが、「普通ではない」ことは、私にとって心地の良いことであることが分かった。

山・海・人、全ての距離が近い。那智勝浦の町の風景。

昨年12月6日、「ローカル情報発信Lab.in和歌山」のスクーリングイベントが開かれた。エルカミーノデルポエタで行われる取材体験は、講義、まち歩き、別の場所での取材体験を終えてからの、最後のカリキュラムとなる。私にとっては、ご夫妻との数週間ぶりの再会でもある。

イベント参加者からの質問に丁寧に答えてくれる佐藤ご夫妻。那智勝浦町の魅力について、由明さんは「ここは山と海の距離が近いだけじゃなくて、人と人の距離も近い。むき出しの人間同士の付き合いがあるのは、都会じゃなくてこっちのほうじゃないかな。むき出しではあるんだけど、安心できる場でもあるってのが魅力」と語ってくれた。

由明さんは続ける。「人間の脳には、思考を司る部分と、感情を司る部分と、生きるための原始的な衝動を司る部分があって、衝動を司る部分を俺は『トカゲ脳』って呼んでいる。自然の中で身の危険を感じることで『トカゲ脳』が刺激されると、感動とかワクワク、生きている実感ってのが、わいてくるんだよね。その『トカゲ脳』が刺激されるような体験が、今の時代を生きる子どもにも大人にも必要ですね」。

生きることの根源に話がおよび、参加者たちは「普通ではない」ことに興味をそそられている様子だった。

その反応を横目で見ながら、私は参加者たちがきっと感じてくれているであろう心のざわめきを想像し、数週間前の体験を思い出して、どこか懐かしく感じた。

ローカル情報発信Lab.in和歌山スクーリングの様子。佐藤夫妻にインタビューする参加者たち

(取材・ローカリティ!編集部 畠山智行)

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エルカミーノデルポエタ HP