不思議な縁が導いた「ビワ栽培」。奈良県十津川村が名前の由来【鹿児島県南大隅町】

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※眼前に桜島をのぞむ十津川農場のびわ畑

〜この記事は、株式会社JTBふるさと開発事業部と合同会社イーストタイムズが共同で取り組んでいる「ローカル魅力発掘発信プロジェクト」から生まれたハツレポです〜

九州の鹿児島県にビワを栽培している農場があります。名を十津川農場といいますが、所在地のどこにも「十津川」の字は見当たりません。

それもそのはず、十津川は奈良県の十津川村からとったもので代表者の玉置博祥(たまき・ひろよし)さんの出身地です。会社名を自分の出身地からとったといえばそれまでですが、それだけとも言いきれないのがおもしろいところです。

奈良の十津川村には、なんと選ばれた者のみが参拝を許されるという「玉置神社」があり、一方で玉置さんは鹿児島で出会った宮司がビワを育てていたことがきっかけで、ビワを育てることになったそうです。

これは作家・川村たかしさんの「新十津川村物語」で奈良の農民が新天地を北海道に選んだように、玉置さんが神社による縁で九州に導かれた運命といえるのではないでしょうか?

農場の所在地名の中の根占(ねじめ)は「移植した樹木のねもとの土をつき固めること」を意味する「根締め」を彷彿とさせます。

玉置さんが農場を「十津川農場」と自社のビワ茶を「ねじめびわ茶」と名づけたわけがここで分かります。

ちなみにその奈良県の「玉置神社」には毎年、社員さん達でお参りに行かれるのが恒例となっているのも奥が深いですよね。

50代最後にはじめたビワ栽培 「定年制のない働き方を」

日本本土最南端「佐多岬(さたみさき)」を有する南大隅町(みなみおおすみちょう)は、鹿児島県の東南部、大隅半島の南部にあり、風光明媚で手づかずの自然が多く残る町です。

玉置さんは1999年にここに十津川農場を創立しますが、その時の年齢は59歳。早い人だと定年を迎えようかという年齢ですが、その当時にこれからはスローフードの時代になると見越して、無農薬でのビワ栽培をはじめました。

また、鹿児島のビワ作付面積は全国3位ですが、リタイアしていくビワ農家に代わって荒廃地を減らすという取り組みもしていたのです。

現在、十津川農場の従業員数は31名で、そのうち一番の年配者の小中原初夫(こなかはら・はつお)さんは71歳で、ご自身は20年目の勤務、お母様はなんと80歳まで勤められ、親子そろって農場に貢献されています。十津川農場では定年制の廃止などを実施し、年配の方でも働ける環境づくりをしています。農薬を使っていないため、一年中追われる草刈り、また機械化できない作業など、まだまだ人の手が必要とされているのです。

日本の食卓に、健康に効果のあるビワ茶を

「ビワ茶」は耳にしたことがあっても、常用して飲んでいるという方は、少ないのではないでしょうか?

今回、お話をうかがった池之迫充(いけのさこ・みつる)さんによると、ビワ茶は中国では漢方として用いられており、そのすっきりとした飲み味から江戸時代には暑気払いの飲料として飲まれてきたそうです。

漢方では特に肺などに効くということで、コロナ禍では日本をはじめ、アジア系を中心に注文数が増え、特に「ねじめびわ茶」は一般のビワ茶ではしない焙煎という工程をくわえることで、ポリフェノールが3.5倍にもなったりと、健康への効果がさらに見直されてきたと話されました。

特に、さきほどの小中原さんの毎晩の晩酌の楽しみはビワ茶の焼酎割とのことで、他にもしゃぶしゃぶをビワ茶でしたり、ミルクビワ茶にしたりと、水に置き換えられるそうで「健康が気になってくる働き盛りの40代から50代の人に飲んでもらいたい」と池之迫さんは力説してくれました。

「すべての人に健康と福祉を」を理念の一つに掲げる十津川農場は、SDGs(エスディージーズ)を宣言しています。定年制のない働き方、子どもを国の宝と考え、社内の子育て世帯に「こども手当」を支給するなどソーシャルグッドの特徴も際立たせています。

20年前にすでに玉置さんが打ち出した目標に今、世界が追いついてきているともいえそうです。

小門万紀子

小門万紀子

和歌山県和歌山市

第6期ハツレポーター

生まれも育ちも和歌山県和歌山市ですが、学生時代は日本ののみならず数々の海外にも行きまくった根っからの旅大好き人間です
現地での違う景色や人との出会い、大好きです
帰ってきたらいつも和歌山の良さをあらためて感じます、子育てで旅にでれなくなり、さらに和歌山の良さに日々気づく日です。

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