
「城」というと、どんな光景を思い浮かべるでしょう? 天守閣、石垣、堀に囲まれた姿を想像する人も多いと思います。
しかし、熊本県山鹿(やまが)市にある鞠智城(きくちじょう)で私が見たのは、荘厳ではなやかな建物ではなく、静かな山の中に残る土塁や門跡でした。
ここには約1350年前、国を守るために集められた防人(さきもり)たちがいました。その場所に立つと、彼らが背負っていた不安や覚悟を想像せずにはいられませんでした。
目次
鞠智城とは

鞠智城は、663年の白村江(はくすきのえ)の戦いで日本が敗れた後、唐や新羅による侵攻に備えて西日本各地に築かれた古代山城のひとつです。
当時、九州北部には長崎県対馬(つしま)に「金田城」(かなたのき)、福岡県に「水城」(みずき)「大野城」(おおのじょう)「基肄城」(きいじょう)などの防衛施設が築かれていました。鞠智城は、それらの前線を支える後方支援基地として重要な役割を担ったとされています。
現地に立って最初に感じたのは、「なぜここに城を造ろうと思ったのだろう」という驚きでした。

現在のようにドローンや人工衛星で地形を上空から確認できる時代ではありません。山の形、周囲の見通し、敵の侵入経路を人の目と経験だけで判断し、この場所を選んだのだと思うと、その視点の鋭さに驚かされます。
白村江の戦いが行われた朝鮮半島沿岸から、鞠智城までは直線距離でも約400キロメートル以上あります。
「遠いから大丈夫」ではなく、海を越えて攻め込まれる可能性を考え、九州全体を守る備えを進めた当時の人々。その危機感は、現代の私には想像しきれないほど大きかったのではないかと思います。
城内には、八角形の建物「鼓楼(ころう)」が復元されています。

最初はこれが鞠智城か、と思いましたが、鼓(つづみ)の音で時を知らせたり、見張りをしたりするための「八角形鼓楼」でした。

しかし、国内では似た例の建物がなく、韓国の二聖山城(イーソンサンソン)でも同じようなものがあり、建てられた目的はいまだ謎に包まれています。

ほかにも兵士が寝泊まりした兵舎、食料を保管した米倉、行政的な役割を持つ建物群があったことが確認されています。

建物だけを見るのではなく、「ここで誰かが暮らし、働き、守っていた」と考えながら歩くと、単なる歴史遺跡ではなく、人の営みがあった場所として感じられました。
また、約1350年前の、古代山城 鞠智城が築かれた時代のことや、役割、構造について展示と映像で詳しく学ぶことができるガイダンス施設「温故創生館」があります。

防人たちの当時の武具、生活用具なども展示し、2階休憩所からは鞠智城跡を一望できるスポットです。
国指定史跡「鞠智城跡」の貯水池跡から出土した「銅造菩薩立像」は、7世紀後半に百済(くだら)=現在の朝鮮半島で造られたと考えられています。当時の大和朝廷との関係を示す貴重な出土品も見られます。


土塁を歩く

鞠智城で特に印象に残ったのは、「土塁」でした。
城内と城外を分けるために「版築」(はんちく)という手法でつくられた土の防御施設です。自然の地形を利用しながら、赤土と砂を薄く交互にしきつめ、道具でたたきしめます。より一層固い地面になるよう、人の手によってさらに守りを強化しています。

実際に歩いてみると、その工夫が体感できました。
城内側は比較的緩やかな斜面で、歩くことに大きな苦労はありません。しかし城外側を見ると、場所によっては急角度で切り立っています。

もし敵が大勢で攻め込んできたとしても、この地形では簡単には進めないだろうと感じました。

門の周辺も狭くなっており、攻める側からすると足場も悪く、どこから攻撃されるかわからない不安があったはずです。
谷部には「深迫(ふかさこ)門」「堀切門」「池ノ尾門」と呼ばれる門跡があります。石に残された穴など、当時の構造を感じさせる遺構も残っています。


約1350年前の痕跡が、現在まで残っていることにも感動しました。
雨でぬかるんだ足元を気にしながら歩いていると、現代の私でも少し不安になる環境でした。
これが当時、敵がいつ来るかわからない状況で守りについていた人々なら、どれほど心細かったのだろうと思いました。
当時の防人たちの気持ち

鞠智城を歩きながら、何度も思い浮かんだのが防人とよばれる、古代に九州沿岸などの警備を担った兵士たちです。
彼らの思いは、学校で習った『万葉集』の防人歌にも残されています。
「韓衣 裾に取り付き 泣く子らを 置きてそ来ぬや 母なしにして」
(私の衣の 裾に取り付いて 泣く子どもたちを 置いてここまで来てしまった 母親がいないというのに)
これは、故郷に残してきた子どもへの思いを詠んだ歌です。
筆者も家族がいる身として、この歌を改めて現地で思い出すと、胸に迫るものがありました。自分も家族の生活も大変だった時代に、妻や子どもを残して遠く離れた九州へ向かう。いつ帰れるかわからない任務に就く。
私が想像できるのは、その苦しさのほんの一部なのかもしれません。

訪れた日は小雨でした。
ぬれた土、薄暗い山道、周囲の静けさ。木や茂みの影から何かが出てきそうな気配。その景色が、当時の防人たちの不安な気持ちを少しだけ想像させてくれました。もちろん、現代の私が感じたことと、実際に彼らが抱えていた思いは同じではありません。
しかし、同じ場所に立ち、同じ風を感じることで、歴史上の人物ではなく「そこに暮らしていた人」として防人を見ることができた気がします。
鞠智城は、戦いのためにつくられた場所です。ただ、そこに残っているのは争いの記憶だけではありません。遠く離れた場所から来た人々が、家族や故郷を思いながら日々を過ごした証しでもあります。
約1350年前、この地で空を見上げていた防人は、何を考えていたのでしょうか。その答えを知ることはできません。けれど、静かな山の中に立つことで、彼らの不安や願いに、ほんの少しだけ近づけたような気がしました。
※写真は全て2026年3月17日筆者撮影
情報
場所:【歴史公園鞠智城・温故創生館】
住所:〒861-0425 熊本県山鹿市菊鹿町米原443-1
TEL:0968-48-3178
FAX:0968-48-3697
HP:https://kofunkan.pref.kumamoto.jp/kikuchijo/





