消えた12000人はどこに?今は廃墟となった銀山の記録を残す無人駅に、全国から人が集まる納得の理由【秋田県湯沢市】

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院内駅に併設された、院内銀山異人館。

院内(いんない)駅はJR奥羽(おうう)本線の無人駅で、秋田県の最南端に位置している。最寄りの新幹線の駅である新庄駅への電車の本数は2023年7月現在、8本と少ない。JR東日本の公式HPによると、一日の平均乗車数は2007年に47人であったが、それ以降については掲載がない。

しかし、この無人駅には隣県の宮城や山形のみならず、全国から堪えず来客があるという。その秘密は、院内駅に併設された郷土資料館「院内銀山異人館」にある。院内とはどのような地域なのか。そして、人々はなぜ、この地を訪れるのか。

歴史は400年、かつて東洋一の産出量を誇った大銀山。最盛期の人口は12000人超え

院内は秋田県湯沢市の一地区で、東北の中心都市仙台からは車で2時間程度、東京からは山形新幹線新庄駅を経由して最短4時間程度でアクセスすることができる。

院内は東洋一とまで言われた大銀山「院内銀山」があったことで知られている。院内銀山が発見されたのは1606年。現在に至るまでの歴史は400年以上に及ぶ。1833年から1843年までの10年間においては、院内銀山の産銀量は年間一千貫(3750kg)を超え、秋田藩の財政を支えた。院内銀山は「天保の盛り山」と呼ばれ、全国各地から多くの人が集まり賑わった。明治新政府が主導する殖産興業の政策下にあっては、ドイツやイギリス、アメリカの技師を招聘(しょうへい)し、重点的に開発が進められ、日本の近代化にも大いに貢献した。最盛期、銀山町の人口は12000人以上にも登り、明治天皇が院内銀山を巡行した記録も残っている。

明治時代の院内銀山。12000人以上の人が住んでいた。院内銀山異人館の入り口に当時の様子を写した垂れ幕がある。

しかし、銀山の繁栄は長くは続かなかった。1906年に発生した大火災や世界経済における銀本位制から金本位制への転換をきっかけに次第に銀山は衰退を始め、1952年には院内銀山関連の全事業が完全に終了。当時銀山町があった場所は、今は完全な廃墟になっている。2023年4月現在、院内地区の人口は全盛期の約十分の一、1287人となっているが、住民は全て当時の銀山町からやや離れた場所に住んでいる。

「院内発上野行き」かつて賑わいを見せた駅舎が火事で消失、郷土資料館併設の駅舎へ

院内銀山が閉山した後も、院内地区には人が残った。院内は200万年以上昔に火山活動が活発に行われた名残から、風化や熱に強い石材である「院内石」が採れ、産銀以外の産業が成り立っていたからだ。院内石は酒蔵や倉庫などに利用されており、院内石を使った建築は今も湯沢市内や隣の横手市内で見られる。

昭和中期(撮影時期不明)の院内駅の様子。東北新幹線・新幹線が通っていなかった当時、院内は東京との窓口になっていた(院内銀山異人館所有)

院内石の採掘が盛んだった頃、院内の駅前は多くの人で賑わっていたという。「昔は院内発、上野行きの電車ってのがあった。この駅は始発駅で、終着駅でもあった。火事に遭わなければ、全国でも名の知られた駅になっていたかもしれない」と語るのは、雄勝(おがち)町議や湯沢市議を歴任し、現在は院内地域づくり協議会の会長を務める会田一男さん(69)。

院内駅は、1988年に火災に遭い、木造の駅舎が焼失した。その際、再建された駅舎に新たに併設されたのが今は廃墟となっている院内銀山に関わる歴史資料等を展示した郷土資料館「院内銀山異人館」である。資料館の名称は、明治時代に招聘されたドイツ人技師の邸宅が異人館と呼ばれたことに由来しており、建物の形状も当時の異人館を模したレンガ調になっている。

「みたこともない私の祖先がここの生まれ」自らのルーツを辿って郷土資料館を訪れる人達

院内駅の利用者数は減少を続けているが、隣に併設された院内銀山異人館を新たに訪れる人の数は決して少なくない。コロナ禍も冷めやらぬ2023年6月1日から7月22日までの2ヵ月弱で、秋田県以外からは、北海道、青森、岩手、宮城、山形、福島、茨城、埼玉、東京、神奈川、長野、愛知、大阪、兵庫、沖縄と、15都道府県からの来客があった(院内銀山異人館調べ)。コロナ禍前はもっと人の往来があったという。何故なのだろうか。

会田さんの説明に聞き入る20代〜40代の男女。首都圏や兵庫県、隣県山形からの来訪者。

それは偏に、最盛期にあまりに多くの人口がいたことが由来している。院内に縁のある人は、全国に多数散らばっているのだ。院内銀山異人館には、「自分の先祖がここにいたかもしれない」と、自らのルーツを探しに来る人が多いという。

来館者が自由に記入できるノートには、「2度目の来館、小さいながら充実した資料館で、夫を連れてきた。(展示されている)鉱石の大きさに驚き、夫に見せたかった。みたこともない私の祖先がここの生まれ、出身地なので縁がある」などの記載もある。「夫の父方のルーツがあるのが院内。2年前に結婚して初めて院内に来たが、今は閑散としている院内に、昔あんなに人がいたことが信じられない」と語るのは、畠山美保さん(32)。結婚をきっかけに、地域に縁を持つ人も一定数いるようだ。

また、地元の地域団体や、湯沢市ジオパーク推進協議会などが主催するイベントなどをきっかけに、若い世代が院内銀山異人館を訪れる機会も増えている。取材当日は、湯沢市が主催する地域に想いを持つ人の学びの場「ゆざわローカルアカデミー」のOB・OGや、関係人口という概念に興味を持つ山形芸術工科大学の学生が、会田さんの説明に、熱心に聞き入っていた。

全国でも貴重な郷土資料館併設の駅舎。地域活性化の拠点としての可能性は?

一日の利用者数が統計データとして正確に把握されないほどに衰退した院内駅であるが、併設された院内銀山異人館は、院内に暮らす人達や、その地域に特別な繋がりや想いを持つ人達にとってシンボル的な存在となっていることは間違いない。最盛期に比べて人口は十分の一になった院内地区であるが、院内銀山異人館をトリガーにした地域づくりの試みは活発になされている。2021年9月21日〜25日、コロナ禍の中、院内地区の地域団体「小沢えぼし会」によって行われた院内銀異人館のライトアップもその一環だ。ライトアップイベントは、全国鉱山記念日(1881年9月21日に明治天皇が院内銀山5番坑に入坑したことをきっかけに制定)に花を添えつつ、コロナ禍で気持が沈んでいる人達を元気づけた。

院内駅前に整備された紫陽花畑。梅雨明けを間近に控え、咲き誇る。この紫陽花畑の整備も地域の人の手でなされている。

全国には、院内地区と同じくかつて鉱山で栄えた町が多数ある。産業の衰退とともに地域が廃れていくことは必然の理であるが、その地域でかつてどのような産業や暮らしがなされていたのかを深掘りして可視化する時、その地域ならではの魅力や価値が見えてくるかもしれない。

※)写真は、全て2023年7月21日~23日筆者撮影

畠山智行

畠山智行

神奈川県横浜市

副編集長

ローカリティ!エヴァンジェリスト
ふるさと:
宮城県仙台市(出身地) 
秋田県湯沢市(自分で選んで移住した土地その1) 
神奈川県横浜市(自分で選んで移住した土地その2)

何気ない日常がどんなに尊く、感動に満ちているか、そのことに読者の皆さんが気付けるメディアに成長させていきたいと思います!

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