2024年7月9、10日、能登半島へ足を運んだ。知人・Sさんから「能登は、このまま忘れられるんじゃないかと思うぐらい復興が遅れている」と聞いたからだ。幹線道路での移動さえ満足にできず、ヒトもモノも不足――。
能登半島の「今」、とくに道路の様子についてわずかではあるが、お伝えしたい。
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車が「飛ぶ」道路
Sさんは京都市在住。地震の直後、「1、2日のつもりで」やって来たのだが、あまりの状況を見て帰るに帰れなくなり、以来、ずっとボランティアに精を出している。実は、昨年12月に退職したばかり。のんびりする予定が、現役の時よりも前途多難な場に身を置いてしまっている。
9日朝、石川県羽咋(はくい)市にあるボランティア拠点からSさん運転のバンで出発した。「のと里山海道」に入る。能登半島の中央を走る、大きな観光道路だ。
少し走ると、車の揺れが大きくなってきた。アスファルトに、小さな隆起や陥没が無数にできている。その上を走るたびに、上下左右に車が揺れる。車酔いする人は耐えられないだろう。
それでも最近はとりあえずの修繕がすすんでいるようだ。最近まで「ジェットコースターのようだった」とSさんは言う。「車が飛ぶねん。宙に浮いてるわって感じる。まだマシになったと思う」。
まだマシって…。
がけ崩れ多数、また崩れないか…
道の両側には、フレコンパックが並ぶ。土がむき出しになった土砂崩れの現場だ。フレコンパックがあるからには、自治体か担当省庁かどこかが何らかの応急処置をとったのは間違いない。
しかし、あくまでも「応急」なのだろう。山の上からごっそりと削られたままの土の面、そこに突き刺さっている大木、でこぼこのアスファルト。窓の外はその連続だ。だいじょうぶだとはとても思えない。何かの拍子に、あの木が落ちてくる、飛んでくるのではないか。土砂が押し寄せるのではないか。車なんか、あっという間に弾き飛ばされてしまうに違いない。
コンクリートの水路が壊れて、別の流れができているようなところもあった。逆に、川だったところが堰(せ)き止められ、池になってしまった場所もある。大雨になれば、行き場をなくした水が新たな土砂災害を起こすのではないかと思う。
転落した軽自動車は、そのままになっている。半年経ってもそのままである。道路が陥没して、道路沿いに張られた金属製のケーブルと支柱だけが宙に浮いているのも見た。片側の車線が崩落したところでは、工事用の信号を設置して残った車線が上下線に共有されている。
復興のための工事車両、ダンプカーは土やがれきを満載し、ひっきりなしに走っていく。用心しているとは思うけれども、作業に携わる方が二次災害に遭わないか、不安になった。
慣れるってこわい
人間とは便利なもので、半日経ったころからフレコンパックや土砂崩れに目が慣れていく。慣れていく自分がこわい。
このあたりは車がないと、買いものや病院に行けないはずだ。実際、スーパーマーケットや薬局などにはたくさんの自家用車が停まっている。お住いのみなさんは、安全な道を利用できているのだろうか。見慣れてしまってはいないだろうか。不安があっても利用せざるをえない状況に陥ってはいないだろうか。
もう半年も経っているのに、と思う。この半年で、もうちょっとなんとかできなかったのだろうか。能登半島には大きな街がない。石川県という視点では金沢市があるものの、金沢市民も被災者である。高齢化率も高い。ヒト・モノ不足による復興の停滞を感じる。
同じ東海・北陸地方に住む一人として、このままではいかん!と強く思った。一人でできることはたいしたことではないが、「みんなで少しずつ」ならだいじょうぶ。それから、自治体や行政にはもう少ししっかりサポートをしてもらいたい。安全に暮らしたいと願うのは、みんないっしょなのだから。
のと里山海道が「観光道路」に戻り、静かな能登半島が早く戻るよう、今後も能登へ行こうと思っている。
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