「木が大好き」からあふれる、果てしない探求心!宮古島のど真ん中から世界の中心を狙う「宮古木工芸」 二代目・与儀昌樹インタビュー(後編)【沖縄県宮古島市】

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宮古島中心部、地盛(じもり)集落で63年続く三線と木工家具を同じ工房で制作する世界で唯一の業務形態を持つ事業所「宮古木工芸」二代目・与儀昌樹(よぎ・まさき)さん(33歳)からお話を伺いました。(前編リンクはこちらhttps://thelocality.net/miyakomokkougei-yogimasaki1/

命懸けの製材

製材機の使い方を説明。命に関わるとても危険な作業である。
帯ノコ(帯状のノコギリ)の鋭い刃の様子。
帯ノコ全体。僅かな傷が原因で起こる事故を想像すると恐怖でしかない。

「製材から一貫して行う木工所は、うちだけなんです」。製材は本来専門工場が行う分野とのこと。製材機に設置した全長7メートルの巨大な帯ノコ(帯状のノコギリ)、硬い木材、小さなズレで刃に傷がつき起こり得る事故、僅かな狂いも許されないシビアさ、そして猛暑の作業場などなど、神経を尖らす場所は多岐に渡ります。

さらに作業時には製材機の帯ノコ(帯状のノコギリ)に接近しなければならず、恐怖そのもの。

もし、刃が欠けていたり、わずかな傷を見逃したまま木を切ると、高速回転している刃が一瞬でちぎれ跳ね上がり、7メートルでノコギリ状の鋭い刃がその場をものすごいスピードで暴れ回る様が想像できます。

すなわち「死」と隣り合わせの作業。「簡単にはできない特別な仕事だと自負しています」、彼はニヤリとつぶやきました。

木材がはねて体に刺さることは日常茶飯事。致命傷に至ることは無かったものの、あわや大事故になりかけたこともあり、「作業中はもちろん、作業前の点検、全てにおいて徹底的に集中します。油断大敵」。

我々はこの苦労の上に、日々利用する家具が作られていることを忘れてはならない思いを感じずにはいられませんでした。

印象的だった仕事 

「御机(おんつくえ)」。鮮やかな木目が美しい。(写真提供・与儀昌樹さん)

思い出に残る仕事について聞いてみたところ、2019年沖縄で開催された「全国育樹祭https://www.rinya.maff.go.jp/j/ryokka/ikuju/」において皇族が着席される「御机(おんつくえ)」を製作した思い出を話してくれました。

「製作は沖縄県木工技能士会会員から選抜され、原材料は座間味村本村(ざまみそんもとむら)のリュウキュウマツ、製材は沖縄本島北部の業者が参加しました。現場へ立ち会い加工の指示、ヤニ抜き処理など行った後、宮古島へ材料を搬入。厳選された部材を使用し、毎月の打ち合わせを経ながら『皇族用』の特別仕様で丁寧に作り始め、一年かけて製作しました」と昌樹さん。

御机の完成後は宜野湾(ぎのわん)市の育樹祭会場へ発送、式典にて使用。式典終了後は原材料を採取した座間味村へ返します。製作者に自ら名乗りをあげた昌樹さん。「秋篠宮ご夫妻と写真撮影した思い出に加え、快く賛成してくれた木工技能士会会員の皆様。多くの協力やアドバイスをいただき、若手なのに参加させて戴きとても感謝しています」と語ります。

秋篠宮ご夫妻が着席された「御机」。2019年度全国育樹祭より。(写真提供・与儀昌樹さん)
今年8月カナダで開催される「日系祭り」。宮古木工芸も初参加。

宮古島から世界へ

ロンドンの街角に沖縄が出現するイベント「沖縄デーhttps://uk.mixb.net/information/articles/37536」へ参加経験もある昌樹さん。1日に8千人が集まり、泡盛も振る舞われる「沖縄デー」 。ロンドン三線会や沖縄県人会とともに宮古民謡を共演する感慨深い出来事も。また三線のメンテナンスを提供し重宝された思い出も。特に印象深かった思い出は「ロンドン大学の教授が三線を弾いていた光景。多国籍授業の一環として三線を広めているようです」と、思い出し笑いをしながら話します

また、今年の8月にカナダで開催される日系の二世三世が日本の文化を楽しむ祭り「日系祭りhttps://nikkeimatsuri.nikkeiplace.org/」にスペシャルゲストで参加も決定しており、精力的な活動とスケールの大きさを感じずにはいられません。

今後の目標を尋ねると「ドバイでの出店。一挺(ちょう)3千万円の三線を作れる確かな技術を磨き上げ、ドバイで10本ほど売り、宮古へ帰ってくる」。続けて「目利きが鋭い富裕層の方々が気に入る品を作りたい」としみじみ語り、向上心は天井知らず。ただただうなずくしかありません。

宮古島の美しい風景

不便かもしれないが、心地よい

昌樹さんに宮古島の魅力を尋ねるとあっさりとした口調の中にも島へ対する愛が滲み出ています。

「まず大きな魅力は美しい自然」。

都市部を巡業していると特に、宮古島の海や森などと比べてギャップを感じるそうで、日本各地を巡業する度に、その思いは蓄積され、外国へ出ても地元の良さを改めて実感するようです。「都会と比べると不便かもしれないが、自身にとっては心地よい特別な場所」だそう。とても共感しながら次の質問。

自身の仕事の魅力について尋ねてみると、「自分が作った作品を持ち、世界を周れる特殊な仕事。旅先で初めて味わう習慣の新鮮さや、『世界と文化の違い』を実感できる仕事です。また、人種は違えど交流することで、人と人とのつながりも味わえます」と昌樹さん。

観光推進による開発が進む宮古島について尋ねてみると、「便利になった島は魅力的ですが、限りある資源をどうするか。なくなるものや新しく始まることもある。例えば、伐採で木を切りました。肥料にして終わりではなく、価値ある木は工芸品にするなど再利用できないか考えること」と昌樹さんはいいます。

宮古島では現在、伐採された植物は全て廃材となり、肥料になっていると言われています。

行き先が肥料だけではなく、新たな価値を生み出すには、さらに一歩先へ進んだ議論が求められます。具体的には「土建業者から伐採により出る膨大な数の木から、良質な材木を選び買い取り、製品を作ることで木の循環に取り組んでいます」と昌樹さん。今の時代求められる地域課題解決型ビジネスに取り組んでいます。

昔から通うお客さんから「宮古島は変わった」とよく言われるそうですが、あえて昌樹さんはこう答えるそうです。

「宮古島が良いと思うから何度も通いますよね?」続けて「開発と保存のバランスこそ、大事なのでは。人が暮らしているので、いい面も悪い面もあり簡単ではありませんが、お互い尊重し合えることが、一番の理想ではないでしょうか?」。キラキラとしたまなざしで語る大きな意味のある話に、ただただ感動するばかりでした。

様々な形がある三線(右側の表示) その中で開鐘(けーじょう)と呼ぶ銘器の紹介(左の表示)

唄者(ウタシャ)として

三線についても達人で、さまざまな受賞歴、師範や教師免許を持つ昌樹さん。なりそめを尋ねると「当時師範でもある祖父の勧めで始めました。幼少期ですが、詳しく覚えていません」と昌樹さん。小学1年生の頃、気づいたらコンクールを受けて新人賞をもらったエピソードはさすがの一言。

「月・水・金曜は三線の稽古。教室へ送迎してくれる親族が、到着を知らせる車のクラクションは懐かしい思い出です」。続けて「幼い頃はもっと遊びたかったですね〜」と笑顔で一言。気分転換についても聞いてみると「子供達と遊ぶこと。家族でお笑い番組を見ながら過ごす時間がとても安らぐ時間であり、家族の存在が活力源だ」と話してくれました。幼少時から木工の手伝い、三線の稽古。日々木に関わってきた昌樹さんは、宮古民謡「なりやまあやぐ」の教訓であり、祖父の教えでもある「何事も深入りはよくない」の一言も忘れずに、あくなき探究心で唄者としてもまい進します。

地元を愛する人が唄う民謡は、必ずいい。「宮古民謡・なりやまあやぐ(唄・三線 与儀昌樹)」

島の数少ない技術者として、試行錯誤し、なければ作るしか無かった逆境をバネに歩んだ先代。そして確かな発展を受け継ぐ二代目。

宮古木工芸の歴史も、宮古島が誇る「アララガマ魂※」であることは間違いないでしょう。先代からの教えを胸に、木工職人そして唄者としても「よりいいもの」を世間へ提供すべく、二代目・与儀昌樹さんの「宮古島のど真ん中から世界の中心」へ挑む試み、まだまだ続きます!

※宮古島方言で不屈の精神。

店舗情報

宮古木工芸      

住所:〒906-0013 沖縄県宮古島市平良下里2616-1
TEL:0980-73-3001
ホームページ:宮古木工芸
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波名城優

波名城優

沖縄県宮古島市

第7期ハツレポーター

1982年宮古島市出身、在住です。
一時期島を離れ、帰郷後地元の魅力を伝えるため、宮古島をテーマにしたコンテンツ制作事業を小さく展開しています。
自然、文化も多彩な宮古島の魅力をローカル目線で紹介致します。
特技 撮影 サーフィン ギター演奏

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