
フランス北東部のアルザス地方を旅していると、不思議な光景に出合う。
教会の尖塔の上。古い家の煙突の上。時には工事中の建物の上にも、大きな巣がのっている。そして空を見上げると、大きな翼を広げたコウノトリがゆっくりと旋回している。
日本では動物園でしか見る機会のない鳥だが、アルザスでは人々の暮らしのすぐ隣に存在しているのである。

目次
アルザスの象徴となったコウノトリ
コウノトリはアルザス地方の象徴として知られている。
土産物店にはコウノトリの置物や絵葉書が並び、レストランの看板や観光案内にもその姿が描かれている。初めて訪れる旅行者にとっては少し不思議に映るが、現地の人々にとってコウノトリは単なる野鳥ではない。
古くからヨーロッパでは、コウノトリは幸福や豊穣、家族の繁栄をもたらす鳥として親しまれてきた。赤ちゃんを運んでくる鳥という伝説もその一つである。
特にアルザスでは、コウノトリが家の屋根に巣を作ると幸運が訪れると信じられてきた。そのため人々は鳥を追い払うどころか、安心して巣作りできるよう煙突や屋根の上に土台を設置するようになった。


戦争と近代化で姿を消したコウノトリ
しかし、この風景は決して昔から変わらず続いてきたわけではない。
20世紀に入ると湿地の減少や農業の変化、さらに戦争による環境破壊の影響でコウノトリの数は激減した。
アルザス地方は歴史的にフランスとドイツの間で何度も領有権が変わった地域であり、普仏戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦と、たびたび戦火に巻き込まれてきた。
かつては当たり前だったコウノトリの姿も、1970年代には野生個体がほとんど見られなくなったと言われている。

人々が守った「帰ってきてほしい風景」
それでもアルザスの人々は、この鳥を諦めなかった。
各地で保護施設が整備され、繁殖活動や再導入計画が進められた。地域住民や自治体も協力し、巣作り用の人工台座を設置するなど環境整備を続けてきた。
その結果、現在では再び多くのコウノトリがアルザスの空を飛ぶようになった。
コルマールだけでなく、周辺のリクヴィール、エギスハイムといった美しい村々でも、その姿を見ることができるようだ。
それは観光用に演出された風景ではなく、人々が何十年もかけて取り戻した風景なのである。

空を見上げる理由がある街
アルザスを旅していると、自然と空を見上げる回数が増える。
屋根の上に大きな巣を見つけたり、翼を広げて飛ぶ姿を探したりしているうちに、この地域の人々がなぜコウノトリを大切にしてきたのかが少しわかる気がする。
それは単に、絶滅危惧種の珍しい鳥だからではない。
この地域が受け継いできた文化と記憶を静かに語り続けてくれるのが、コウノトリという存在なのではないだろうか。

※写真はすべて筆者が撮影(2026.05.26)





