桜と悲劇の物語:東北の玄関口に咲く歴史と想いを繋ぐ「おとめ桜」とは【福島県白河市】

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 ▲満開のおとめ桜 (写真提供:白河市役所観光課)

奥州三古関の関所のひとつがあったことから「東北の玄関口」と言われる福島県白河市。最近ではさらに東北勢が甲子園でなかなか優勝できないというイメージが重なって、2022年夏の高校野球大会の際には「白河の関越え」というワードが一時Twitter(現在はXに改称)のトレンド入りしたことも記憶に新しいだろう。

▲2022年夏 白河の関に近い白河神社にて

白河の歴史は古く、日本で最初に公園を市中心部に築造した江戸後期の藩主・松平定信公の功績は最もよく知られるところだが、それに至るまでの桜にまつわる悲話をひとつ紹介しよう。

▲新一万円札の肖像画になる渋沢栄一は幕府の執政として命を懸ける松平定信をあつく敬愛していたという

●小峰城 築城にまつわる悲運の物語

さかのぼること今から約400年前の江戸時代初め。陸奥棚倉(むつたなぐら)城から移ってきた初代藩主丹羽長重(にわ・ながしげ)は、白河で小峰城の大改築に着手した。しかし、あともう少しのところでなかなか完成しない。本丸の一角にどうしても崩れてしまう石垣があったからだ。

 あれこれ策を尽くすもの、なかなかうまくいかない。ついに「何かの祟(たた)りでは?」という結論に至り、生け贄(にえ)として人柱を立てることに。人柱とは難工事の完成を祈り、人を生きたまま土に埋め神へ捧げる儀式だ。長い話し合いの末、家来たちは今朝1番最初に近くを通りがかった者を人柱にすることに決めた。そして、ついに見えた人の姿。なんとそれは会議に参加していた作事奉行の和知平左衛門(わち・へいざえもん)の娘「おとめ」だったのだ。父は必死に「来るな」と手で合図をしたが、逆に「来い」という合図と勘違いしたおとめは捕らえられ、そのまま城に身を捧げることとなった。

その後、石垣は無事完成し、2度と崩れることはなかった。人々はおとめの運命を悼み1本の桜の木を植えそれがいつしかおとめ桜と呼ばれるようになったという。

▲おとめを追いまわしたと説が残る小峰城に近い追廻(おいまわし)地区

●おとめ桜:歴史と想いを繋ぐ

▲東日本大震災で被災した石垣を復興している途中の風景(2015年撮影)

残念ながら、この桜は戊辰(ぼしん)の戦火で焼失したが、現在は2代目の「おとめ桜」が見事な花を咲かせ城を艶やかに彩る。2011年の東日本大震災ではこの小峰城も大きな被害を受けたが、ここでの石垣復旧工事の経験がその後の熊本城の復興にも役に立てられた。

▲春の小峰城。天守閣の西側におとめ桜がある。

「歴史のまち」白河には、おとめ桜だけではなく、古くから人々に親しまれてきた桜が点在し、中には伝説・伝承があるものもある。今年の白河地区の桜は今が満開。東北の玄関口で可憐(かれん)な桜に込められた想いに触れてみてはどうだろうか。

昆愛

昆愛

福島県郡山市

第4期ハツレポーター

埼玉県川越市出身。前住地は山形県鶴岡市。会社員のかたわら、地域資源の掘り起こしとその魅力発信活動に取り組む。2023年、「誰もいなくなった町。でも、ここはふるさと~原子力発電所と共存するコミュニティで“記憶”と“記録”について考える【福島県双葉郡富岡町】」で本サイトのベスト・ジャーナリズム賞を2年連続受賞、また2024年、天文活動の報告・交流等を目的としたシンポジウムでの発表「天文文化史で地元の魅力発信?九曜紋が導く新たな誘客構想とは【福島県南相馬市】」で渡部潤一奨励賞を2年連続受賞。

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